CULrides カルライズ

発見と探究そして文化。そんな諸々の話。

食べ蒔き番外編 実生に拘る理由

前回までは、様々な果樹をタネから発芽させる為の方法と、その経験談を記して参りました。

culrides.hatenablog.com

culrides.hatenablog.com

culrides.hatenablog.com


一連のアプローチとプロセスについては上記リンクを参照するとして、結果的に「発芽させて苗木にする」事までは証明する形になったと言えます。



そんな今回は、これら実生の果樹から得た総評と言うか、今後の農業に関する思い当たる節について、その課題や解決策などを考察して行きます。


まぁ、いつも通りウンチクマシマシゴタクカラメノーガキチョモランマな文章が主体なのですが、これがまた示唆的な姿が浮かび上がって来たりで、ならば今一度、記事化しておこうかなと。


では、いざ。


🌑自ら生き残れない植物たち🌑

さて、これまで当プロジェクトの作物、そして実生の果樹を通した観測結果として。



「実生では次世代の性質がバラついて生育が安定しない」。


またそれにより、


「劣化したり先祖返りしたりで果実の品質もバラつく」。


などのデメリットがあると記して来ました。



上記は即ち、「まともに育たない」との世評を裏付けていただけで無く、「自らのタネでは繁殖が難しい」事も露になった形である。

この問題点やデメリットを解決する意味もあり、市場では「挿し木」や「接ぎ木」でクローン化した果樹が主流となっている。


無論、この手法は安定した生育と収穫を目指す意味では全く正しく、そして非常に効率性が高い事も間違いありません。
大体、同じ性質のクローンを揃えた方が無駄が少なくて済みますし、品質だって担保されます。

それこそ、次世代がカオス化するのが解っていて、しかも、成長に時間のかかる実生などと言う非効率的な試みなど、やる意味すら無いと言われても仕方無い所ではありましょう。



ただ何故、そこまでして実生に拘るのかと言うと、上記の様に自らのタネで繁殖出来ない果樹や作物が主流となっている場合、あるリスクを引き起こす可能性が高まるからでもある。


そのリスクとはズバリ、「環境変化が起きた際に大量絶滅が起きかねない」と言う事。


それを防ぐ手段の一例として、クローン以外の様々なアプローチを模索し構築する必要性があるのではないか。

あるいは、改めて植物自身が持つ生命力や免疫力を発揮させる為に、一種のルーツ回帰がカギになるのではないかと考えているからであります。

f:id:culrides:20191219143420j:plain


では何故、この大量絶滅が起きるのか、その解決にルーツ回帰がカギになるかの理由を説明するには些か記述量が必要になる為、手短にお伝えする事が難しい。


しかし端的に結論から述べるならば、「同じ様な性質のクローンは、その環境に最も適応しているが、それ以外の環境には全く適応出来ない」。

それに対し、「実生で成体に育った個体は、それだけ生命力が強いか、その環境へ適応した性質となりやすい」。


と言った現象が起こりうるのだ。



そのメカニズムを以下に簡単に記して行こう。



例えば、ここに「X」と言う品種があるとして。


それは「AからBの地域」に該当する環境に最も適応した性質であるので、当然ながら移植したりする場合には、「AからBに似た環境」での栽培が推奨される事になる。

ここで言うABとは、「環境的または気候的条件」を指しており、そこにCやDなど緒条件が追加される事で、組み合わせが様々に変化する。


これをブドウなどで例示すると、主に「冷涼で昼夜の寒暖差が大きい地域」で育てている品種を、同じ様な気温と環境にある別の地域に移植して栽培しようとしたら、そこが実は「湿度が高くカビ等の病害虫が発生しやすい場所」だったりして、なかなか上手く行かない現象に象徴される。


これはつまり、「A(冷涼)からB(寒暖差)を満たす環境」だったはずの場所は、本当は「AからBの他に、C(湿度)もある環境」だったが為に、生育に適していない事が判明した形となる。

いわば、この「些細な違い」が植物にとって「大きな違い」として体質にも顕れたのだ。


その他、高山植物などは温度変化に敏感で、「その場の環境に完全対応」しているが故に、「その他の環境では生きて行けない」品種が多く存在する。
事実、昨今の温暖化の話題に付随して、これらの植生が荒れ始めていると言った話を聞いた事のある方もいらっしゃるはず。



この様に、たとえ表向きは似たような環境であっても、些細な要素の過不足があるだけで、作物や果樹は急に体調が悪くなったりダメージを受けたりする。

それは、ほんの僅かな「点」が違うだけの話なのに、である。


🌑自らの身を守れない植物たち🌑

上記の事例をクローンの話に戻すと、クローン化させた植物は概ね「全て同じ性質(体質)」である以上、何かしらの環境変化が起きた時、例えば病害虫などが発生した場合に「全て同じ位のダメージを負う」と言う意味でもある。


