CULrides カルライズ

発見と探究そして文化。そんな諸々の話。

超仮説シリーズ・発達障害が存在する真相 最終回「限界まで可能性を探ってみよう」

これまでに得られた経験と知見を基に、この現代に「当事者が存在する理由」の真相を解き明かすべく迫るシリーズの、最終回。

🌑LGBTが存在する真相🌑
culrides.hatenablog.com

🌑発達障害が存在する真相🌑
culrides.hatenablog.com


最終回は「一連の検証を通して導き出した解答」について、話を展開して参りましょう。


🌑限界まで可能性を探ってみよう🌑

これは個人的な感想であり、当事者の誰もが当てはまるとは限らないのだけど、発達障害の人々に共通する想いとは、以下の様な話に集約されてくるのではないだろうか。

それは。


「この世界のどこにも生きた心地のする場所が無い」


と言う事。

そして、それを突き詰めた究極的な目標としては。


「ただ穏やかに静かに最期まで生きていたいだけ」


なのではないかと思っている。


結局の所、この社会においては、その突出した性質や能力がフィットする場を得られない限り、生きづらさの解消が難しいものとなるのは致し方ない事なのかも知れない。
それは哀しくも残酷な世界の一面であり、確かな痛みを伴う人生にならざるを得ない側面さえあるのも現実であろう。

ただシンプルに、「自らを活かせる場」さえあれば。

たったそれだけの事なのに理解を得られず、上手くこなす事もままならず、どうしたら良いかと苦悩する日々を一体どれだけの人が過ごしているのだろうか。


更に、これは言うべきかどうか非常に躊躇する話ではあるが、ここへ至るにあえて述べてしまうと。


発達障害LGBTは寿命が短い傾向にある」


とも言われている。

これは個人的な経験からしても、残念ながら一理あろうと言うのが正直な所。

何故なら先の作物の例でも、「F1品種から生えた次世代は先祖返りしたり劣化したりカオス化してしまう」と述べていた様に、これらF1品種のタネが由来の子孫は、いずれも個体のバラつきが激しく、やけに細く貧弱な株が目立ったからである。

しかも、それらは極端に結実率が低かったり、はたまた全く成長しないままであったりと、親世代とはかけ離れた成育状況にあった事も先述の通り。

また無事に収穫した果実も、やはり先代より遥かに矮小化したり味が劣ったりと、いずれも「再現」には至っていない。
そして、これらの作物は根本的に生命力や免疫力が弱い傾向にあり、通常の品種より枯れやすい体質である様子さえ伺えた。

この現象が仮に、もし本当に、人間にも共通の原理が適用されるのだとしたら、やはり同じ事が起きていると考えるのが自然。
いや、発達障害の症例などを比較すればするほど、「全く同じ」と考えざるを得ないのである。


故に、この記事を読んでショックを受ける方もいらっしゃるだろうし、その点では自分ごとながら発言しておいて心苦しい話でもあります。
ハッキリ言って、誰もこんな「設定」なんて受け入れ難いはずですし、ましてや運命などと認めたくも無いに違いありません。

しかし、ここで誤解の無い様にお伝えしたいのは、だからと言って決して真に受けたり捨て鉢にならないで欲しいと言う事。

実際は長寿である可能性もある訳だし、生活環境によって全て変わるのが生命。
まして生きている間に断定など出来ない以上、悪戯に投げ出したり諦める必要は無いのです。

従って、もう少し話は続きますので、どうか最後までお付きあい下さいませ。


では、そう言った厳しい条件下において、もし、一連の記事を通して僕から伝えられそうなポジティブなアイデアがあるとするなら。


「自分の存在をもってして現代の異変を伝えている」


くらいのつもりで開き直って考えてみれば、幾分か気持ちの折り合いがつくかも知れません。

いや、これじゃLGBTと同じ話になっているし、結局、損な役回りを請け負ってしまっている事になるのだけど、自分の立ち位置を定めるにあたっては悪くはない手かなとは思います。

勿論、だからと言って「じゃあ何もしなくて良い」などと思考停止して欲しくも無いのだけど、少なくとも「これからの社会における一勢力になるかも知れない」と思えば、いずれ本当の意味で解決策が出るとも限らない訳ですし、幾分か耐えてやろうとも思えるのではなかろうかと。

それはどうあれ、結果的に本人も身の回りも「何でか知らないけどそんな風になっていた」のが実情である以上、少なくとも当事者ばかりが責任を負いまくる必要も無いとは言えます。

大体、自らの置かれた状況に自覚的であるだけでも、だいぶ重荷を背負っている事には違いないですからね。
何かにつけムダなプレッシャーなど抱えさせられた所で、それこそ何の益にも解決にもならない事でしょう。


