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国有林伐採の解決策 第2回「みんなオラに力を分けてくれ」

これまでの経験と独自の観点から、国有林伐採の解決策となりそうなアイデアを綴るシリーズ、第2回。
culrides.hatenablog.com

今回は「みんなの力を分けてもらう」事について記して参りましょう。


🌑みんなオラに力を分けてくれ🌑

では、前回から引き続き、なぜ小学校が解決のカギとなるのか。


そこには先ず、「絶対的な在籍期間の長さ」が挙がります。


言わずもがな、日本の小学校は6年間の在籍期間がある。
そう、この小学校の6年間とは、苗木を育てるに時間的な余裕が多く、根が張り幹が伸びるまでジックリと待つ事が可能なのだ。


何故、そう断言するのかと言うと、これは僕の実体験に由来するのだが、かつて小学一年生だった頃の事。

どこかの山で拾ったクヌギのドングリを、家の適当な敷地の、しかも狭いし日当りも悪い隙間みたいな場所に植えた所、暫くの後(時間的には忘れたが一年以内だったはず)に発芽。
そのままジワジワとスローモーながら成長を続け、小学校を卒業する頃には苗木を越す程度の姿となり、数十年の期間を経たのち立派な「木」となっていた経験に由来する。
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ちなみに、同じ頃に植えたビワも現在までに相当な背丈へと成長していたので、いずれも環境さえ合えば樹木のタネは意外と発芽するし成長もする様子を確認している。

要するに、小学校の期間中ならば相当な成長が見込めるうえ、場合によっては複数種類の樹木を揃える事も不可能では無いのです。


その次には、「絶対的な敷地スペースの広さ」が挙がります。


ご存じの通り小学校の敷地は広く、花壇や植込み以外にも校庭の端や体育館の裏など、実際には使われていないスペースが多い。
また、もし屋上が使えるならば、日当りもよく植物にとっては文字通り「この上ない」空間になる。

それらデッドスペースにポットを置く事により、間違いなく相当数の苗を用意する事が可能となるはずだ。


ただし、現在では危機管理の点から屋上が使われていない小学校が通常であろう。
一応の妥協案としては、柵を設けてある場合ならば、一時的に授業で開放する事は可能だと思われる。

例えば、一時に屋上に出る人数を決め(教員が監督可能な少数)、必要最低限の時間内で、必要な人数により、ポットの移動や水やりだけこなす、いわばヒット&アウェー方式などにすれば、事故のリスクを軽減出来るかも知れない。


そして最後に、「絶対的な人員の数」が重要な要素となります。


この小学校を、いわゆる1つの組織として見た場合、在籍する生徒数すなわち人員は非常に多いと言えるはず。
現在では少子化していると言えど、都心部などであれば概ね一学年あたり100人以上は居ると仮定されるが、差し当たりその人数自体は問題では無い。

例えばの話、もし全国の小学校で、小一から小六までの期間に、全員が苗木を育てたとしたら。
そして、それが「小一からタネを蒔く行事」として次代の新入生に受け継がれたとしたら。

結果的に、育つ苗は膨大な数に及ぶ事だろう。


勘の良い方はお気付きかと思うのですが、ここで僕がイメージしているのは以下のフローになります。


①小一の新入生が遠足した際に、現地でブナ科などのドングリや実を拾い集める。

②小学校の在籍期間中、ひらすら敷地内で育てる。

③小六の卒業前に、やはり遠足で植林を体験したり、あるいは提携する業者へ受け渡しを行うなど、様々な形で放出する。

④①~③を繰り返し。


この様な流れが想定される。


これが実行された場合、それはまさに絶対的な物量となり、全国のあらゆる山林や荒れ地へと活用される糧となるはず。
仮に、それら植樹した先で土砂崩れなどの災害や、野生動物の食害により苗が壊滅的被害を受けたとしても、予備が大量にあればリカバリーのスピードが早くなるのは間違いない。

もっと言えば、造林業者では再生用の資材確保に限界が出たとしても、小学校が代替品や余剰分をキープしていると言う算段なのだ。


これぞまさに、「全国のみんな、オラに苗を分けてくれ!」の極みなのです。


しかし、ここまで書いても、「つまり子供を利用してるだけじゃないか」と言った疑念を抱かれる方もいらっしゃるはず。

いや、確かにそう言った側面もあるにはあるのですが、今一度改めてお断りしたいのが、決して「利益」を主導する為では無いのです。


もっと何と言いますか、あえて表現するなら、「その子供達の未来に関わる重大な話」になってくるから、そうせざるを得ない気がすると言うか。
むしろ今、手を打たないと次世代どころか、自分さえも危うい事になりかねないと言うか。

あるいは、「山や緑があって初めて自分達の住む環境が成立している」事が解らなくなり、そこから生まれる資源を大事に扱わなくなるんじゃないかと。
大袈裟に言えば、自国の山林を「自分達の手で育てて守っている意識」が薄れる事で、本当に「国土」そのものを維持する力が無くなってしまうんじゃないか。

つまる所、誰かが少しでも始めないと、「間に合わなくなる」様な気がするのだ。


なので次回からは、もう少し具体的な手法について記してみましょう。



では、また、CUL。