これは近年、外来種のクビアカツヤカミキリによる桜の食害が象徴例で、今のところ自らの免疫機能では歯が立たず、人の手によって防戦に応じているのが現状である。
しかも、その対処法も患部に薬剤を注入したり、樹木自体を丸ごと切り倒すなどで後手に回っており、抜本的な防除手段が確立されていない。

また、近代における代表的な品種はクローン主体で増やして来た事もあり、遺伝子的には単一化されているので、その樹木を守ろうにも「同じ事を繰り返すだけ」にもなってしまう。


これはつまり、その樹木の「抵抗力や免疫力」まで単一化しているが故に、防御方法もパターン化されて行き、やがて一歩間違えば一網打尽にされる構図とも成りうる。

何故なら、本来は植物の方も毒素を出すなど自らの身を守る為の免疫機能を備えてはいるが、その発現パターンが似たりよったりなので「敵に読まれている」し「いずれ上回られてしまう」からだ。


これら病害虫が何故、植物の免疫力を上回るかのメカニズムについては以下の記事でも触れているので、良ければ是非ご参照を。
culrides.hatenablog.com



上記の様な現象が起きうるからこそ、それらの多様性、いわば生き残りのパターンを改めて模索する必要性に迫られて来る。

さもなくば無制限に食われっぱなしとなり、本当に誰も生き残らないし、いずれ子孫すら残せない事態へと発展してしまう事だろう。

f:id:culrides:20191219143538j:plain


しかし、現代の作物や果樹の抵抗力が低下していたとしても、ならば「病害虫が追い付けないほどクローンを増やして別の場所に移植しまくれば良い」と考えそうなものであるが、残念ながらそれは火に油を注ぐ様なもの。

何故なら先述の通り、既に病害虫も「寄生できるパターン」を心得ているので、それに追い付く勢いで増殖を招きかねないからだ。


これは先述した桜のほか、果樹園の様に「特定の品種が密集した環境内」で病害虫が発生してしまった場合、間を置かず一気に全体へと拡大してしまう事例に象徴されている。


もう少し解説を加えると、仮に品種改良する場合、元となる品種は「それまでと同じもの」を使い、それらの組み合わせを変える手法が主である。

その為、根本的な体質(免疫力)は今までの品種と共通している部分を多く残す事になり、抵抗力が通用する相手が限定的であったり、効果が持続する期間も一時的なものとなったりする 。

すると、既に「旨味」を知られている以上、病害虫側も体質を細かくマイナーチェンジしながら対応してくる事になり、いずれ堂々めぐりになってしまう。
だから、未だせめぎ合いが続いている訳である。



上記は即ち、「決定的な対抗手段が無いのに数だけ増えて、ますます外敵の餌食になる」とも表現できる様相だが、その対抗手段を得るには根本的な意味で「自ら身を守る力」が必要となって来るのは明白。

と言うか、そもそも自ら身を守る力があったからこそ、先代や原種となる品種たちは生き残って来た以上、現代の作物も本来なら同様の潜在能力を持ち合わせているはずである。

f:id:culrides:20191219153328j:plain


然るに、それを解決するには「自らのタネで次世代が育つほどの生命力を持つ品種」の存在がカギになって来る。


と言う訳なのです。


🌑なぜ自ら種を残せなくなるのか🌑

この現象を説明するにあたり、まずは前提として。


これまで当プロジェクトでは事ある毎に、「現代の作物は根本的な生命力がスポイルされている」との旨を述べている。


これはメンデルの法則により、一定以上まで交配を重ねた品種の子孫は分離したり劣化したりしてしまうだけでなく、更にその子孫のタネは全く生えて来ないか、生えてもすぐに枯れてしまうなどの機能不全を起こすデメリットが最たる例である。

即ち、ズバリ言ってしまえば「現代の作物は自ら繁殖出来ず次世代を残せない性質」でもあるのだが、無論これは菜園を営む方々にとっては既に知られた話ではあろう。



では、「なぜ次世代を残せなくなるのか」の理由についても端的に述べておくと、生物は進化すればするほど「その体や生活を維持する為に更に資源が必要になる」から。


である。



これを作物に置き換えると、「より大きく栄養価が高く育つ」と言う事は、「相応の土地と養分と労力が必要になる」事をも意味してくる。


となると必然的に、「進化するほど資源が不足する」事になり、やがてその場の環境内だけでは生育を賄えない事態にも陥ってしまう。
あるいは、その資源を得るために同種間で競合関係になった挙げ句、共倒れしかねないばかりか、異種間でも奪い合いを始めかねない。