その上で、更にフォローを加えるとすれば。


当事者の方々、そして彼らを取り巻く人々には、「とにかく最期まで限界まで可能性を探り続けてみよう」。


そうお伝えしたいのです。

この可能性とは即ち、どんな些細な点でも良いから当事者の持つ性質や能力を見出だしたり、この社会の中で上手くハマりそうな場を作ったり、活かして行く事を意味している。
冒頭で述べた様に、先祖や先代達が生き残って来た以上、本来なら「生きれる場所」があるはずなのだ。

と言より、それを発見したり構築する事こそが、これまでの記事で述べた「社会的環境に対するメッセージ」であり、そこに潜む問題の「解決を示す為の媒介」の役目として、この現代に発達障害が存在する本当の理由なのだとすれば、確かに納得が行く流れと言えましょう。


これを踏まえ再び作物の話をすると、確かにF1品種の子孫は生存や繁殖に不利な性質の個体が目立ってはいた。

しかし、生えた全ての個体を育て、最後まで間引きをせず観察を続ける内に、それら不利な存在が全く無意味だった訳では無く、実は細かいながらも確かな「存在意義」を見出だす事にも成功している。

それは例えば、「花粉を媒介するハチなどの昆虫を呼び寄せる」とか、「挿し木や株分け用にする」とか、あるいは「少なくとも収穫量のプラスになる」など、何でも良いから最期まで生かす事で「可能性」を与えてみたのだ。
culrides.hatenablog.com


そしてその結果、「F1のタネではまともに栽培出来ない」との前評判を覆す様に、非常にバラエティに富んだ収穫物を得る事に成功している。

たとえ収穫されたものが親世代に及ばずとも、それは熟成させたり調理したりなどで工夫すれば良い話。
実際の味は劣っていようが、形はイビツだろうが、数は少なかろうが、食べられるものは出来たのである。

つまり、本当は「強い個体も弱い個体の存在があった」からこそ収穫に至ったと言う事。
むしろ、ただ居てくれるだけでも菜園は「賑やかな風景」となったのだ。


いわんや、昔の人は不完全だったからこそ、それら「不完全なもの」を活用しながら今まで生きてきた。
そして、この経験から得た「フィードバック」も、また「収穫物」に他ならない。

だからこそ、発達障害だろうがLGBTだろうが引きこもりだろうが誰だろうが、本来は何かしら活かせる場があるはずだし、この社会の反動である以上は無視して切り捨てる事など出来ないはず。

何にせ今、起きている事が更に次世代へのフィードバックとなるのだから。


無論、これは当事者の独り善がりでも、社会の押し付けだけでも成立しなくなってしまう、繊細な概念ではある。
しかし、この擦り合わせが上手く行った時、それはギアが正確に噛み合い、潤滑油が注される様なもので、あとは「適正なスピード」で動ける場さえあれば。

それは見事に「ハマッた」状態となれるのではなかろうか。


従って、ここでもし重要なポイントがあるとすれば、「どの人がどの場所にハマるか」を見抜いて、適切にプロデュースする事なのかも知れません。

いや、マクロ的観点で言えば、どんな形であれ「ちゃんと生きている」状態ならば、それは社会の一員として動いているのと同義であろう。
結局、余計なお世話のし過ぎもまたトゥーマッチな訳で、最終的には当事者とそれを取り巻く人々のバランス感覚やセンスの問題でもあるのです。


いずれにせよ、この上手くハマる場を構築するには、やはり先ずはオーバーホールなどの再点検が必要であろう。
あるいは、もう一度設計し直してみると、思わぬ所から「それまで注目されていなかった新たな構造」が発見される事だってあるかも知れない。

そんな今の時代だからこそ新たな場を構築するだけのノウハウが揃っているのかも知れないし、そこで上手くハマりさえすれば、まさに理想的な軌道修正の形となるはず。


とどのつまり、今一度この進化を顧みて、どうすれば良い方向へと転じれるのかを皆で考えながら、もう少しペースとかウェイトの配分を検証してみようよ。

それで普通の人もLGBT発達障害も変に構えず、自然と上手くハマれる場があれば生きやすくなるんじゃないのかな。


そう思う訳なので御座います。


🌑この仮説も完璧では無い🌑

さて、一方的に長々と持論を展開して参りましたが、如何に思われたでしょうか。

勿論、これらの仮説が絶対的な正解では無く、どこかしら間違っている可能性や更なる検証の余地は大いにありますし、これから先々で改善点が出る事もあるはずです。

ましてや、この記事が果たして当事者の皆様にとって、どれ程のお役に立てるのかは未知数であり、直接的に苦悩を取り除くには未だ遠いものであろうとも思います。


しかしながら、この記事が、いつか何処かで、何かしらでも解決策の可能性を見出だす切っ掛けの一つにでもなれたら、これ本懐なので御座います。



では、また、CUL。