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食べ蒔きプロジェクト番外編 ウリバエの防除に関する仮説3・作物の生命力よ、再び。~愛を取り戻せ~

さて、これまでの「食べ蒔き作物報告書シリーズ」の本編、そしてこの番外編においては3章に分けて、これまでウリバエの話を長々と展開して参りました。

前編 仮説1・被害状況と生命力

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中編 仮説2・野鳥農法を立案

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それだけ被害が悩ましく、「無視の出来ない虫である」。

などとオヤジギャグをカマしたい位の存在であるに、異論の余地はありません。


それで最近、新聞で興味深い研究データを発見するに至り、流れでその要点をご紹介すると共に、現在の作物との「関係性」について一連の考察を記したいと思います。

そして、そこから一つ、本質的とも、究極的とも、トンデモとも取れる様な解答が導かれる事となります。

なにぶん大袈裟な煽り文句ですが、それでも当プロジェクトを通して生物や作物を観察していると、きっと多分そうなんじゃないかな。

なんて思ったりで、少なくともある種の「芯」が通った内容にはなっているかと思われます。


ちなみに、この記事の画像はこれまでの使い回しです。



まぁ、ムダな前置きはここまでにして、早速本題に参りましょう。

では、いざ。

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🌑ウリバエと共生細菌🌑

まず先の研究データの内容を端的に言うと、これらハムシの仲間は体内に「特定の共生細菌」を住まわせており、どうやらその細菌が食物(葉っぱ)の消化を補助しているらしい事が判明。

そこで、試しにその細菌を「除去」した卵から生まれた幼虫で成育するかを実験。
すると、食物の消化能力を失ってしまった様で、成虫になれず死ぬ割合が増加したと言う。
更に、この細菌は次世代に遺伝し、代々消化能力が受け継がれている事も解ったそうである。

この研究結果を応用し、いずれ特定の腸内細菌を持たないハムシが生まれる様に仕向け、農業被害を減らす事に繋げられるのではないかと期待されているそうな。

詳細なソースについては、「ハムシ 共生細菌」などのワードで検索して頂ければ、該当の記事が見つかるはず。


つまり要約すると、この腸内細菌がいないとハムシ(ウリバエ)は「エサを食べれない」と言う事なのです。


この事実は、話を進める内に再び重要な意味を持つ事となります。



🌑ウリバエの好み🌑

上記と似た話題は、コアラのユーカリが知られる所。
また以前にも、昆虫と共生細菌に関する記事も書きました。

生物の不思議シリーズ ミツバチの行動の謎 その3 細菌との共生に関する仮説

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更に興味深い事例として、当プロジェクトを通して観察する内に気付いたのだが、ウリバエには特定の「好み」が決まっており、それらの「格づけ」も存在する点である。

その事実は先ず、7月下旬~8月上旬の様子で明らかとなった。

7月下旬~8月上旬の様子

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そして、カボチャとメロンが枯れた後の9月下旬に、一連の行動が確定的となる。

9月下旬の様子後編 スイカとゴーヤと昆虫と

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これまでの被害状況から、当プロジェクト内におけるウリバエの好みを順序だてるに。


「大好物」がカボチャ。

「好物」がメロン。

「普通」がスイカ

そして、「好きじゃないが仕方無いなら時々食う」がゴーヤ。


となるが、基本的に食われる好みの流れも決まっており、どれか好物が消えたら「次のキープ」へと「乗り換える」パターンを基本としている様子であった。
何てヤリチンみたいなヤツだ!


冗談はさて置き、この「好み」と「共生細菌」も、この先で繋がって来るのです。



🌑ウリバエと作物のパワーバランス🌑

上記を経て疑問だったのが、これだけボロクソに次々とハムシの被害を受ける作物が、自然界で如何にして生き残って来たのか?

