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超仮説シリーズ・発達障害が存在する真相 第2回「発達障害=先祖返り説」

これまでに得られた経験と知見を基に、この現代に「当事者が存在する理由」の真相を解き明かすべく迫るシリーズの、第2回。

🌑LGBTが存在する真相🌑
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🌑発達障害が存在する真相🌑
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今回からは「発達障害として生まれる理由」について、様々な角度から検証して参りましょう。


🌑発達障害=先祖返り説🌑

さて、この発達障害が存在する謎を解くにあたり、「何故その先代までは生き長らえて子孫を残せたのか」も重要なファクターとなる。

もし仮に、現代において本当に当事者の人口が増えたのだとしても、その先代には確かに自力で生きて子孫を残せるだけの能力があった事になるからだ。


もちろん、前出の通り時代と共に医療や福祉が発達したお陰で、本来であれば生き残るに不利な性質であったとしても、それらの恩恵に与る事で生命を維持していた部分があるのは間違いない。

これは過去と現代で平均寿命に20~30歳ほどの開きがある点でも明らかで、先代達の「生きれる期間」が延びたからからこそ子孫も生き長らえ、結果的に人口も増えて来た側面は大いにある。
またあるいは、より強い個体を目指し進化する中で、代々続くネガティブ要因を克服しながら、次世代へと繋げられた部分もある事だろう。

翻せば、その先代達も生きづらさを抱えながらも細々と次世代へと繋げていた中で、やがて近代医療で各々の「性質の傾向が可視化」され易くなり、現代の世代あたりから本格的な統計として現れ出したとも言える。


しかし、しかしである。

何度も言う様に、それでも子孫を残せていた時点で、「まるっきり不利な性質では無かった」からこそ今に至るのだ。
これは、本当に病弱であるとか精神的な問題があったとしても、「その時代の、その時点」までは生き残れる個体だった証明でもある。

つまり、症状が可視化されるにつれ、今度はネガティブ要因として強調される部分が大きくなり過ぎてしまい、「本来は普通に生きていたであろう姿」を隠してしまっている可能性もあるのだ。


そこで現代になり起きていると考えられるのが、いわゆる「先祖返り」説。


そう、今この発達障害に定義されている様々な症例は、実は先祖達が元々持ち合わせていた性質であり、それが何かしらの理由により現代において顕著化しているものと考えられるのだ。

であるなら何故、進化したはずなのに先祖返りする必要があるのか?
また何故、現代では生きずらい性質が先代に備わっていたのか?


それを紐解くカギとしては、「先住民の社会」が参考になる。


言わずもがな、彼らは非常に原始的な生活スタイルを維持している。

その基本的な構造としては、小さなコミュニティを軸にして、季節や気候を敏感に察知しながら、海川や山林を駆け獲物を追い、時に他のグループと縄張りを争いつつも利害が一致すれば協力し、天変地異あらば吉凶を占う。

などなど、ステレオタイプに捉えれば、よく見聞きする部族らしい日常の風景である。


しかし、ここで注目すべきは、これらの生活を営むには「ある性質」が必要不可欠な点である。
そこから発達障害へと繋がる側面が浮かび上がるのだ。

その具体例を以下に列挙してみよう。


・[小さなコミュニティが軸]
この方が獲物を分配しやすいだけでなく、気候の変化に合わせ移動する時など重要な決定事項で連携しやすい。
逆に、大人数では動き難くなるだけでなく、分け前が少なくなったり意見が纏まらなくなったりと、グループ内での小競合いが増えて自分のパーソナルスペースや縄張りも侵害され易くなり、ストレスも大きくなってしまう。

それを防ぐ意味で警戒心などが備わっているのだが、これが時に「自閉的」な傾向として強く顕れるほか、発達障害の症例に限らず、人混みや騒音の激しい場所、あるいは大きな組織などでコミュニケーションを避けがちな人の行動心理とも関連しているものと考えられる。


