CULrides カルライズ

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食べ蒔き二期生レポート 総括 of the 二期生

前回の1月中旬を以て完全にシーズンを終えた、「食べツー」こと食べ蒔き二期生たち。
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それを経て暫く経つが、当然ながら特に変化など起こらず、今まさに大地へ還らんとしている最中である。


それは例えば、枯れたトマト達の風化が日毎に進んでいたり。
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同じくゴーヤの枯れた株も、周辺の落ち葉と同化しつつある状況に表れている。
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ちなみに、今年は引き抜き処分はせずに、このまま植えっぱなしにするつもりなのだが、もはや既に根の張り具合はだいぶ弱まっており、簡単にスッポ抜けてしまいそうなほど劣化が進んでいたりする。
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恐らく十中八九、この先でも何も起こらず、単純に朽ちて行くだけとなろう。


もっとも、それはそれで自然の摂理に任せるのみ。
その辺に生えてる雑草だって、枯れた根が地中に残りっぱなしであろうと次のシーズンには再び生えるし、そうでなければ分解されて行くだけの事。

いずれにせよ、どちらか同じ経過を辿るはずなので、今は静かに置いておくのみである。



そんな前置きはここまでにして、今回は二期生の総括。
即ち、一連の流れを振り返った、纏め記事をお送り致そうかなと。


とは言え、一昨年の一期生と比べて著しく成長率が低く、不作で収量が少なかったりと特段のフィードバックとなりそうなトピックに乏しいのが実情である。

そんな中でも、今期に改めて発見した興味深い現象などをピックアップ。
あえて言うなら、今後の農林業に活用出来るかも知れないポイントを踏まえつつ、思い付いたアイデアや所感などを記して参ろうと思います。


では、いざ。


🌑タネに始まりタネに終わった二期生🌑

さて、ここまで幾度か記して来た通り、今期は当初から不作の予兆が出ており、そして実際に収穫出来た数量は極端に少ないものとなってしまった。


それら食用に出来た収穫物を総計すると、主にゴーヤが計6本と健闘。
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しかし、トマトはチョイと摘まんだ程度に、なんと1個だけ。
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その他に発芽させたメロン、カボチャ、スイカに至っては、収穫ラインを満たさず全くのゼロだったり、大半が生育途中で枯れると言う結果に終始していた。
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上記の要因は一重に、タネの生命力に由来するもの、つまり元々が弱い性質になっていた為だと考えられる。


と言うのも、今期の栽培にあたり使用したタネの大部分は、一昨年の一期生から引き続き使用した「2年モノ」のタネが中心であった。
故に、経年で鮮度落ちしていた可能性が高く、その分だけ生命力がスポイルされてしまった感が否めないのである。
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事実、その一期生で使用した時の畑は、全盛期を迎えるやジャングル状態。
脚の踏み場も無いほど繁り、収穫物も充実したラインナップであった。
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しかし、これがイケてるタネだと思い込み改めて今期でも使用したが、逆に殆ど成長してくれず畑はスッカスカで、結局何も出来ず仕舞いだった。



その一方、今期のゴーヤは栽培の一年前に採種し冬越しさせた、文字通り「一年モノ」のタネを使用。
して、二期生の中では最も成長率が高く、それと連動する形で一定量の収穫を実現。
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また、その食味についても満足な水準を満たす事となる。
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これらの比較により、トマトやメロン、カボチャを始めとした他の作物は、保存中に生命力が衰えてしまったとの仮説にも整合性が出て来るのであった。



このタネが劣化する要因として、植物は基本的に果実が成熟し地表へと落ちた時点で、実際は既に次のシーズンが始まりつつあるとは言えるので、そもそも二年越しで生えるシチュエーションを想定されていない可能性もありうる。

要するに、作物のタネとは「果実が成熟してからタネが落ちて地中にメリ込み、そのまま冬を越して次のシーズンにまた生える」と言うサイクルを前提に設計されているので、その「使用期限」を過ぎてしまうと一気に劣化してしまうパターンが多いのだろう。


