CULrides カルライズ

発見と探究そして文化。そんな諸々の話。

食べ蒔き番外編 追熟メロンをレビューするも残念な結果になったばかりか、それが種の危機を知らせる兆候であるらしい事に思い至った話

今回は番外編として、10月中旬に収穫したメロンのレビューをば。
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まずルックスは「マクワウ似」と言った佇まいで、元々のタネであるネットメロンから何かしら先祖返りした様子でもある。

収穫時点では、まだ実が堅く食べるには厳しそうな予感がしたので、約3週間ほどかけて常温で追熟。
この11月上旬になり触ってみると、表面が全体的に柔らかくなっており、しかもヘタ周りから少し水っぽいシミが広がり始めていた為、これが潮時と判断。

今回、やっとご開帳と相成る。



なのだが、包丁を入れて二つに割った瞬間、悲劇的事実が発覚。



何と、果実の下部が腐敗していた様で、そこから黒ずんだ箇所が内部に広がっていた。
アチャー!

しかし、特にこれといった腐敗臭などは一切感じられず、むしろ普通にメロン特有の良い匂いが香ってくる。
外観上でもキズの形跡や臭いは無かったが、腐ってる訳では無いのかな?

いや、そもそも一体なぜ、こんな事に?
何か虫にでも食われたせいなのか?
その原因は全く不明である。



当然ながら、これを見た瞬間に「ダメだ、止めとこう」と直感するのだが、「いやいや、折角ここまで来たからには食味チェックせねば」と言う、ムダな義務感も芽生え始める。

そこで、黒ずんだ箇所と、そこから更に侵食していた部分をバッサリ切除し、食べられそうな所だけ切り出してみる事に。


ほんで残ったのが、こんな感じのが数切れ。
侵食が広範囲に及んでいた為、大部分を失う事となった。


でもって、一口食べてみると…。



む…。



うん…。



味、薄…。



その食味は、超薄味のメロン。
単純に、殆ど味がしないのだ。

もし甘味があるとすれば、タネ周辺の一部のみ。
いや、それですら味は薄く、どう考えても美味くないのが正直な感想。
何なら、ゴーヤのタネを包んでいた赤いゼリーの方が遥かに甘かったくらいである。
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ただし、一応フォローしておくと、追熟のお陰で「食感」自体は素晴らしく変化していた。

ジューシーな果汁が溢れる果肉は、とても滑らかな口当りで、紛れもないメロン感を楽しめる。
それは包丁を入れた瞬間に果汁がボタボタ垂れる程であり、まるで完熟した桃を切っているかのな柔らかさでもあった。



それを踏まえ、仮に市場にある一般的なネットメロンの甘味や食感を総合して「10満点」と評価した場合、今回のマクワウ似は食感が「9~10点」のほぼパーフェクト。
しかし、食味については「2点」あたりのスコアになり、かなり変則的な評価をせざるを得ないものとなる。

余談だが、この味見で体の変調などは起きておらず、まったく普通に過ごせている。
特に苦味などの雑味も感じなかったので、見た目ほどのダメージでは無かった様だ。



しかし毎回の事だが、この食べ蒔きメロンでは香りまでは何とかなるのに、甘味が全くと言ってよいほど再現されないのは何故なのか。
ここだけ元ネタのネットメロンとは似ても似つかない部分である。


まず考えられる原因としては、肥料不足が考えられる。
確かに、当プロジェクトでは「生ゴミ」や「枯れ草」などの天然素材を堆肥にしている為、一般的な肥料よりは栄養価が低いものとなっているはずだ。

ただし、過去のメロンでは一定以上の成長率に達していた個体は幾つも存在していて、今期より遥かに大きく育っていたのに、やはり甘味が全く足りない果実ばかりであった。
その一方、ほぼ同じ環境と土壌で育てているトマトやゴーヤでは、収穫された果実の大半で元ネタの品種と遜色ない味を実現していた。


この点を考えるに、「肥料の多少」と「果実の味」とでは相関性が低く、そもそも「美味しく育つタネ」であるかどうかが味の決め手に関して占めるウェイトが大きいのだろう。

この他にも、親ヅルか子ヅルのどちらで結実させるかでも味が変わるし、様々な要因がありうる。
ちなみに、今回は親ヅルでの結実であったので、余計に甘味が薄かったのかも知れない。