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である。


無論、作物の「原種」がサバイブしたからこそ、現代の作物があるのは解る。
しかし、同じくハムシもサバイブして来たから今でも生き残っているのは確かだ。

ならば何処で、両者は「バランス」を保っていたと言うのか。


例えば、もし、原種が現代の作物並みに被害を受けやすい植物であった場合、その生存率は極度に低い確率となるはずだ。

何故なら、この被害の受けやすさとは即ち、外敵の大繁殖に繋がる。

解りやすく言えば、一方的に害虫に噛られっぱなしでは餌にされるだけで敵ばかり増えてしまうし、ましてやタネが成熟するまで無事でいるなど夢のまた夢。

仮に、その原種を人類が作物として「栽培を始めた時代」に遡った場合も、駆除方法はアナログ的手段であったに違いなく、それこそ現代ですら完全に被害を防げない以上、当時も排除するには至らなかったはずである。


また、土壌や環境など「生存エリア」の適性や範囲が限定されているなら、あっと言う間に敵が飽和状態となり、そもそも土地から消滅する危険性さえ伴う。

何故なら、そう毎度の様に動物にタネが飲まれて、都合の良い場所に排出され、その場で発芽し繁殖するなど非常に低い確率となろう。
やはり、基本的には対象の作物を「好んで捕食した者」のテリトリーに近しいエリアが「移動距離」となるはず。

つまり、ウリバエとの物理的な距離感は、時代を経てもさほど変化が無い事になり、根本的に逃れる事は難しいと推測される訳です。


そうなると上記の「好物の序列」で言えば、真っ先にカボチャが絶滅するし、最終的にはゴーヤにも及ぶ事となる。
あるエリア内の作物が壊滅すれば、次のキープも壊滅しかねない。

それこそ、ウリバエは特に外敵が居ない事を考えれば、結果として植物が「自ら守る」以外に生存する手段が無くなってしまうのだ。


これはズイマーである。


しかし、両者が生き残っている以上、何かしらの手段によって、何処かで「歯止め」がかかる様、バランスが保たれていたはず。

ならば、どの様にして作物はウリバエから生き延びたと言うのか。

以下に続けてみましょう。



🌑作物のセルフディフェンス🌑

これら環境的要因、栽培時の観察状況、冒頭の研究データを照らし合わせるに、一つの仮説が浮上する。

それらを個条書きすると、以下になる。


1・植物(作物)は元々、ウリバエ(害虫)に絶滅させられない程度の毒素(酵素、タンパク質)など、免疫力を強化する能力がある。
それらは同時に、「味」にも変化をもたらす効果がある。

2・ウリバエは、数ある食物や土壌で生息を試みる内に、それら毒素を克服する「特殊な細菌」を入手。
特定の作物に対して積極的に活用し始める。
何故なら、その植物の方が遥かに「栄養価が高く」美味しいし、あるいは他者とも「競合しない」から。

3・植物は、これ以上は生存どころか、タネすら残せないと言う危機感から、被害を防ぐべく更に防御力を強化する。
例えば、ウリバエの共生細菌では消化が難しくなる様に毒素の構成を変化させたり、細胞組織の比率を調整するなどで「体質のマイナーチェンジ」を行う。

4・ある段階を境に、ウリバエはこれ以上はマズくて食べにくいし、また消化不良を起こすなど体調にも不都合が生じると判断。
好みの作物が食べにくくなった段階で、別の「キープ」へ移動する。

5・しかし、次の植物に対する消化能力(共生細菌)が足りず、栄養失調で大量に死滅。
改めて「細菌探し」するか、もしくは再び特殊な体質の個体が登場するのを待つ事になる。

6・1~5を繰り返し、現在に至る。


以上となる。


これならば、絶妙に両者のバランスが拮抗し、結果として現在まで生存して来た事にも整合性が取れる。

つまり、本来なら作物もウリバエ同様に、何かしらの方法で自身の体質改善を講じる能力があったからこそ、これまで生き残ったはずなのだ。


無論、これらは植物なら種の絶滅を防ぎ、ウリバエも無闇に繁殖が不能だからこそ続いてきた循環なので、殊更に強調する話では無いのでしょう。
至極当然の成り行きであり、誰が言わずとも知れた原理には違いありません。