つまり、それら資源の消耗を防ぐ為に、遺伝子が強制的にリセットスイッチを入力して、わざと「次世代は生き残り難い性質」に劣化や先祖返りさせる事で、その種の勢いにリミッターをかけているのだ。

これが即ち、次世代が残せなくなるメカニズムの本質的な要因だと考えられる。



更に付け加えると、近代の品種は「甘味や旨味」を強化した引き換えに、果実(タネ)を守る為に備えていたはずの「苦味・酸味・渋味」などの毒素を失い、そもそもの抵抗力が低い性質ともなっている。


これは言うなれば、表向きのクオリティとは逆に「弱く進化した」とも表現できるのだが、当然、そのままの性質では外敵に狙われやすく、常に病害虫の被害に苛まれる事にもなる。

それ故、進化するほど栽培には手間がかかるだけでなく、生育から結実に至る「全ての面倒」を見る必要があるのだ。



となると、ますます自らの力で子孫を残せる確率が低まるだけでなく、そもそも人の手を借りねば生存すら危うくなってしまう。
このままでは、いずれどこかのタイミングで「元通り」にしないと、何かしらの切っ掛けで種族全体が滅ぶ展開ともなりかねない。


その様な状況で仮にタネから子孫が生まれる場合、異変を察知した遺伝子は手遅れになる前にリセットスイッチを入力する事で、強制的に反動を弱めようと動き出す。

これが結果として劣化などにより一時的に次世代の生命力がスポイルされたとしても、あげく全体的な個体数の減少が起きたとしても、それら犠牲の果てに「自主的に育つ個体」が生まれる事で、種の生存能力の低下に歯止めをかけようとしている。


これを例えて言うなら、猛スピードで「進化」と言う道を飛ばしている車(種族)に急ブレーキをかけて、一気に反動が返っている状態。
しかも、それで多少スピンしようが一部がクラッシュしようが、それ以上に加速を続けて周りを巻き込む様な大惨事を起こすよりはマシ。

みたいな話である。



つまり、ここで言う劣化や先祖返りとは、その環境内で「継続的に生存する」為の重要な意味がある。

これ以上に進化し過ぎて資源を食い潰さない為に、人の手に依存しすぎて生命力が弱くならない為に、そして種を存続させる為には必要であり、必然的な措置と言う訳なのだ。

f:id:culrides:20191219145713j:plain


この様に、進化するにも代償が伴うし、行き過ぎるほど戻る時の「反動」が強まってしまう。
だからこそ、その前に歪みを矯正する必要があるものと考えられる。


その進化のアクセルを踏んでいるのが人間なのだとすれば、そこにブレーキをかけるのもまた人間なのかも知れません。


🌑純粋培養するほど生命力が低下する🌑

あえて大袈裟に言ってしまえば、本来の自然界の法則に倣った環境下においては、人の手によりクローン化された作物や樹木と言うのは存在し得ないも同然の姿なのが実情である。

何故なら自然に生育している場合、果実が成熟して、タネが落ち、そこから生えるものと生えないもので分かれ、そして育つか育たないかも分かれ、やがて「成体へと生き残れる個体だけが生き残る」残酷な世界でもあるからだ。


故に、それら「生存のプロセス」を飛ばして挿し木や接ぎ木で増やした植物とは、途中経過を端折る形で成体へと生育させている為、実際には「自然界の中で自然に生きていけない」個体が相当数存在している事にもなるだろう。

確かに、同質の個体をクローン化した方が様々な面で安定するが、それら植物は生育上の大半を人の手に依存しているので、そうなるほど生命力としては弱いものになる。

いわば、「純粋培養すぎて外の世界を知らない人」みたいな話なのだ。



その様な個体が本質的な抵抗力や免疫力を獲得出来ないまま、しかも生存のプロセスを抜きに進化を続けてしまう以上、まともに子孫を残せないのも病害虫に食われやすくなるのも当然の流れ。

しかも、度重なる純粋培養により自然界では生存し難い為、タネがリセットされやすく繁殖出来ない性質にもなっているので、自らの力では種を維持出来ない。


あえてハッキリ言ってしまえば、「進化し過ぎて次世代を残せない作物(果樹)とは、その代で種族が終わり」と言う意味でもあるのです。

f:id:culrides:20191219150025j:plain


これを逆に言えば、「最初からタネで育ち成体にまで成長する」事こそが、本来の意味で生存するに適した個体の証明。


と言う事でもある。


何故なら、それら個体は成長過程において「病害虫に対する抵抗力」であるとか、あるいは「環境に適応した性質」を獲得したからこそ成長した事になり、それだけ生命力も強い。

