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超仮説シリーズ・発達障害が存在する真相 第7回「進化と絶滅はトレードオフ」

これまでに得られた経験と知見を基に、この現代に「当事者が存在する理由」の真相を解き明かすべく迫るシリーズ、第7回。

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🌑発達障害が存在する真相🌑
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今回は「進化の果てに待つ未来」について、話を展開して参りましょう。


🌑進化と絶滅はトレードオフ🌑

さて、改めて前回まで一連の話を踏まえた上で、先に究極的な話をしてしまおう。

それは。


種を保存するにあたり、「優秀な人だけで構成してしまうと、今度は優秀な人同士での共食い現象が起きる」。

その結果、「お互いの優位をアピールして競合している間に、どちらも共倒れになりかねない」。


と言う展開が予想されるのだ。


などと言うと、「何をバカな!優秀な個体が生き残る方が都合が良いに決まっているし、進化するのが生物じゃないか!」と思われるに違いない。

だとしても、何度も言う様に、それは上っ面の話である。

確かに優秀な個体は魅力的であるし、いわばまさしく「適者生存」の姿そのものに映るはず。
それは表面上、種を保存するにも、いや社会が発展し安定化させるにしても好都合であるに違いない。

しかし、前回にて「進化するにも維持するにも更なる資源が必要になる」と先述した通り、行き過ぎればいずれ行き詰まりがあるのが自明の理。
このサイクルが際限無く続き、誰も彼もが「何でも全て得られる」とどうなるか?
あるいは、「それ以上」を求め続けたとしたら?

つまり、優秀に進化する事にも、「引き換え」や「代償」が伴うのだ。


その証拠は、生物界に幾らでも存在する。


例えば、イノシシの一種である「バビルサ」のオスは、その下顎から伸びる牙の長さと反りがメスへのアピールポイントであり、即ち進化の証である。

しかし、それと引き換えに、実は一定以上に伸びて反り返った牙はやがて自らの頭蓋骨に突き刺さり、それが脳にまで達する事で死を迎えてしまう。
そう、魅力的な個体になるべく進化したはずが、結果的に自らの命と引き換える形となったのだ。

更に過去には、サーベルタイガーも牙の伸びすぎで食事が出来なくなり絶滅したと言われている。
その他でも、やはり巨大化の果てにエサが足りなくなったり、身動きに支障を来してライバルに出し抜かれるパターンなど、実は生物が絶滅してしまうプロセスでは環境変化や天変地異のみならず、「進化し過ぎて行き詰まった」例が非常に多いのだ。


これを改めて人の世界に当てはめてみよう。


いわば現代とは、「優秀になる為に急激な進化を遂げてきた社会」であり、その過程で「極度に高度化・複雑化・平均化してきた社会」。

そう表現して差支えないであろう。

それは当然、より優秀な人を選んで結婚し、より優秀に育つ為に教育し、より優秀な環境で生きるためにインフラを整え、そして優秀な子孫を残そうとして来た結果でもある。

一方、その引き換えとして、これまでに揃えて来た優秀なエトセトラに重大な「副作用」が表面化しているのも紛れもない事実。

それは些細な部分にまで及んでおり、例えば教育費が高額化して格差が生じたり、結婚相手に対する要望ばかり膨らんで晩婚化したり、企業が求める人材が高度化して従業員が疲弊したり、おもてなし過ぎてクレームが増加したり、ひたすら拡大を続けた社会インフラの維持が困難となったり…。

などなど、身近な日常生活にも、それら「代償」がゴロゴロ転がっている。

だが、これらもまた表面上は「優秀な人」ならばクリア可能であり、ついていけない人は「劣等」とされてしまう部分ではあろう。


しかし残念ながら、それも絶対的では無い。

この副作用に蓋をしたまま進化を続けた場合、やがて「優秀な人の中から更に優秀な人」を選ばざるを得なくなり、結果的に「本来は優秀だった人まで劣等とされてしまう」事に繋がって行くからだ。