しかし、ここから更に、もう1つの事実も浮かび上がる事となります。



🌑作物の防御力が低下すると🌑

上記の通り、作物も自ら防御力を発揮していたとして。
仮にそれが「失われて」いた場合、何が起こるのだろうか。

それも以下に個条書きすると。


1・植物を「作物化」するにあたり、より食べやすくなる様、エグみや酸味など毒素を少なく、甘く美味しく作り替える事にする。

2・しかし、そのエグみこそ作物自身を守る免疫機能の要であった為、急激に外敵への抵抗力が落ちる事となる。

3・更に「おいしい所取り」の交配を繰り返す内、やがて免疫機能の「スイッチ」が入り難くなり、植物本来の生命力そのものが弱まる。
そして本来の機能が使われないまま世代を重ね、いつしか殆ど発動しない状態となる。

4・一定期間以上スイッチが入らず、その特性が後の品種へと受け継がれた時点から、いくら外敵の攻撃を受けても反撃出来なくなる。
すると、今度は逆に、ウリバエ(害虫)は特定の細菌(抵抗力)さえ持てば自由かつ無制限に食い進められる事となる。

5・この時点で害虫との力関係が逆転し、反撃の手段を失った作物は何らか「外部からの対策」無しでは自分で身を守れなくなる。←今ここ。

6・1~5を繰り返し、最終的に作物は自力で育たなくなる。


以上となる。


上記を簡単に言えば、抵抗力を失った作物とは、生命維持に必要な機能が「退化」している植物。
あるいは、自らの身の守り方を忘れてしまった上に、再度強化する「基礎体力」も足りなくなっている植物。

とも表現できそうである。


更に別の話で例えるなら、まさに世紀末救世主を待つ北斗の市民みたいなもの。

ウリバエからすれば、「ヒャハー!!カボチャだぜぇ!メロンもよこしな!」の世界であろう。

もはや、奪われる一方で何も残らないのだ。


ケーン!早く来てー!



🌑作物の生命力に序列あり🌑

上記の仮説を前提に、先に述べたウリバエの「好み」とを比較した場合、更に興味深い共通点が導かれます。

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当プロジェクトで「枯れた順番」とウリバエの「被害に遭った順番」は相関しているのだが、それは即ち植物としての生命力(免疫力)とも符号する事になる。


改めて順序だてると、1番カボチャ、2番メロン、3番スイカ、4番ゴーヤの順に被害を受けていた。
従って、この順番で免疫力が強まる傾向となり、より原種に近いセルフディフェンス能力を保持しているものと推察される。

逆に言えば、先にウリバエにやられた方から外敵に弱く、原種と遠い性質になっているらしい事が判る訳です。


これは、カボチャが「自力で交配出来ず」、主に人工受粉でしか結実しないと言う、ある意味で生命体として致命的なデメリットを抱えていた点でも納得が行く流れと言えます。

参考記事
7月上旬~中旬の様子

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更に言えば上記の記事で記した様に、カボチャは酷い「うどん粉病」にも見舞われており、些か病弱そうな様子が伺えた。

他のウリ科作物は全く症状が出ない中で、このカボチャだけ被害に遭っている現象を鑑みると、やはり何かしら性質の欠如が遠因となっている様に思えてならない。


そしてカボチャの次にウリバエの標的となったメロンも、枯れやすさでは共通している。

それらに対し、スイカは原種と遠くない姿をしている様ですし、確かに収穫後も枯れずに新芽を生やす体力がありました。

また、ゴーヤは比較的近年になり本州へと入り、本格的に栽培が始まった作物なので、より原種に近い性質を残している可能性が高いと推測される。
当プロジェクトでは貧弱な株ではありましたが、実際の所でも、栽培中は殆ど病害虫の被害に遭わずにいました。

つまり結果として、ウリバエにとり免疫力の強いスイカやゴーヤが後回しになるのは、しごく当然の成り行きとなるのです。


言い代えれば、栽培に「手のかかる順」で生命力が決まる傾向にある。


と考える事も可能になり、ますます仮説と辻褄が合って来る訳です。


そう考えるとカボチャ、かわいそすぎないか?

