CULrides カルライズ

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食べ蒔き作物プロジェクト報告書 ゴーヤのレビュー その2

さて、前回は荒ぶる台風を乗り越え、そしてズタボロにされた株が「最後の希望」とばかりに遺した、2つの果実をゲット。

10月上旬の様子とゴーヤの収穫

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今回は、その味をレビューしてみます。



そんで早速、収穫した2個について言えば、ご覧の通りミニサイズ。

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とは言っても、両方合わせれば「普通の一本分」の重量があるので、分量的には事足りる。
初回のゴーヤは小さ過ぎて、本当にチョコっと炒め物に混ぜただけだったからね。


比較対象として、その初回のゴーヤと当時の様子。

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ゴーヤと疑惑のミニトマトのレビュー

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とは言え、小さいながらも質感は立派なゴーヤ。

実に張りがあって色艷も良く、何せ香りが強い。
鼻を近付けると、かなり濃厚なゴーヤフレーバーが漂っていて妙に期待をそそる。
何故なら、この香りが強い個体ほど、果肉の味や旨みが強い傾向にあると感じていたからだ。

それは実際、最初に収穫したミニゴーヤを食べた時にも実感していて、ある意味ではサイズは関係なく、「色艷+実の張り+香り」こそが美味いゴーヤの条件なのだろうと思われる。


特に今回は追熟する必要も無かったので、収穫した2日後に中身を明け、先ずタネを確認してみる。

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一見には白っぽく未熟だが、それなりに立派に膨らんだタネとなっていて、形も良く出来ている。
当然、詰まっている数は少ないんだけど、サイズは元々のタネと殆ど同じなのだ。

果実の大きさに合わせて小さくなる訳では無く、表面上のサイズとは別に、タネはタネで独立した形でしっかり肥大化するのが興味深い。
これは、初回のミニゴーヤでも全く同じだった。


ただし、タネ自体は実際に未熟気味な物が多い印象。
また白く成熟した中身が詰まっていても、強く押すとペコンと潰れてしまう感触だ。

イメージ 4

ピンボケだけど、中身が青いのが判るかと。


未成熟の果実を収穫している以上、これは致し方ない。
その状態を見るに、再び蒔くには期待を持てないのが正直な所。

だが逆に、同じ未熟果から採種した「元々のタネ」が、それなりに中身が詰まっていて尚且つ今回の形まで育てられた事を鑑みれば、恐らくは品種によってもタネの成熟度合いに違いがあるのだろう。

今回のゴーヤも表皮が黄色くなるまで熟成させていれば、再び蒔けるタネが出来上がったのかも知れない。


その意味では先ず最初に、「未熟果でも成熟したタネ」と言う相反する性質のゴーヤを探し出す事が、一つの「裏技」になるとも言えそうだ。

っても、見付けるのは至難のワザだとは思うけど…。


そんな観察も済みましたら、調理後の姿を。

イメージ 5


普通のゴーヤチャンプルーでは無く、豚キムチの炒め物として完成。

うん、色味もグンバツだし、これは文句無しに美味そう。


それじゃ、一口…。




おっ…!




うん…。




これは…。




間違いなく…。




めちゃ美味い…!




それは予想していた通り、見事な出来映え。
歯応えも風味も、まさしく「美味いゴーヤ」のソレだ。
いや、と言うか普通の市販されている物より、明らかにコチラの方が味が濃いぞ。


その味を解説するに、確かに味そのものは普通のホロ苦いゴーヤなのだが、何となく甘味を感じる。

いわゆる熟した果実の甘味とは違う、苦味の「奥」に微かな甘味が存在している様な、噛むと最後に少し残る感じか。
この正体はもしや、「旨み」なのだろうか?

ゴーヤも時々、苦味と同時に「エグみ」が残る個体(品種)がある。
しかし当然、今回のゴーヤには一切無く、非常に味わい深い余韻だけを残してくれている。
これでチップスとか揚げ物にしたら、更に味が引き立ちそう。

苦味と甘味と言う相反するコントラストながら全くケンカせず、その複雑な風味が食欲を増進してくれるのが心地よい。
こりゃシーハーがアンストッパブルだわい。
(※訳:箸が止まらない)


ハッキリ言って、家庭菜園で自ら育てた贔屓目無しに、これは誰が食べても納得のクオリティ。
とにかくそれ位、2つとも美味しいのだ。


この食味を数値化するに、市販品の最大値を「10」とした場合。

コチラも文句無しに満点の「10」。


やはり果実の小ささなど関係なく、「色艷+実の張り+香り」こそが味の決め手なのだろう。
それこそ、現時点までの当プロジェクトで収穫した作物の中では、最も「隙」の無い食味に仕上がった一作となりました。


とまぁ、予想を遥かに越える完成度と相成った今回のゴーヤ。

その要因については一概に断じれないが、少なくとも栽培方法そのものは間違っていなかったと言えるのではなかろうか。

かつて株の回復処置では、生ゴミやら雑草やら、あらゆる有機物をブチ込んだ訳で、果たして効果の程は不確定な部分も多かったのが実際の所。

けど、それらが本当に養分として吸収され、再び成長を促し、この味へと繋がったのだとしたら納得が行く流れではある。
そして何より、この手法を試す価値があった事になるのだろう。


無論、この方法が他の菜園や土地にも適用出来るかは未知数ではあります。
しかしながら、一つの事例として、こんな方法でも育った事実だけは証明出来た様に思います。


結果的に、これにて当プロジェクトでのゴーヤは終了。
これまで色々あったけど、何にせよ収穫物に恵まれた事に感謝するばかりで御座います。

本当に、ごちそうさまでした。



そんなゴーヤでしたが、株自体は残っているけど後は静かに経過を見守るだけとなる事だろう。


残る作物はトマトのみ。

当プロジェクトは、まだ続きそうです。



では、また、CUL。