特に、近年の作物は品種改良が進んだ事で生命本来の能力が低い傾向にあるので、雑草と比べて余計に劣化が早く進みやすい様な印象を受ける。

恐らくだが、この劣化スピードも品種により様々で、「より原種に近い方が日持ちし易い」などの違いもあるものと考えられる。
その意味では、採種した時の品種が何者かによっても、持ち越した時の成長率や結実率などが大きく変動するのかも知れない。



更にこのタネに関して、もう一点触れておきたいのは、「食べ蒔きの二世」では更に生命力が弱まってしまうらしい点である。


今シーズンの初期段階では、昨年度に収穫されたメロンのタネ、すなわち「食べ蒔きで栽培した果実のタネ」を幾つか使用してみたのだが、いずれも発芽しないパターンばかりであった。
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後々に調べてみた所、どうやらF1系の作物から採種したタネでは先祖返り又はカオス化するだけでなく、世代を重ねる毎に生命力が弱まってしまうのだとか。
いわば、「食べ蒔きの食べ蒔き」は難しい様なのだ。



その意味で、今期に使用された二世のタネは「法則」に当てはまってしまった事になるのだけど、しかし、これも個人的には品種によりけりなのだろうとも考えている。

何故なら、固定品種や古代種などは世代を重ねて栽培出来ると言われている訳で、その辺の雑草も同じ土地で同じ様な性質のまま存続が出来ている。
然るに、先述した様な「原種に近い性質の品種」であれば、食べ蒔きでも継続した栽培が可能となるパターンも有り得るからだ。


その例として、今期に収穫されたゴーヤのタネは、その親世代より一回り小さくなったものの、中身は比較的シッカリとした質感であった。
また、一期生で収穫した幾つかのトマトのタネも、外見上は良好な粒立ちをしていた記憶がある。
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一方、一期生のメロンから採種されたタネは、親世代のタネより中身が薄くなる印象で、そして実際に発芽せずいた。
また同じく一期生のカボチャでも、果実の外見に比べてタネは極端に矮小化しており、再び蒔いても生育しそうに無い質感であった。
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上記の現象は要するに、過去にどれだけ品種改良されているかによっても、このタネの劣化スピードには違いがあって、いわば「原種から遠い性質」になるほど先祖返りやカオス化の度合いが強く顕れやすくなる可能性を示唆している。

逆に言えば、それほど改良されておらず、原種に近い性質を留めた品種や、昔から殆ど姿形が変わっていない品種であれば、食べ蒔きでの再現性が高くなるものと推察する事が出来る。

と言う訳なのです。


ただし、上記は仮説の段階に過ぎず、本当に継続して栽培出来るか否かについては実証に至っていないのが正直な話。
従って、もし次期に検証出来た際は、追って報告を記したいところ。



何にせよ導かれる結論として、第一に「イケてるタネ」を確保する事が先決。

継続した栽培が出来るか否かは採種した品種次第だが、昔ながらの品種である方が再現性に有利。

そして、「タネは出来るだけ鮮度の良い内に使う」方が、より好成績に繋がる確率が高いと言う事になりましょう。


まったくもって、よくよく考えれば当然の流れなのでありました。


🌑「挿し木」は様々な品種に応用出来るかも🌑

そんな不作の中にあって、ゴーヤとメロンの「挿し木」が可能と発見された事は、今期でも特筆すべきトピックと言える。
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勿論、これら品種の「接ぎ木」された苗が市場に存在する以上、取り立てて新しい話と言う訳では無いだろう。

ただ、当プロジェクトで行ったのは「単体で土に挿す」手法となり、そこから再び根を生やし苗へと生育させられるかを検証していたものとなる。

これを試した理由としては、摘芯した先端部を棄てる事無く、最後まで有効活用するため。
それで成功すれば、更に収量が向上するのではないかと考えたのだ。



その詳細な手法や経過については下記リンクに記した通りで、結論を言えばゴーヤとメロンは挿し木にしても根が再生する事を確認。
上手く行けば、そこから生育する可能性が示唆される内容となった。
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ただし、まるっきり単体での生育では根本的な生命力が足り無かったのか、いずれも定植後ほどなくダンゴムシ等に噛り尽くされたり、生育途中で枯れてしまうなど、開花にまで至る事は無かったのが実情である。

