前回に引き続き、このシリーズを。
その1
ダウンタンより、やや南西側に位置するHawthorne(ホーソン)周辺のバスに乗っていた時の事。
システムマップより。
ホーソンは地図上、左下のエリア。
僕は一人で乗車しており、位置的には後方側ドアのすぐそばの席に座っていた。
この席は降りる時に楽だし、何より、社内や景色が一番よく見渡せる位置でもあるからだ。
何処であったか定かでないが、ある停留場で一人の白人女性が乗り込んで来た。
見た感じ20代後半~30代中盤らしいブロンドで、服装は特別お洒落でも無く、どこにでも居そうなTシャツとジーパン姿。
強いて言えばやや髪がボサボサだしバックパックも背負っているので、旅でもしてる様な雰囲気。
その彼女は僕の真横に座ったのだが、その時は別段、気に留める事も無い人物に思えた。
しかし、何やら様子がおかしい。
やたらバックパックを漁っていたり、ボソっと独り言を吐いたりと挙動不審。
よく見ると無表情だし、虚ろな目をしている。
そもそも、割と席が空いている中で何故真隣に来るのか。
妙に警戒心が募る。
やおら女はバックパックからリール式に巻かれたガムを取り出し、千切って食う。
それを唐突に、横の僕にも「いる?」と聞いて来るので、何故か勢い「あ…あぁ…どうも」と分けてもらう。
それから特に会話もなく、相変わらず無表情にボソっと何か言うが聞き取れない。
そんな中、ある停留場に着き後方ドアが開いた瞬間、突然女は身を乗り出し「ブッ!」と、外に向かってガムを吐き飛ばす。
それはもう、梅干しの種飛ばし大会を彷彿とさせる勢いで車外に吐き飛ばす。
え!?何してんの?
イキナリすぎて一瞬、目が点になる。
しかし、何事も無かったかの様に席に座る女。
相変わらずボソッと何かを喋る。
女「ゴニョゴニョ」
小声で呟く程度で一体何を言っているのか判らないが、もしや僕に話しかけているのかと思い聞き返してみる。
僕「何て?」
女「あぁ゙?」(虚ろな顔)
別に何か話しかけていた訳ではないらしい。
そうして、またバックパックを漁るのだが、今度は何やら薄い紙と乾燥した植物片を取り出す。
その植物片を紙に少量乗せ、紙の端を舐めて湿らせてから、クルクル巻き始める。
こうして出来上がった紙タバコ風の巻物をくわえる。
そして、人目もはばからずシュッシュッと、堂々とライターで火をつける。
ちょ、おま…。
まさか…このオイニーは……。
そうマリワナで御座います。
この女、バスの中でジョイントを作った上に、車内で吸い始めたのだ。
駅のホームやバス停なら時々見かけるが、車内で吸う人間は初めてのパターンだ。
割りと車内で好き放題しているシーンに遭遇する事も多かろう周りの乗客も、流石に「コイツ正気か!?」と言う表現を浮かべる。
ですよねー。
そして、また「いる?」と聞いて来る女。
「いや、いらねぇ…」としか言えない僕。
一応、バスの運転手の表情を伺ってはいる様だが、その割りに大胆に煙とハーブのかほりが漂う車内。
しかし、何故か運転手は気付かないのか、そして僕も周りの乗客も、あまりの異様な光景に一切彼女に触れようとしない。
それも束の間、Inglewoodあたりの停留場に着いた瞬間、突然思い出した様に降車する女。
あまりに唐突だったので、衝動的に降りたのであろうか。
降りた場所も女性一人で降りるには不適な場所だし、まして白人を全く見かけない地域だけに、余計に存在が浮いている。
よくよく見れば服や体は薄く汚れており、旅をするにはバックパックも小さすぎる。
何処へともなく歩き始めたその足取りはフラフラと、どこか定まらない様だった。
やはり、あれは宿無しだったんだろうか。
ロサンゼルスでは、時おりホームレスとも旅人ともつかない若い白人の女性を見かける事がある。
皆、一様に薄汚れたTシャツ(あるいはタンクトップ)にジーパンを着用しバックパックを背負っているのだが、歩きながら独り言を喋っていたり、ある場所にずっと居座っていたりする事が多い。
ベニスビーチでは、すれ違いざまに突然頭を抱えて「Oh my ギャァァァ゙ァ゙!!!!!!」と絶叫した女がいたが、あれは本気でビックリした。
いつかダウンタウンのスキッド・ロウでも、ドラッグ中毒らしき10代~20代のうら若き白人女性が独りで寝泊まりしている所を、警察が説得した話を聞いた事がある。
サンフランシスコのヘイト・アシュベリー周辺でも、「スクワッター」と云うアナーキストを信条とする集団の中に、スーパーモデルと見紛う美女が混ざっていた事もあった。
彼女らは今、何処で何をしているんだろうか。
ドラッグや精神疾患、はたまた信条など理由は様々あれど、人の世から外れてしまった彼女らの目には何が映っていたのだろうか。
もしかしたら案外、この世で生きる由を失う中で、普通の人とは全く別の何かを探しているのかも知れない。
何となくそんな事が気になり、ついつい話が大袈裟になってしまうのであった。