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超仮説シリーズ・優生思想は無意味 第10回「優生思想を先鋭化させるほど反動が強まる」

これまでに得られた経験と知見を基に、何故「優性思想は無意味なのか」を解説すべく迫るシリーズ、第10回。
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今回は、「大きな利益を求めるほど反動が大きく返る」について検証して参りましょう。


🌑優生思想を先鋭化させるほど反動が強まる🌑

前回から引き続いて述べてみるに、思えば近代において人間と社会は急激な進歩を遂げ、ありとあらゆるモノが発展して来たのは紛れもない事実と言える。
それは、通常の生物では有り得ない程のハイペースで、である。


この要因としては、先ず移動における交通網の発達、そして通信手段の発展が大きく影響しており、それにより人々の交流が飛躍的に拡大して来た点が挙がるだろう。

それは即ち、人々の交流だけでなく、広い意味で「ヒト・モノ・コトの交配」が加速的に進んだ事で、思考力やテクニカルな部分の熟度も高まり、表向き何ら不自由も無さそうなほどの豊かさを享受しうる社会が完成されて行く。

その反面、やがてパターンが出尽くされ、結果として「ネタ不足」となっていく現状をも生み出すに至る。
これは近年、エンタメ業界でカバーソングやリメイク映画が増えた事ともリンクしているだろう。


それはさて置き、ここまで至った根幹には、人々の「より良い生活がしたい」と言う想いが紡いだ部分はあれど、少なからず優生思想が影響を与えていたであろう点は無視出来ないはず。

いわばハッキリとした思想として固まっていなくとも、当然ながら社会の発展には絶対的な意味での「生産性」が求められる為、それが一般的な認識として人々に共有されるにつれ、「そうあるべき」と強化されていった部分もある事だろう。

その根本には、「生命は進化せねばならない」と言う一種の強迫観念も作用しているだろうし、いずれにせよ「その環境」ではそれが正しく、ゆえに発展し豊かさを手に入れたのは紛れもない事実。

確かに自然交配の世界であれば、遺伝子を残せる個体と残せない個体が出るのが通常であり、数多の取捨選択の果てに進化がある。
その意味では、自然淘汰も適者生存も表向き正しいとは言えるだろう。


しかし、その発展ゆえに生命本来の原理を覆しつつあるのも、また現代の姿。
それが即ち、「人為的な要因」による構造的な歪み。

簡単に言えば、優先手術したかどうかの問題以前に、過去からどれだけ「人の意思」が介在しながら交配していたかによっても、その後の社会的な環境、そして自らの生命力にも大きな影響を与えている。
もっと言ってしまえば、その取捨選択の果てに手に入れたはずの進化が「必ずしも正しい」とは限らないのだ。


そもそも生物が遺伝子を残すにあたり最も優先される要素としては、「いかに健康的か」、「知能が高いか」、「見た目が美しいか」に大別されるのが通常。

これだけ聞くと、「やはり優生思想と変わらないじゃないか」と思われるだろうが、ここで重要なのが「選択肢の数」である。

解りやすく言えば、「どれか一つしか選べない」のが生物界の原則であり、上手く行っても「ギリギリもう一つ」が追加出来る程度。
つまり、「全部乗せ」はまず起きないし、起きても超レアケース。
どちらかを備えた段階で、「どちらか足りない」となるのが基本構造なのである。


何故そうなっているかと言えば、「全部持ってると全部持って行ってしまいかねない」から。

これまで何度も述べている様に、全員が全部持っていて全部手に入れてしまうと、資源が無くなり競合して絶滅のリスクが発生してしまう。
それを防ぐ為に性質や能力に凹凸を持たせておき、相互で補完し合う形となる様になっているのだ。
それはまるで、パズルのピースの様に。


より具体的に言うと、例えば「運動能力の高い個体が高い知能」まで手に入れてしまうと、その他を駆逐してしまいかねない程の勢力となり、競合の果てに誰も残らず自滅してしまう。

また、「知能の高い個体が美しい見た目」になると、今度は運動能力の高い個体が減り、種族全体の生命力も下がってしまう。

あるいは、「見た目に美しく運動能力が高い個体」だけでは、知能の高い個体が減り外敵や環境変化に対応し難くなる。


と、これら「引き換え」の関係で生命は成立していて、一方的な偏りを防いでいる。
有り体に言えば、自然発生的に多様性を生じる事で「全体のバランス」を取っているのだ。


つまる所、この自然界では「全部手に入れた時点でそれ以上は無い」し、あっても「長続きはしない」様に調整されている。
それは当シリーズで幾度も述べた通り、その「無限膨張」を止める為のバランサーウェイトに該当するリミッターやリセットスイッチが遺伝子に仕込まれているからこそ、人は病気になるし次世代のパーソナリティも複雑化するのだ。