従って、病害虫などに耐えうる抵抗力を確保し、野外でも生育する体力を維持する為には「養分を安定供給する為の土台(台木)」が必要となり、結果的に接ぎ木した方が無難であるのも確かな様子であった。
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そこで、今回の検証を踏まえて考えられる別の可能性としては、摘芯された「元気な個体の先端部」と、間引き相当の「貧弱な株の根元」を接ぎ木して合体させれば、その元気な先端部に引っ張られる形で生育が安定するかも知れない点である。

こうすれば、せっかく元気のある先端部を棄てず、間引される様な貧弱な株も棄てる事無く、 両者を活かす形になるのでは無いかと考えられるのだ。


無論、これも仮説であり希望的観測に過ぎないので、実際にどうなるかは未知数である。
また、接ぎ木のセオリーとして、「昔からある強い台木」と「新しい品種(ただし生命力に劣る)」を組み合わせるパターンが主流となっている様なのだが、この仮説では逆を行く形になる為、本当に失敗してしまう可能性すらあるだろう。


ただ、少なくとも「やってみる価値」だけは幾らかあるはず。

冷静に考えてみれば、本数が揃うほど収穫率は高まる訳で、いわばバイクにおける「ニコイチ」的な意味の抱き合わせ個体でも用意しておいた方が予備戦力になるし、それとて使える頭数が増える事に変わりない。

仮に、それで収穫までの成長率を達成出来ずとも、例えば「開花する可能性のある個体」が多ければ多いほど、花粉を媒介する昆虫を誘引する役割りとしても助力を与える事になり、やがては全体的な結実率の向上にも繋がると予想される。



その一方で考えられるデメリットとしては、抱き合せした個体が病害虫に対し弱い性質となってしまい、そこから通常の個体へと伝播してしまう可能性がある事。

ただ、これに関しては病害虫が発生した段階で間引きを実施すれば、それほど問題化せずに解決するのでは無いかと思われる。

実際、もともと成長率の高い個体は比例して免疫力も高い傾向にある様で、例えば「果実を噛られた傷痕が塞がる」、あるいは「アブラムシが寄って来ない個体がある」など、自力で身を守っているであろうシーンを幾度か確認しているからだ。


まぁ、「結局は間引きするんかい」と言ったツッコミは無きしにもあらずだが、元々棄てる前提であった部位を再利用しているだけなので、その辺は実質的にプラマイゼロになったと言う事で。



またもう一つのリスクとして、「抱き合わせ個体」と「通常の個体」が交配して結実した場合、次世代のタネが不安定化したりカオス化したりするリスクが有り得る事だろうか。

その様な可能性はあれど、例えば「貧弱な性質の個体」や「カオス化した個体」に関して、これまでに観測した印象から述べておくと、そういった個体のタネは生命力がスポイルされる傾向が強く出てしまう為、そもそも蒔いても全く生えて来ないか、生育途中で枯れてしまうか、サッパリ実を付けずに終わるパターンが多くなるものと考えられる。


それ故、必然的に世代を跨げず「その代限り」となる確率が高い。
つまり、食べ蒔きする親世代のタネからして劣化が避けられない以上は、そもそも交配し難い性質であるし、したところで次世代の生命力も弱くなりがちなので、あまり不安視せずとも接ぎ木を試してみるのはアリではないかと思われるのです。



ちなみに、この接ぎ木に関する注意点としては、「台木の選択」が問題となり、そのせいで実に毒素が回ってしまい、食中毒を引き起こす危険性がある点は念頭に置かねばなりません。


これは以前とあるテレビ番組の中で、ナスと同じ科のチョウセンアサガオを台木にしてナスを接ぎ木栽培した方が、その収穫物を食べた所、重篤意識障害に見舞われたと言う話がされていた。