だって、ウリバエにやられっぱなしで、病弱で、しかも自分自身では子孫も残せないなんて、そんなのアリなのか。

いくら何でも限度があろう、と言いたくもなるのが素直な感想ではある。


いや、だが、だとしても、まだ何かしら道は残されているはず。

諦めず最後まで可能性を探ってみよう。



🌑ウリバエの共生細菌は作物毎に違うっぽい🌑

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これら作物の生命力と、冒頭に記したウリバエの「共生細菌」を照らし合わせた場合。

どうやらカボチャに対する消化能力が一番高く、反対にゴーヤは殆ど無いらしい事が判って来ます。

だとすれば、ウリバエの好みが偏るなど当たり前の話。

生命力の弱い作物にアジャストした細菌を持てば、簡単に食事にありつけて効率的な生殖も可能となる。
それこそ、作物の抵抗力が落ちているなら、味(毒素)の変化も少ないだろうし、完全に食いっぱぐれる事態にはなり難いはず。

仮に、次のキープが大して好物では無かったとしても、食べられれば一先ず生存する事は可能。
今はイマイチ食べづらくとも、いずれ新しい消化能力(共生細菌)を獲得するまで体を「慣らせば」良いのだから。


ただし、これは作物を育てている場所によっても、地域差があると考えられる。

簡単に言えば、作物の「産地」が違えばウリバエの共生細菌の特性も変わるはずで、ある地域ではカボチャの被害は少ないのにスイカばかり食われたり、はたまたゴーヤばかり狙われる地域だってありうる訳です。

要するに、その場、その地域で「メインとなる作物」に合わせて、ウリバエの共生細菌も性質が変化しているはずなのだ。


当プロジェクト内に限定して仮定すれば、恐らく周辺地域で栽培された作物にカボチャ(又は似た性質のウリ科)が多かったから、「カボチャ向けの細菌」を持った個体が多くなり、それで集中して食べていた。
反対に、スイカやゴーヤは殆ど栽培されていない地域だったので、カボチャ向けの細菌では対応仕切れなかったのではないかと考えられるのです。

厳密には、メロンもスイカも噛っているので、この細菌の消化能力は更に幅広いものと推測される。

ただ、どちらにせよウリバエの好みが偏る時点で、「向き不向き」な作物が存在する事は確かとなるのだろう。


これら上記を総合して考えると、現段階におけるウリバエ被害の本質的な原因とは。


「作物(植物)の生息範囲」+「作物の防御力低下」+「共生細菌の偏り」


が、複合的に絡まる事で起きているらしい事が判ってくるのです。

言い換えれば、同じ地域で、同じ様な性質の作物を栽培しているから、「同じウリバエ」が絶えず発生し続けているとも考えられる訳です。


だがしかし、それだと特定の名産地や、栽培出来る品種が限られる菜園では、いつまでも終らぬ戦いとなってしまうではないか。

やはり、何処かのタイミングで「歯止め」をかけない限り、ますます偏りが激しくなり、いつか本格的にウリバエの力と作物の力のバランスが失なわれる事にもなかねない。


ならば、どうしたらいいのだろう?

