CULrides カルライズ

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超仮説シリーズ・発達障害が存在する真相 第1回「発達障害も必然により生まれた」

これまでに得られた経験と知見を基に、この現代に「当事者が存在する理由」の真相を解き明かすべく迫るシリーズ。

🌑LGBTが存在する真相🌑
culrides.hatenablog.com


前回までのLGBTの考察に続き、今回からは発達障害に関する仮説を展開してみたいと思います。


その定義については既知の通りなので要約するに、アルペルガー、自閉症ADHDなど、症例は広範に及ぶ。
従って、この記事では便宜上、全てひっくるめて統一しながら記述する事に致します。


では何故、LGBTに続けて絡めるのかと言えば、この発達障害も「事の本質は同じ所にあるのでは無いか?」と考えているからです。


実際、発達障害についてメディアなどで話題になる場合、やはりLGBT同様に福祉や人権への言及が中心。
その意味で、彼ら当事者に対する一般的な認識や扱い方は、概ね共通していると感じられる所。

しかしながら、それでは表面上の事象に対応しているだけの話に過ぎず、本当の意味で理解した事にはならないと思うのです。

前回のLGBTにおいて、「そうなったからにはそうなる理由がある」と述べた様に、本当に発達障害として「普通の人」と乖離したキャラクターを抱えているならば、そこに至るメカニズムが何処かにあるはずなのだ。


ましてやLGBTでも発達障害でも、当事者からすれば苦悩したくて難儀している訳では無いし、むしろその生きづらさから解放されたいし解決もしたいのは間違いないでしょう。

一応、世には様々な民間療法や自己啓発の様な意味でのフォローはあれど、それはあくまで「その人のケース」であって、これらの症状が幅広い以上、包括的な意味での救いとするには限界が残るはずです。


とは言え、当記事も結局は個人的な経験と見解に基づく話である事をお断りせねばなりませんし、それが救いとなるかどうかも未知数ではあります。

しかし、何か、何でもいいから、「そんな考え方もあるか」と、一つでも理解が進む様に、解決の糸口となれる様に、この発達障害が存在する背景について体系的に纏めながら、一連の流れを解説してみたいと思うのです。

例の如く文字ばかりの長文となるのですが、そこは暇つぶし程度にコーヒーorお茶など飲みつつ、最後までお付き合い下さると幸いです。


🌑発達障害も必然により生まれた🌑

さて、先ず結論から述べてしまうに。


発達障害とは自然現象」であり、究極的には恐らく、「種の絶滅を防ぐ為に生まれざるを得なかった存在」


なのであろうと考えられます。


「いや、それではLGBTの時と同じ結論ではないか?」

と思われるかも知れないが、ハッキリ言ってこれが真相であろうと思っている。


こう言うと当然、「種の絶滅を防ぐ?でも、生存に不利な性質では逆に種が減る原因とならないか?」

と感じる方々も多い事でしょう。


勿論、それもごく自然な感想であり、実際に自ら生きるのが難しい状況にある当事者の方々が多く存在する以上、結果的に「人口の減少」を意味するであろう事もまた事実。
あるいは、当事者が増加する事により社会の停滞を招き、いわば種の勢力そのものが低下して行く「逆淘汰」と呼ばれる現象についての認識は、社会通念では常識とされている節さえあるだろう。

しかし、これはあくまで表面上の話であり、上の結論へ至るには更に深く多面的な要素が絡み合い構成されているのが実相となる。

様々な点から検証を重ねて行くと、どうやら「そんな単純な話では無い」事が明らかとなってくるのだ。


ここで一度よく考えて頂きたいのが、

「何故わざわざ不完全な状態で生まれなければならないのか」

についてである。


もし仮に、発達障害に遺伝的な要因が由来しているとしても、その種(人類)を進化させたり繁栄させたりするにあたって、生存に不利なまま生まれて来るのは確かに不合理である。

あえて言ってしまえば、その親世代は子孫を残すにあたり誰しも「心身ともに健康な子供」をイメージしていたはずで、まさか「生きづらさを抱えて生まれて欲しい」などとは露ほども思っていなかった事だろう。
それこそ、先代はより良い遺伝子を残す為に、お見合いや紹介あるいは恋愛を通し、健全とされるパートナーを選んで来たはずなのに。

これを翻せば、むしろ現代では「定説」が通じない状況、いわば「生物は進化するもの」であるとか「優位性のある方が子孫を残す」とは逆の現象が起きつつあると言う事になる。


また、この発達障害LGBTとで共通するのが、やはり先進国での増加が強く印象付けられている点である。

そう言った国々においては、医療も福祉も発達し、間違いなく子孫を残すに有利な環境が整っているにも関わらず、いまだ抜本的に解決した例はまず聞かれない。
どちらかと言えば精神科による対症療法などが中心となるのだが、それでも症状が一時的に緩和するだけで本質的な苦悩に対する効果は薄い印象でもある。

即ち、どれだけ社会が発展していても一定人数が当事者となるだけでなく、どうにも「医療や福祉とは違う意味での捉え方」が必要なのだろうと推察出来るのだ。


これらを有り体に言えば、「幾つか交配した中で最も優秀な個体が生き残る」のと並行して、社会福祉が充実するにつれ「本来は弱かった方の個体」の生存率が高まった影響も有り得るだろう。

故に、これがもっと衣食住に不便していた「昔の環境」だったとしたら、残念ながら生き残れなかったであろう可能性は否定出来ず、それもまた生物として生まれた以上、厳しい現実として受け止めざるを得ない部分でもある。


しかしその一方、言い方は悪くなってしまうが、幾ら先代が強く優秀であろうと次世代が優秀になるとは限らず、急に劣化してしまうパターンの様な例は皆さんも何処かで見聞きした事があるはず。

無論、これは先代の実績と比較した上での話なので単純に対照化は出来ないが、いわば「選ばれた優秀な人」の子孫であっても性格に偏りが出たり、何故か「先代ほどの能力ではない」と言った傾向が出たりするなど、必ずしも次世代が受け継ぐ訳では無いのだ。

また同様に、「良い家系」である方が子孫も知能指数や運動能力が高くなる傾向にあるのは事実だとしても、それは元々身の回りにあった「環境」に強く影響されていたからこそ優秀になった部分が大きい。

つまり、それを言い換えれば、別の環境で生まれていれば、また別の性質や能力が表出するだけでなく、「別の人格」として育つ可能性があると言う事でもある。


この時点で、「優秀な遺伝的+優秀な遺伝的=優秀な子孫になるとは限らない」事がお分かり頂けるだろう。

いわんや今現在において優秀とされる人や当事者をバカにしてる人も、たまたま環境やら性質やら能力が「上手い具合いにハマッた」と言うだけの話で、何か一つ歯車が違っていれば結果も違っていた可能性が高い。

つまり、いくら優秀で健全な遺伝子が生き残るだのとゴタクを並べようが、その子孫が受け継ぐかどうかは全くの別問題。
そもそも生物が生き残るにあたり、遺伝的要素と環境的条件との無数の組み合わせ次第で性質や能力、そして生存確率さえ大きく変動するのだ。

しかも、それは仮にどんな高学歴で高収入な家庭であろうと、いや家庭環境や場所を問わず、その時に置かれた状況により一定人数が何かしらの障害として診断を受ける当事者となりうる事も意味している。

それはまるで、あえてその姿で存在させる必然性があるかの様に。


では、これらの経緯を重ねる中で、発達障害として生まれる「理由」とは一体何なのか?

次回より詳しく解体して行きましょう。



では、また、CUL。