この事案は要するに、もともと毒素の強いチョウセンアサガオを「ナスと同じ種類」として扱い、台木にしてしまったが為に、果実にまで毒素が回っていたと言う事になります。

従って、もし接ぎ木にする場合は「相性」も重要な要素となるので、極力、安全性が確認された組み合わせで行うのがベターだと言えます。



いずれにしましても、このゴーヤとメロンの挿し木により、更なる収量アップの可能性が示される結果となりました。
それを翻せば、この他の様々な品種や作物でも応用の余地がある、と言う事でもあります。

この経験をもって、次期に繋げられる様に活かして行きたいところ。
機会があれば、改めて検証してみようかと思案中なのでありました。


🌑とにかく色々な品種を生やしてみた🌑

シーズンを通して不作が続いた中、番外編として進めていたのが「実生の果樹」を育成する事。
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これら果樹の苗木は全て、市場に出回っている果物のタネを埋めただけの、まさしく食べ蒔きシリーズである。
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改めて一例を挙げると、アボカド、柚子、甘夏、グレープフルーツ、レモン、梅、リンゴ(あるいはナシ)は発芽に成功し、これらの一部は苗木まで生育していた。
更に過去には柿や杏子、また他にもクヌギなどなど、品種により条件次第ではあるが、タネを蒔けば実際に生えて来る様子が多数確認されている。
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また、余談として随分昔の話になるが、かつて食べたイチゴのタネを適当な場所に蒔いてみた所、それから毎年の様に生え替わり、半ば雑草化していた事もある。



その発芽に関する詳細な手法や経過については各リンクを参照下さるとして、いずれも継続的に成長する可能性が示唆される内容となっており、事実、例に挙げた苗木は現在でも生育中である。

下の画像は、上記リンク中でも紹介している梅の苗木。
その昨年度の撮影時は時期が遅く落葉していたが、今年の2月下旬~3月に入る頃になり再び芽吹いてくれた。
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これら例を鑑みるに、やはり植物のタネは思いのほか生命力が強く、潜在的に自力で生育する能力が秘められているのだと実感するところ。

世評では「まともに発芽しないし育たない」との言説が主流となっているが、実際は「ちゃんとやれば生えてくるし育てられる」事が明らかとなったのでした。



上記の事例を踏まえた上で個人的な感想を述べてみるに、これら食べ蒔きでの果樹や作物の栽培が、もしかすると今後の食料生産において重要な意味を持つ様になるのでは無いかと考えている。


例えば近年、気候変動の話題に伴って、「生物の分布」も変化しつつあると言われている。

これは植物とて例外では無く、現在の作物にも影響を及ぼすとされ、既に稲の高温障害などの形で顕在化しつつあるのが実情。
このまま変動が進行するに、それまでの栽培適地では通用しなくなるのでは無いかとも懸念されている。

また、近代の作物や果樹は「主に人間が世話する」事を前提に作られた品種が主流である為、些細な環境変化に弱く、ちょっとした切っ掛けで病害虫が蔓延してしまう事例も多い。
それを翻せば、気候変動が進んだ場合に自らの力では生命を維持出来ないだけでなく、人の手を借りても焼け石に水の様な対症療法しか打てなくる事をも意味する。



そういった事態を防ぐ意味で、様々な品種のタネを実生から栽培する事により、「その環境内で最も適した個体」の出現率が高まるものと予想される。

つまり、タネから自力で生えて、なおかつ生育出来る生命力と免疫力を共に備え、自然界で生存する能力が高いほど、この気候変動や環境変化への適応力も高くなるし、結果的に安定した生育にも繋がると言う訳なのだ。
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しかしながら、実生での栽培は生育が不安定なのも事実で、せっかく生えても劣化した性質となって枯れやすかったり、先祖返りして結実率が安定しなかったり、カオス化して食べられるクオリティにならないなど、デメリットも非常に多いものとなる。

冒頭の項目でも述べた様に、それら実生の株から結実し採種されたタネは、先代から輪を掛けて生命力が弱まる傾向が出てしまい、次世代が全く生えて来ない場合もある。
然るに、実生では発芽率も成長率も下がってしまうばかりか、世代を引き継げない可能性がある事も先述の通りだ。