・[季節や気候の変化を敏感に察知する]
そもそも環境の変化を察知出来ない場合、逃げる事も対処する事も出来なくなり生存率が格段に低下してしまう。

いわば生物としての必須能力であるが、その能力を使う機会が減少した現代人においてはコントロールが上手く行かず、時に「過敏症」や「神経症」などの極端な形で顕れてしまい、その感覚が拡大されるにつれ病気や障害とみなされる事になる。


・[海川や山林を駆け獲物を追う]
これは運動能力だけではなく、視覚や聴覚など複合的な機能がセットになる事で発揮される。
この能力により、絶えず動き回り、あちこちに視点を変え、何か気になる所を念入りにチェックしたり、些細な変化を感じる事で移動時の安全を確認したり、果ては狩りの成功率をも向上させられるのだ。

この性質は現代において、いわゆる「多動」の元になっているものと考えられるほか、場合により「偏執的」であるとか「注意欠陥」などと診断されるものと考えられる。
だが、実際は「変化に敏感」なだけであったり、「興味」が強く反映されている事が殆どなのだが、この能力が突出するほど日常生活とのバランスを失う要因となってしまう。


・[時に他のグループと争いもすれば協力もする]
これは発達障害に限った話では無く、そもそも闘争本能自体は自分の身や集団を守る為に元から備わっている能力であり、しかも「何を守りたいか」により怒りのポイントも個々人や集団で違う事が多い。
これは多分だが、怒りや闘争の理由も多様化する事で、「つけ入られるスキを塞ぐパターン」を幾つも用意して、種の生存確率を担保しているのかも知れない。

それが現代においては、このスイッチが入り易い人やズレている人に対し、一種の「癇癪持ち」と捉えられる場合はあるだろう。
反面、単に暴力的なだけでは群の中で孤立してしまうので、その代替的な性質として「認めた仲間には優しい」などの面も出る事となる。
それら原始的な感情表現の難しい現代では、時に「情緒不安定」な傾向として顕れるものと考えられる。


・[天変地異あらば吉凶を占う]
一見すればスピリチュアルやオカルトに該当するので、生物にとっては無用にも思えるが、それでも先祖代々より備わっているからには必然に違いない。
これは恐らく、天災や疫病など、もはや環境の激変に為す術を失った時などに「可能性を見出だす為の最終手段」として獲得した能力では無いかと考えられる。

これが部族社会であれば時に呪術にも転化する訳だが、いずれにせよ「感情的な追い詰まり」や「勘繰り」を生んだり、あるいは「現実的な解決が困難そうな場合」になると自動的に発動するのだろう。
この能力が顕著化した場合、現代では「統合失調」などの症例が示される事となる。


さて、上記をご覧になって、どう感じるだろうか。

そう、これら能力の大半が先住民社会で生き残る為には「必然」かつ「不可欠」であったと言う事。

現代人も、かつては彼らと同じ原始的な生活を営んでいた点で共通しているのは御存知の通り。
本来なら誰しも同じ能力を持っているのだが、現代社会では殆ど使い道を失なってしまったので、代わりに「社会生活に特化した機能」をメインに切り換え、無意識の内にコントロールしているだけ。

それが近年になり、何かしらの理由により突出してしまった人々が、発達障害として診断されているのではないかと考えられるのだ。


となると、「だったら社会生活に特化した機能だけ備えれば良いし、古い機能なんてトラブルの元になるなら要らないじゃないか」。

と思われる方もいるかと思うが、事はそう単純な話では無い。


この項目における「先祖返り」とは、言い換えれば「先祖返りせざるを得なかった」と言う意味でもある。
それを翻せば、今は使う機会が少ない能力なのに、「まだまだ先代達の性質を反映させておかなければならない理由がある」と言う事なのだ。


では、その名残りが突出した人々が今になり次々と現れているのだとすれば、それは何故なのか?

ましてや、生きづらさを抱えるリスクを負ってまで先祖返りする理由とは何なのか?


次回も続けて検証してみましょう。



では、また、CUL。