このまま解決策が無いのでは、ラチが明かないではないか。


と言う事で、次の最終項目にて結論を述べてみたいと思います。



🌑究極的結論・作物の生命力よ、再び🌑

これら上記を全て結論づける個人的な見解として。


「根本的にウリバエ(害虫)や病気を解決するなら、作物本来の生命力を取り戻させるのが先決ではないのか」


そして、その為には。


「原種により近い品種や、固定種が解決のカギを握っているのではないのか」


この様に考えられるのです。


結局、作物自らが対抗する力を持てない限り、本当の意味での解決は遠いはず。

元はと言えば生命力が強かったからこそ、より野生的な環境だった過去の世界でも生きて来れた訳ですからね。
再び免疫力のスイッチを発動させられれば、自然とウリバエも近寄り難くなると言う理屈です。


無論、作物が免疫力を発揮した時点で、ウリバエも更なるカウンターアタックに転じるのは間違いありません。

ですが、共生細菌の「調整」が間に合わない段階では、少なくとも大量に蔓延する事は難しい様に思われます。

生物である以上、そうそう一昼夜で体質改善が果たせる訳では無いでしょうし、適合する細菌が見つかるまで、恐らくは数世代を重ねるプロセスが必要なはず。
急激に生体機能を変化させては、自分の身が持たないリスクもありますからね。


大体、本当に昔から作物が食べられっぱなしなら、今ごろウリバエも食料を失っていたはずです。
ある意味、どっちも極端に偏らずに、お互いが絶滅しない様に、絶妙な力関係が働いていたのは確かなのでしょう。


そうなるとやはり、食べ蒔きのタネは、それら本来の生体機能(生命力、免疫力)を取り戻さんとするが為に、強制的に先祖返りしたり謎の形に変化したりするのかも知れません。

そんな経緯も、当プロジェクトを通して解ってくる様な気がします。


ただし、これを解決策としたとて、決して「近道」では無いであろう事は強調しておかねばなりません。


固定種にせよ原種にせよ、その栽培された環境で再び「本来の力」を呼び覚ますには、それなりの月日と世代を要すであろうと想定されるからです。

解りやすく例えれば、馴れない環境に引っ越した人が、以前みたいなリズム感を取り戻すに時間がかかるのと同じ事。
そうなると、普段使う店や通る道も変わるので、必然的に今の環境に合わせたリズム感に変化するはず。

タネは同じだとしても、植えられた環境によって微妙に変化をするのが自然な姿だと言えます。


ならば結果的に、そこで「生れるモノ」も、かつてと微妙に変わる可能性だって有り得ます。

当然、その間は安定した収量を得にくくなろうと想像出来ますし、その間は味や形もバラつきが出がちとなるはず。
ましてや、力が戻っていない段階では、引き続きウリバエの食害に遭う恐れもあります。

それを承知の上で、これらの栽培に挑戦する「力」のある人が現在、果たしてどれだけ居るのか。
そんな人々を如何にして増やせるかも、一つのハードルとなるかと思います。

従って、本当の意味での定着には、相応の時間が必要とならざるを得ないでしょう。


とどのつまり、このウリバエの被害拡大が昨日今日始まったものでは無く、これまで築かれた「バランスの歪み」に因って生じているのだとしたら。

また地道な過程の積み重ねでしか、元に戻らないのかも知れません。



🌑話を締めるに🌑

さて、三部作のシリーズにて長々とお送りしてまいりましたが、ここまで読んで下さり誠に有り難う御座います。
そして、お疲れ様でした。


まぁ、総合すれば殆ど妄想みたいなハナシばかりですし、本来なら学術的に正しいかどうかも検討すべき内容であるかとは思います。

現時点で考えうる限りの結論とは言え、仮説などはいずれ覆ったり、後々になり間違いであったと反証が示される事も多々あります。

故に、これら記事をご覧の皆様は鵜呑みにせず、ご自身の立場からも改めて検証しつつ、一連をお読み頂ければと。


いずれにせよ、とにかく、それほどゴタクを並べざるを得ないほどに、本質的な解決は難しい。


けど、可能性を試みた先に、もしかすると活路が開かれているかも知れない。


そんな風に思うのですが、読者諸兄の皆様は如何に思われるでしょうか?

ここに記した話の何かしらが、この先で作物を栽培する時の「エッセンス」程度にでも、ご参考となれれば幸いです。



では、また、CUL。