そんな諸々のデメリットばかりが表出しやすい上に、手間の割りに実入りが少ないパターンが多過ぎる事もあって、実生での栽培など「やる意味が無い」と言うのも強ち間違いではありません。



では何故、そうまでして食べ蒔きや実生に拘りを持つのかと言えば、この試みの先々において「本当にイケてるヤツ」が現れるかも知れないから。

即ち、栽培における再現性の高さであるとか、結実率の安定感など、いわば自主的に生育する能力が目覚めた品種が誕生する事で、より食料自給率が向上する可能性が有り得るからです。


この理由について簡単に説明すると、生命体には種を保存する本能や機能が備わっているが、前途した様に、どのタネも発芽しないし成長してくれないのでは、誰も子孫を残せず本当に種族が途絶えてしまいかねない。
それはつまる所、生命力がスポイルされた性質でいる限り、いずれは絶滅と言った不都合が生じる事になる。

その様な事態を防ぐ為、生命体の根本には「次世代を残すスイッチ」が備わっており、何らかの条件を満たす事で「入力」されるものと考えられる。
それは仮に、通常ならタネを残せないほど貧弱で劣化した品種であろうとでもだ。


もし数千個、いや数万個のタネのうち一個しか成功しなかったとしても、試せば試した分だけ成功率は高まるだろう。

と言うか、そもそも自然界では全てのタネが発芽し生育する訳では無く、「必然性のある個体」だけが生存する様に成り立っている。
然るに、これが食べ蒔きや実生であろうと、あるいは自然界の野生種であろうと、「どちらも本質的に発芽率も生存率も低い」事には変わらず、結果的に多数のタネを試さない限り、ドコでナニが上手く行くかなど判り得ない。


この事から、いわゆる世評において「食べ蒔き(実生)では上手く育たない」と言われている所以も、実際は「上手く行くまで試していない」事が要因なのではないかと推察している。

言い換えれば、ほんの少し遊び半分などでタネを蒔いただけのシーンが殆どであり、本気モードで「イケてる個体が発現するだけの数量やパターンを試していなかった」だけの事なのかも知れません。
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そんな訳で、今後の気候変動への対応、そして生産能力を向上させる意味において、様々な品種のタネを手当たり次第にでも試す価値はアリと考えられます。
まさにソシャゲのガチャを回すが如く植えまくれば、比例して当たる確率が高まるはず。


その中から、いずれ「イケてるヤツ」が現れさえすればジャスティス。

こうして生まれた成功例こそ、次世代のホープと成りうる可能性を秘めている。


と言う事になるのかも知れません。


🌑食べ蒔きは何時でも何処でも試せる🌑

では、当プロジェクトの検証結果より得られた考察を踏まえた上で、「ならばどうやって始めれば良いのか?」と言う話をしておきましょう。


幾度も述べている様に、この食べ蒔きや実生での栽培では生育が不安定になりがちである。

故に、わざわざ育つか育たないのかハッキリしない作物の為に、本格的にスペースを確保するなど通常は有り得ない話だろう。
安定した収穫を目指すには、ちゃんとした品種のタネを買った方が遥かに効率的だし、味も保証されているに違いない。

つまり、そもそも「食べ蒔き専用の畑や菜園」など作る理由が無く、また作る意味も無いのが現実と言えます。



しかし、実際の栽培にあたり必ずしも専用スペースや広大な畑が必須と言う訳では無く、ほんの「隙間」みたいなスポットでも事足りるのがミソ。



端的に言ってしまえば、この食べ蒔きは「いつ何処で育てても良い」。



そう、それは自宅の庭でも、ビルの屋上でも、学校の花壇でも、介護施設の植え込みでも、本当に何処でも始められるし、探せば幾らでもスペースは存在するのだ。
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この話は以前、上記リンク中でも同様に記述しているが、「本当は使えるけど実際には使っていないスペースやスポット」と言うのは、この社会の中で大分余っているものと考えられる。