しかし、人間は欲深さまで進化するあまり、「更に手に入れよう」とすればするほど「反動が歪み」として返っているのが現状で、いわば「リセットされる幅」も大きいのが現状だ。

それでいて近年は、遺伝子操作してまで「全部乗せ+α」してしまおうと言うのだから大変である。


この比較対照としては「先住民の社会」が良い例となるが、彼らの生活は確かに小規模であり、いわゆる「先進的な社会」から見れば貧しいものに感じられるはずだ。

だが、その社会生活においては「保守的なのにストレス要因が少ない」ほか、それに併せて精神的な問題や生活習慣病となる率も低い傾向にあるとも言われている。
この理由を簡単に言えば、彼らの社会は「今ある以上に拡大せずにいたから」こそ、反動が小さくなる様にバランスが取れていた訳である。


上記を考えるに個人的な見解としては、この現代社会における反動もリセットの幅も、かつてはそう大きくは無かったのでは無いかと考えている。

それが何時の時代かまでは判らないが、昔は子孫を残すにあたり優生思想など関係無く、概ねシンプルに「健やかな子であれば」と言うのが普通だった様に思われるからだ。

何せ、現代と比べ過去は厳しい環境下で暮らしていた訳で、生存率は遥かに低く人口密度も薄かったはずである。
そこでは配偶者の選択肢は有って無い様なものに等しく、まして「アレコレ能力を付け足してみよう」などと考える余地も無かった事だろう。

ただ単純に「元気な人が元気な子を産む」だけの話であり、その中からたまたま「頭の良い人」、「美しい人」の違いが出るだけの事である。


そんな中で、これら選択肢を得られる立場にいたのは、時の貴族などの権力階級の者に限定される。

実際、かつては貧しい村から美しい娘を連れ出したり、有能そうな若者を引き抜いたりと、様々な方法で「良いモノ」を獲得していた歴史を鑑みるに、意識的に選別していた事は間違いないだろう。
それが結果的に彼らの長寿化と富裕化に繋り、飛躍的な繁栄すなわち「肥大化」もらたす事に繋がる。


そのノウハウ的な部分がいつしか少しずつ民衆の意識にも広く浸透する中で、やがて物質的にも経済的にも豊かになり、相手を選ぶだけの立場を得たり、選りごのみの余裕が出て来る様になる。

ただし、これもまだ一部の人に限られ、概ね地域の実力者などが優先的に選択肢を得られていた。


しかし、それが時代を経て更に情報が広まり、次第に上流階級の考え方が一般的な主流を占める中で、ますます「人の都合」が強く介在する様になる。

その様な世界では、もはや純粋に子孫の誕生には満足出来ず、やれ「ちゃんとした子供を産め」であるとか「沢山産め」だとか、果ては「あんな子供産むんじゃ無かった」などと無責任な「要求」を言い出す時代が訪れる。

当然ながら、この要求は子孫だけに留まらず、いずれ「自分達以外の人々」にも向けられる。
あまつさえ、この思考が元で他者の些細な欠点を突くばかりか、それを先鋭化するほど「理想に合わない存在」として排斥する行為、即ち優生思想へと繋がって行く事となるのだ。


それら不純な意図が無意識に共有され拡大して行く中で、その行為が結果として自らの首を絞めるが如く、社会に息苦しさを生み出すに至ったのが現代の「真相」。

あるいは、もしかすると文明が発展するほどに、生命体としての本質から遠い世界に生きる時間が長くなるにつれて、もはや「生物そのもの自体」を認められなくなったからこそ、やがて入れ替わる様に優生思想が幅を利かせてきた。

これもまた真相の一端なのかも知れない。


こう言っては何だが、そんな打算の果てに訪れた社会が本当に正しくて、そこで生まれる子孫が幸せになれるのか謎が残る所である。
いや、そんな損得勘定の強い環境で生まれ育った人が、果たして「ちゃんと人を育てられるのか」すら怪しいとも思えてならない。

それがいまだに、「頭良くてスポーツマンでイケメンかつ金持ちな背の高い優男」だの、「可愛くて優しく賢い従順な巨乳のエロい女子」と言うイメージが先鋭化すればするほど、いずれかそれを求めた本人も、そうじゃなかった他人も、そしてその子供も、自ら置かれた現実とのギャップに苦しむなど、これほど皮肉な話があるだろうか。

大体、そう言い出す者が果たしてどれだけ「まとも」なのかも、やはり甚だ疑問の残るパラドックスと言えよう。

それで更に人をイジリ回しては、強い反動でリセットが起きているのだとすれば、まさに「人類の黄昏どき」とも捉えられようものである。


とすると、そうまでして進化したはずが、なぜ「逆効果」を生んでしまう方向へと流れて行くのか。

これでは、あれほど「発展の妨げになる」などと否定していたはずの「劣る存在」と、実際は大して変わらないではないか。

そう、ズバリどちらも「変わらない」のだ。


次回、その理由についても触れて行きましょう。



では、また、CUL。