当然ながら、その「スピード」が早ければ早いほど、用済みとされる確率も飛躍的に高まるであろう事は言うまでもない。

これを「弱肉強食」であるとか「自然淘汰」と捉えれば、確かにもっともらしく聞こえる。
しかし、その構造を突き詰めた先に待つのは、「誰もが対象者」となる世界である。

言い換えれば今、「自分は勝ち組で良かった」と思い上がっている人や、「発達障害の人って可哀相」と見下している人がいるとすれば、「次はあなたの番」として身に降りかかる可能性が非常に高いのだ。


また、物事を「高度化・複雑化・平均化」していくほど、生物の本質からかけ離れて行くだけでなく、生存に必要であったはずの性質や能力をも埋没させる事になるのは、これまでにも延べた通り。

この傾向を進めた場合、やはり結果的に、いずれ誰もが高度化した要求に応えられなくなり、複雑化する構造について行けなくなり、平均化された環境では自らの存在意義を失う事へと繋がって行く。

特に、現在の高齢者を取り巻く環境が最たる例で、ハッキリ言って若者ですら理解に時間を要する複雑なシステムとなっているのが実情。
要するに、アレコレ必須条件やら注意事項やらが複雑に入り組んでいて、社会福祉を発展させたはずが「誰でも簡単に分からくなりつつある」のだ。

それこそ認知機能や体力が衰える中で当事者の自助努力を求めるには負担が大きいのは明白で、これを押し付けている限り、将来的に自らもフォローが難しくなるであろう事は想像に難くない様相である。

結局、優秀な人に合わせれば合わせるほどハードルばかりが高度化して社会生活における負荷を増大させるだけでなく、いずれ「誰もが分かるもの」から遠くなり、ますます人々が疲弊する原因となってしまうのだ。


そして何より、「何でも出来て何でも揃って優秀な人」が前提にある事自体、生物界では異常だと言っても過言では無く、本来なら「それ以上」など存在しないものである。

しつこい様だが、過去の「そうではない不完全だった人々」が連綿と命を繋げて来れたのは、現在ほどやるべき事が高度化・複雑化・平均化されておらず、いわば地域性が豊かで「自然な姿」でも過ごせる余地が残されていた為でもある。
また、分業などにより集中出来る範囲が定まっていたからこそ精神的にも安定し、細々であれ生存が可能となっていた部分が大きい。

それは先住民の話とも共通している様に、人間のみならず生物とは本来、「出来る事=パフォーマンスを発揮出来る範囲」は狭いのが通常である。

昔は「それでも社会が成立していた」だけでなく、「それでも人々が元気であった」事は、誰しも自分の祖父母や田舎など、過去や幼少の記憶を辿れば思い当たる節があるはずだ。


しかし、その不完全とされる性質を解消するつもりが、いつしか「優秀」と言う概念に囚われるあまり、アレコレと要求を追加しまくった挙げ句、それが現在進行形で自らの首を絞め始める事態となっている。

だからこそ、親世代や更に先代に遡る人々の中から誰かしら、「これは良い環境ではない」であるとか「先々で大変な事になる」といった状況を体感した時、その危機感や異変を遺伝子も察知。
あえて「次世代は同じ行動を取らせない」様に、その社会生活に支障が出るなどでストッパーの役割りを持たせている。

それにより、進化を停止したり先祖返りで退化させたり、はたまた性質や能力を片寄らせたり突出させているのだとすれば、発達障害として診断される事にも整合性が取れて来るのである。


そう考えると、一種の最悪の事態を防ぐ為、やはり生物の遺伝子には「安全装置」としてリミッターやリセットのスイッチが入る様に設計されているからこそ、進化とは逆説的な部分で種を保存しようとしているのかも知れない。

それは人間のみならず、地球の限られた環境内で数多の生命が豊かに繁栄して来た理由も、まさにリミッターの裏返し。

言い換えれば、このスイッチもリミッターも失われた先に待つのは…。

そんな未来も覗けるのだ。


何だかまたしてもヘビーな展開ですが、次回は更に「コトを生み出している根源」へと迫る事に致しましょう。



では、また、CUL。