CULrides カルライズ

発見と探究そして文化。そんな諸々の話。

超仮説シリーズ・LGBTが存在する真相 第7回「社会が複雑化するほどスイッチが起動する」

これまでに得られた経験と見解を基に、LGBTとなる真相を解き明かすべく迫るシリーズ、第7回。
culrides.hatenablog.com


今回は「どの様な状況で遺伝子のスイッチが入るのか」について話を展開して参りましょう。


🌑社会が複雑化するほどスイッチが起動する🌑

さて、前回までの仮説に倣った場合、少数民族や部族社会ではどうなのか?


先述した通り、いわゆる発展途上国などを例に取れば、そもそもカミングアウト出来ない社会なので、統計的に表れ難い状況である事は間違いない。
その意味では、保守的で社会的な抑圧が強く、異端扱いの果てに存在そのものを潰されてしまった例も多かった事だろう。

だが、もし、本当にLGBTとなる確率が低いと仮定するに、そこにも理由があるはずだ。

そこで考えられるのが、やはり親世代から先代にかけて如何なる「情勢」の中で過ごして来たかがカギを握っているかも知れない点である。


例えば、昔ながらの部族社会を営んでいる場合。

基本的な人口密度は薄く、また栄養状態や衛生状態も良くないので、根本的に死亡率が高く平均寿命は低い傾向にある。
そういった社会では筋肉量の多い男性の方が狩りや戦いに適しているので、常に性別がハッキリしている方が社会を維持しやすくなる。
そして、そう言った社会では昔ながらの役割分担がシンプルなので、実は女性としても立場や精神状態も安定している。

即ち、そもそも人口が減るのは死活問題であるし、またその社会に対する「疑問」や「葛藤」などのストレスを抱くシーンが少ない。
いわば、「生きる事にシンプル」でいられる環境なので、無闇に遺伝子のスイッチを入れる必要が無いと考えられるのだ。


更に、発展途上国では紛争問題に直面するシーンも多い。

この場合、常に生命の危機に晒されている状況となってしまい、やはり人口密度を低下させる事は絶滅へと繋がってしまう事になる。
いや、それならばスイッチを起動して社会が安定化するまで争う人口を増やさずにいた方が好都合に思えるが、どうやらそれは違うらしい。

何故なら仮に人口密度が高くとも、その様な苛酷な情勢では、いつ何時、大量絶滅が起きるか分からない状況にある。
また、そういった国々では弱肉強食の傾向も強いので、やはり男性的な性別を残す方が戦いに有利となろう。

つまり、常にハッキリとした性別を維持しながら「子孫を残し続けておかねばならない」状況が世代間で続いている以上、やはりスイッチを起動する必要が無いと遺伝子が自動的に判断していると考えられるのだ。
これもある意味では、その形がどうあれシンプルに「ただとにかく生きる」と言う状況にあるからこそだと言えるだろう。


翻って、先進国の状況はと言えばどうか。

表向きは経済的に繁栄し、栄養状態や衛生状態も良く、安定的に過ごせる環境にある。

そこは紛れもなく子孫を残すのに好都合な環境にあるだけで無く、実際の死亡率も低いので自然と人口も増える事になるし、そうなる様に努力してきたからこそ繁栄出来たのは間違いない。
同時に、社会情勢も安定している傾向にあるので、特に遺伝子のスイッチが起動する状況でも無い様に思える。


しかし、この繁栄とは、実は幾つかのデメリットと隣あわせの状態でもある。

そのデメリットとは例えば、あまりにも豊かになり過ぎて、これ以上の人口増加による繁栄は逆に「資源の共食い状態」を生みかねず、自らの生息環境を汚染させるリスクがある事。

そして、その社会を安定化させる為に、今度はシステムが高度に複雑化するあまりプレッシャーが高まり過ぎて、いわば「自然な生命体」として生きるにはストレスの許容範囲を越えてしまいかねない状況が起きてしまう事である。

この構造を日本に照らし合わせた場合、少なくとも近代化が進んだ明治期から第二次大戦までは、まだ医療も未発達な部分や栄養状態の良くない状況もあったりと、実際に死亡率が高い時代を過ごして来たからこそ、子孫を残しやすくする為に、わざわざ「健康な男児」など意識付けしたりなどで、まだ性別がハッキリとしている必要があった。

しかしその後、高度成長を境に今度は人口の過密化が進み、同時に社会の構造も急激に複雑化。
それと並行して、安定化させる為のルールやしきたりが続々と追加され、それ以前とは違った形での精神的な抑圧傾向も高まり続ける事になる。

また、その様な環境下では群れの中での「役割り分担による助け合い」よりも、どちらが「群れの優位に立つか」の競争力が過剰に激化しがちとなり、ストレス因子が増大していく様にもなる。

これらを解りやすく例えれば、近代化が進むほどに会社のポスト争いや嫁と姑のいさかい、はたまた学歴偏重の受験競争などなど、「実際に生存する事」とは関係の無さそうな事に力を注がざるを得なくなっている状況が該当する。

この様に、社会が発展するほど生きる事の本質から離れるだけでなく、いわば生命体としてシンプルではいられなくなるのだが、これを平易に表現するならば。


「社会環境が複雑化するからパーソナリティー(ここでは性別)も複雑化する」


と言う事になり、やはり一連の仮説とも符号する様になる。

つまり、近代化する過程において、もはや先代がシンプルに生きられない環境だと感じた事で、スイッチが入りやすい状況が発生していた。

もっと大袈裟に言えば、遺伝子が「ここで繁殖を止めておかねば先々マズイ事になる」であるとか、「生命として生息しづらい環境になっている事を知らせよう」と察知(判断)した事により、自動的にスイッチまで入力されてしまった。

そして、その影響が次世代へと反映された結果が、現代のLGBT当事者という事になるのです。

もしかすると、その意味でLGBTとは、「社会の発展と引き換え」に誕生せざるを得なかった存在とも言えるのかも知れません。


となると、ここで1つ思い出されるのが第5回で触れたオオトカゲの話である。
culrides.hatenablog.com


彼ら(彼女ら)は、頭数調整の為にメスしかいなかった環境の中で、「何かしらの理由」によってオスを生んだと述べました。
そして、魚類から爬虫類、そして哺乳類に至ったのが進化の過程であるならば、人間にも「共通した遺伝子のスイッチ」があるはずだとも述べています。


実の所、この現象は近年において人間の「男性の精子の量」が減っている事とも共通点がある様に思えてならない。

要は何が言いたいかというと、現在の環境で「男性的な性質は不要」と遺伝子が感じていれば、実際に精子も減るし次世代も草食傾向になる。

しかし、「また男性が必要」となれば、再び精子が増えて本当に「男性を生みやすくする」スイッチが入ると考えられるのだ。
それは、例のオオトカゲの様に。


そうなると、やがて現在の先進国で人口減少が落ち着いた遥か先の時代に、今度は再び性別を明確にさせるスイッチが働き、男性が増える事も有り得るのではないか。

現代とはつまり、魚類の項目で「変化の過渡期」と表現した様に、環境が好転したり自らの適応が完了するまでの実験的な期間なのかも知れない。

それは即ち、社会が「最適化」する様に、遺伝子のスイッチによって、性別的な指向まで「自動調整」されていると言う事になるのです。

では、そのスイッチが「発動する人の条件」とは何なのか、次回に続けて行きましょう。



では、また、CUL。