例えば現在、よく話題になる耕作放棄地などは、まさに打って付けのフィールドとなろう。

その栽培方法は非常に単純で、特に本格的な畑作りをせずとも、先ずは隅っこだけ耕すなどして、そこに生ゴミとして出た様々な品種のタネを埋めおき、あとは殆ど放置プレイするだけ。

その中から必然的に生命力の強い個体だけが成長する事となり、やがて結実して尚且つ食用になると確認されたなら、改めて採種。
それを再び蒔いて栽培に成功すれば、サイクルが成立する事になる。


つまり、そういった「適当に空いたスペースでも生育するほど強いヤツ」こそ、確かな生命力と免疫力を持った個体の証し。
いわば、「次世代として存続するためのスイッチが入力されたもの」として捉える事が可能になるのだ。
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また同じく、管理されていない里山や、木材を伐採されたまま回復していない禿げ山などは、まさに「実生の果樹」を試すに最適な環境である。

そこで様々な果樹のタネを埋めておけば、やはり生存に適した個体が残る事となり、それらの中から更に安定した結実率を誇る個体も出現するはずだ。


上記の様な次世代が各地域で誕生したとすれば、即ち「その土地に適応した品種」としての礎にも成りうる。
この地域性によるバリエーションの多さが即ち、「種を保存するパターンの多様化」となる訳だ。

しかも、もし荒れ地や禿げ山での果樹栽培が上手く行った場合、結果的に土壌の保持力が向上し、土砂崩れ等を防ぐ効果も期待出来る。
それこそ、ガンガン埋めれば埋めるほど、イケてるヤツの発現確率も高まるであろう事は言うまでも無い。



更に言えば、そういった管理不足な里山の一部などで、スポット的に果樹林が形成される事により、いわば「自然界と人間界の緩衝地帯」として、人里まで下りて来ようとするイノシシやシカなどを足止めしてくれる可能性もある。

彼ら野性動物とて本来なら警戒心が強く、他の生物との接触には慎重である。
出来れば無駄な争いはせず縄張りの中で安全に過ごしたいし、餌を探すにも体力の消耗は避けたい。
要するに、人のテリトリーの近くに来るにも必ず「理由」があるのだ。


彼らは「山に満足な量の食料が無い」とか、「人里の方が美味しく栄養価の高い食料がある」からこそ下りて来る訳で、逆に「山に美味しく満足な量の食料」さえあれば、そこで留まる確率も高まるものと予想される。

もし仮に、この「果樹林による緩衝地帯」の予想が正しく、また上手く行った場合、それは山林の再生のみならず、生態系のバランスを保つにも一役買うものと考えられる。
つまるところ、人間と自然界、そして野性動物と、多方面にメリットをもたらす可能性があるのです。



とまぁ、これは拡大解釈した話に過ぎないのですが、それでも可能性の余地だけは残しておきたいもの。

少なくとも判っているのは、試してみて損は無いんじゃないかな、と言う事だけ。

何もしないままでは本当に何も起きない訳で、ならば一案としてはアリな様に思うのです。


🌑色々と試すほど可能性は広がる🌑

最後に締めくくりとして、ちょいと展望をば。


この食べ蒔きや実生と言う試みは、それなりの種類と数をこなす事でしか成否が明らかとならず、結果的に大した成果が残らない場合も多いのが現実。
それら事の顛末は、当プロジェクトの過去記事をご覧頂ければ存分に伝わる所でありましょう。


とは言え、まるっきり荒唐無稽な話をしたい訳では無く、そんな失敗混じりでも記事化する理由があるとすれば、これら検証から導き出されたアイデアだけでも示しておけば、いつか何処かで活かされる時がある様に思うのです。

最初はひょんな思い付きでも、いずれは新たなソリューションに繋がれば良いんじゃないかなぁと。
もし、そんな試みの数々から本当の意味での成功例が出ればラッキー。
それもまた一つの収穫であり、まさしく「次世代へのタネ」に違いありません。


そんな訳で、長々とゴタクとウンチクばかり記述して参りましたが、少なからず当プロジェクトの記事が参考となれれば幸いなので御座います。
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では、また、CUL。