そう言えば、2018年の一期生でも今回と似た果実が収穫されていたが、いずれも追熟が足りず、薄味な上に果肉が堅くて随分と食べ難かった記憶がある。
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上記の結果から解るのは、今回の様に先祖返りすると食味がスポイルされるばかりか、その先代が「薄味な品種」であった場合、そこが余計に強調されてしまう可能性もあると言う事。

これこそが、食べ蒔きメロンの最大のデメリットなのだ。



この点を改善すべく、後日に収穫されたメロンについては「限界まで株に接続したまま外に放置して熟成」と言う方法を取り、追熟と同じ効果を与える事で果肉のジューシーさを実現。

これにより、薄味と言うデメリットを随分フォロー出来ていたし、前期に収穫したものと後期に収穫したもので比較すれば、圧倒的な食感の違いが生まれていた。
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今回の結果から言っても、やはりメロンは「限界まで熟成させる」方が、明らかに食味の向上に有効である。
更に、出来れば「株そのもの」が枯れる限界まで放置しておき、ギリギリまで栄養供給を受けられる様にしておく方が、より熟成具合が高まるのでは無いかと考えられる。

これは食べ蒔きに限らず、他の「普通の品種」でも応用可能であると思われるので、試してみて損は無いかなと。

ただし、外に放置するにせよ追熟するにせよ、その間に虫に噛られたり、どこかキズが入っていた場合、保管中にイキナリ変色したり腐ったりしてしまう点には要注意であります。



ちなみに、今回の果実に入っていたタネは、外見上では成熟しているにも関わらず、全て中身がスカスカのハズレであった。

そう、すなわち、このタネでは次世代が生まれて来ないし、世代を重ねる事も叶わない。
言ってしまえば、「ここで終わり」なのだ。


そう言えば以前にも、一期生で収穫したメロンのタネでは発芽率が極端に低かったり、あるいは生命力が弱く枯れやすいと言った現象が起きていた。
「自分のタネ」で三世まで続いているゴーヤと比べて、そこが同じウリ科でありながら大きく違う点である。
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では今回の様に、なぜ作物は先祖返りして、あまつさえタネの中身が機能不全を起こすのかについて個人的な感想を述べるとすれば、「今の姿(品種)のままでは周りの環境との調和を乱す恐れがあるから」ではないかと考えている。


その理由として、大きく育ち過ぎれば土地を広く占有するし、甘く美味しくなり過ぎれば土壌の養分を使い果たしてしまうなど、それによって「他の生命が使おうとしていた分」まで奪う事になるだけでなく、ゆくゆくは自分達まで生存出来なくなる事態をも発生させかねない。
更に、大きく美味しくなるぶん昆虫や野生鳥獣などの外敵にも狙われ易くなるほか、それらの食料が増える事で余計に勢いづかせるリスクすら発生する。

要するに、「資源の独り占め」を起こさせない様に、あるいは「生態系のバランスを保つ」意味で、一定水準まで進化(交配)した段階から、強制的に遺伝子がリミッターやストッパーをかけたり、あるいは一度リセットしようとしているらしいのだ。

別の言い方をすれば、そういった極度にエネルギーを収集しまくる様な姿形と性質のまま世代を重ねたり、ましてや更に資源を求めようと進化するのは、「自然界としてはダメ」と判定されてしまう訳である。



以上の観点で考えた時、今回のメロンや他の作物なども含めて、食べ蒔き(実生)では生育が安定しない事や、その果実の食味が再現されない事にも理解が及んでくる。

だがしかし、大きく美味しくなる様に進化した反動として、まさか「次世代が劣化する事で自然界のバランスの歪みを解消する役目」を負うことになろうとは、何たる不条理だろう。

それはまるで、なんだか種の終焉を表しているかの様でもあり、一種の侘しさを覚えなくもない。



せっかく今期初のブツ撮りだったのに、図らずも重いテーマを突き付けられたかの様な気分。

しかし、そこから現代の作物が抱える重大な課題が露となるのでありました。




では、また、CUL。