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超仮説シリーズ・発達障害が存在する真相 第6回「人間も作物も進化をリセットされる」

これまでに得られた経験と知見を基に、この現代に「当事者が存在する理由」の真相を解き明かすべく迫るシリーズ、第6回。

🌑LGBTが存在する真相🌑
culrides.hatenablog.com

🌑発達障害が存在する真相🌑
culrides.hatenablog.com


今回は「遺伝子のリセットスイッチ」について、話を展開して参りましょう。


🌑人間も作物も進化をリセットされる🌑

前回までを参照にして人間と作物とを重ねた場合、とても興味深い共通点が導かれる事となる。


それは、「先祖=固定品種」。
そして、「現代人=F1品種」。


ではないか、という点である。


この「先祖=固定品種」とは、第2回で触れた「先住民・部族社会」とも照らし合わせると、更に理解が早くなる。
超仮説シリーズ・発達障害が存在する真相 第2回「発達障害=先祖返り説」 - CULrides カルライズ

彼ら先住民が生活する上で最も重要なのが、「その土地で継続して暮らせるかどうか」であると思う。

例えば、同じ場所で獲物を捕り過ぎないようにしたり、あるいは遊牧生活なら移動先の気候で収穫物を変えたり、物資が足りないなら如何にして身の回りの資材を有効活用して行くかなど。
その生活を受け継ぐ為には、子孫も同じ性質や能力が備わっている必要があり、逆に失われれば存続は難しくなる。

簡単に言えば、この「先住民・先代や先祖・固定品種」を1つのグループとして捉えた場合、「限られた資源の中で生活を維持出来るかどうか」に関して重点が置かれている姿が浮かび上がる。

即ち、彼らは古いのでは無く、本来の意味で「適応」していたのだ。


それに対して、「現代人・優秀な子孫・F1品種」を1つのグループとした場合、「今の生活を維持するにも進化する為にも更なる資源が必要」となる姿が浮かび上がる事となる。

即ち、彼らは新しくなればなるほど、際限なく「不足」するばかりなのだ。


更に作物の話では、「美味しく大きく丈夫なF1品種X」を作るにあたり、「美味しいが小さく貧弱なa」と「美味しくはないが大きく丈夫なb」の親世代が必要になると述べている。
そして、それら先代となる品種が栽培されてる土地土地の気候風土により、性質や味にも違いがあるとも記している通り。

つまり、人間もまた本来は不完全な姿が通常であり、むしろ先代へと遡るほどに性質が偏っていて当然。
故に、先祖は各々の性質と能力を補完する形で、適材適所で役割り分担しながら生き延びて来たのであり、「どちらも全部揃っている優秀な人」など実際はレア中のレアケース。

近代になって情報が発達し、その「優秀とされるモノ」こそ憧れの姿であるが如くセンセーショナルに目立つ機会が増えるにつれ、「それが正しい進化」だと思い込んでいただけなのだ。


では、やっとこ話を発達障害に戻してみよう。

この発達障害に至るプロセスにおいて、先祖返り、作物におけるメンデルの法則、先住民と現代人などとの比較を経て、それぞれ導き出された共通点から考えられる「経緯」を以下に纏めてみると。


「本来ならば、先祖から受け継いだ性質や能力は生物として必要不可欠なものであったが、現代では人々の進化と社会の発展に伴い、殆ど使うシーンが無くなり潜在化していた」

「ただし、生物は一定以上の進化を遂げると、強制的に遺伝子のリセットスイッチが入る様に設定されている」

「また、そのスイッチが入り易い人と入り難い人がおり、その先代が置かれた環境や社会によって、以降の世代には様々な症状(性質・能力)が発現する様になる」

「何故なら、種の全体が一定以上に進化した結果、今度は資源を食い潰したり競合したりで自らの首を絞めてしまいかねない状況を感覚的に察知して、そうならない様に進化を停止させているから」

「しかし、それでは本当に絶滅しかねないので、引き換えに先祖返りさせたりカオス化させるなどで次世代の性質を多面化させ、改めて種として生き残る手段を模索させている」

「それら先祖が持つ性質がランダムに顕在化した結果、ある人は能力が突出したり別の機能が引っ込んだりするのだが、それが平均化された社会の中では心身のバランスを失う要因となり、やがて立ち回れなくなる内に障害として診断されてしまう」


などなど、これらが発達障害として生まれる背景なのだと考えれば、様々な症状にも説明がつきますし、当事者の方々が「上手く生きたいのに出来ないし、治したいのにどうにもならない」と苦悩し葛藤する心理状態にも合点が行きます。

前回のLGBT、そしてこの記事の初回で「自然現象」であるとか、「種の絶滅を防ぐ為」であると結論付けているのは、これら上記が「生まれる条件」であり「生まれた理由」なのだと推察しているからなのだ。

何しろ勝手にスイッチが入ってしまうばかりか、その先代達だって一体何が条件になるかも知らないし、ましてや本当に条件が当てはまるかどうかなんて誰もが判るわけもなく過ごしているのだから、無理もない。
もはや単純に、「気付いたらそうなってた」と言うだけの話なのです。


となると、もし仮に上記で合っていた場合、この状況を生み出してしているだけの「事情」も浮上する事になる。


つまる所、この現代で、尚且つ先進国を中心に発達障害の当事者が増えていると言う事は、即ち「交配の限界」を迎えつつあるからでは無いのか?

翻せば、それらの国々や社会も発展の限界を迎えていて、最早これ以上の拡大化によって「他の生物まで巻き添え」にしない様に、種の勢いを止めるべくストッパーが発動した顕れでは無いのか?

いや、もしかすると実は、既に種として進化しきった果ての姿であり、本当は「そこで終わり」と言う意味すらあるのでは無いのか?


この様な仮説さえ成り立つものと考えられるのです。


さて、遂に核心へと繋がって参りました。

何だか夢も希望も無い話になってきた感が否めない訳ですが、しかし、これを「絶望的」と捉えるのも早計で、まだ導き出された真相の一端に過ぎません。
話はここから、更に「別の側面」も露となって来るのです。

その検証過程で何故、この様な生きづらい姿となってでも、厳しい現実に直面してでも、現代において発達障害が存在しているのか。


次回以降、その解答をも導かれる事になりますので、もう暫く読み進めて下さいませ。



では、また、CUL。