即ち、この一連のプロセスを経てこそ、ようやく「自らのタネで継続的に子孫を残せる個体」の基盤となる訳です。


🌑植物の個性を増やせば対応の幅が広がる🌑

では、上記までを踏まえ、本題の「実生で作物や果樹を育てる」話に戻そう。


この記事の冒頭、そして一連のシリーズにおいては、「実生では次世代の性質がバラつき生育が安定しない」との旨を記している。

となれば必然的に、やはり食べ蒔きだの実生だのでは育つ確率が低すぎて、やる意味すら無いと言うのも強ち間違いではありません。



しかし、生命は「種の保存」と言う本能を根源に備えており、生まれたものは自らの子孫を残すべく、何かしら「形」を残そうとするもの。

それが仮に、どんなに貧弱で、頼りなく、短命でもである。



確かに、先の項目において「次世代を残せない作物(果樹)とは、その代で種族が終わり」との旨を記してはいた。
だが、本当に子孫を残せないのでは、本当に絶滅する事態にも陥りかねない。

逆に言えば、それを防ごうと「生き残りのスイッチ」が、何かしらの切っ掛けにより発動するものと考えられるのだ。


その証拠に当シリーズでは、「どの作物も劣化し矮小化していても開花や結実を試みようとする」現象を度々観測している。

例えば今期のトマトは、どんなに背丈が低く貧弱であろうと、成長率の高い株と同時期に開花し結実をしていた。
また同じく、矮小化したカボチャやメロンも結実までは行かずとも、大半は開花までしていた。


この現象はつまり、表面上は生存に適していなさそうであっても、実際は「限界まで生きようと試みた」と言う事。
そして、「どうあれ子孫を残そうと試みた」表れでもある。

f:id:culrides:20191219150921j:plain


それを踏まえた上で結論を述べておくと、この食べ蒔きや実生を試み続けた先々において、「自ら生育し子孫を残せる個体」が出現するものと考えている。

勿論、それには土壌や気候など、特定の条件が揃ったシチュエーションでないと発現しないパターンもあるに違いない。


しかし、それら作物の先祖にまで遡れば、過去の環境変化を乗り越えて来た品種が存在する以上、出現の可能性は僅かであれ確かに存在する事になる。

いわば突然変異の様なものであるが、この「種の保存」に従うならば、諸々の遺伝子のリミッターやリセットスイッチを乗り越え、本当の意味で適応したもの、即ち「新種」が誕生するはずなのだ。



この新種のバリエーションこそが、環境変化に対応する為のカギとなる。


何故なら、これら新種は先の項目で述べた「成長のプロセス」を乗り越えたからこそ、生存に必要な生命力や免疫力を獲得し、やがて成体へと完成した個体である。

これを拡大解釈するならば、いわゆる自然な形で生まれた新種が各地で誕生した時、それだけ個性が増えて「対応力」の幅が広がった事も意味する。

言い換えれば、「現代もしくは先の時代に対応した品種のベース」が幾つも存在する事になり、しかも自ら育つ力が強いぶん、移植先の気候に耐えうるほどの融通まで利く様にもなるだろう。


それに付け加えて、このプロセスで生育した植物はタネも強い傾向になると考えられ、その後も実生で同様のクオリティを再現出来る可能性が高くなる。
仮に挿し木や接ぎ木などでクローン化しても、まだ免疫力がフレッシュな状態なので、その強さは数世代まで継続するかも知れない。

このサイクルが循環する事で、不測の事態による大量絶滅を防ぎ、安定して種を継続して行く事も夢では無いのである。

f:id:culrides:20191219153626j:plain


更にこれは推測だが、恐らく植物自身も「この事実に気付いている」可能性が高い。


例えば実例として、植物は病害虫の被害を受けた場合に特殊な「匂い」を発生させて仲間に知らせ、その危機を脱すべく免疫力を強化する事が最近の研究でも明らかになりつつある。
また逆に、花粉を媒介させる為に、あるいは食虫植物ならば食べる為に、フェロモンなどで昆虫を誘き寄せる事は既に周知の通り。

これらの現象はまさしく、植物は「周辺の環境に自覚的」であるからこそ、「それに対応すべく機能を変化させてきた」とも捉えられる。


とすれば、「自分の周囲に自分のタネから育った子孫が居ない」事を察知し、「もしや何らか機能不全を起こしているのではないか?」と、その状況を客観的に捉える事も可能になるはずだ。

それを防ぐ為、この状況を遺伝子が緊急事態として認識したとすれば、新たな種を生むスイッチを入れる可能性は有りうる。


あとは、そのスイッチが入力されたタネや個体を如何に探し当てて、成体まで生育させられるかが課題となるだろう。


🌑実生で育つ中から希望が芽生える🌑

ただし、仮に上記の仮説が正しかったとしても、それで本当に新しい個体が出現するかどうかは、非常に難しいものとならざるを得ないと考えられる。


何しろ劣化や先祖返りを起こす事が解っていながら手当たり次第にタネを蒔いたとて、そこから発芽し成長、そして実を付ける個体となる確率は低いものとなろうし、そこへ到達するまでに膨大な時間も必要になってしまう。

それこそ品種によっては、成功率で言えば数百分の一、いや数千分に一個と言う大変低い確率となるものと予想される。
ましてや、「人間が食べられるクオリティ」で限定してしまえば、更に難しいものとなるだろう。


先述の様に、自然に生えて来ると言う事は、自然と厳しい環境下に置かれる事でもあるので、それだけ生存のプレッシャーが高くなる。

要するに、現代の「リセットされやすい性質のタネ」から生まれた個体の殆どは、まともに生き残れないし実を付ける事も能わない可能性が高いのだ。

f:id:culrides:20191219145350j:plain


しかし、しかしです。


だからこそ、このメカニズムが分っている現段階から試す事で、それが出現する確率を早める事も、あるいは高める事も可能となって来ます。


特に現在、各地では耕作放棄地、管理者不在の里山、今は空地となったスペースが増加している様に、実際に有効活用が出来る場は幾らでも存在する。

例えば、これらの場を市民などの共有地にして、いわば「貸し農園」の様な形でも利用して貰い、様々な品種のタネを埋めておく等の利用方法が考えられる。

つまり、既存の農園や農家のスペースを借りずとも、それらオープン化された場において皆で検証する様な形になれば、そこから「イケてる品種」が出現する確率が飛躍的に向上する訳です。


上記と似た話は、以前にも記した通りであります。
culrides.hatenablog.com

culrides.hatenablog.com


しかし、こうなると「だったら最初から固定品種を使った方が早いじゃないか」、と思われる向きもあろうかと思う。


勿論、その方が効率的かつ理想的な線であるし、既に実績のある品種から始めた方が遥かに成功率が高いであろう事も間違いありません。

いや、本来なら、そうあるべき「だった」はずです。



だが、現在においては固定品種の果樹を保有している農家は激減しており、しかも高齢化で管理が出来なくなり切り倒されてしまう例も数多く存在する。

特に近年は品種改良が進んだ事もあって、代々受け継がれて来たはずの旧い品種は「味や収量が劣る」扱いを受けて見向きもされなくなってしまい、ひっそりと姿を消して行く流れが加速化しつつもある。

故に、これら旧い品種は、今となっては民家の庭木として植わっているだけのパターンもあり、現役で生育する個体としても、そして入手の方法も限られているのが現状。


つまり、いくら繁殖させようにも絶対数が足りないのだ。

f:id:culrides:20191219152208j:plain


だからこそ、その絶対数を増やす意味でも、あらゆるタネを試して様々なバリエーションを模索し、各地の気候や病害虫に対応した「ご当地品種」を。

あるいは、一般家庭から誕生した「自家製」などで個性を多様化すれば、今後の環境変化に対しても幅広いフォローが可能になると言う寸法なのだ。


とどのつまり、この実生と言う非効率な試みの先に、いずれ「それが出来るヤツ」が誕生すれば、それこそが即ち「希望のタネ」になるのであります。


🌑ここまでクドく話すワケ🌑

さて、以上が概要と言うか概念となる訳ですが、如何に思われたでしょうか。

ここまで長々とクドクド同じ様な話ばかり続けたのは、それだけ喫緊の課題である様に思えてならないからでもあります。



無論、この記事は「クローンはダメ」であるとか「実生が強い」などと短絡的に断じる為の話ではありません。

何せ、市場の農産物はクローン株があるからこそ安定した流通があり、我々も恩恵を受けられる。
また、仮に実生で成功したとしても、その収量や寿命などには不明点が多く、全く先が読めないのが実情でもあります。


要するに、どちらかに偏るからバランスがおかしくなると言うだけの話。
どちらも存在していなければ、これら植物そして人間も、お互いが成立し得ない仕組みなのです。



この食べ蒔きプロジェクトを通して解る事としては、今現在の農作物の全てを他者に依存し過ぎている様な。
そしてもし、それらが気候変動で被害を受けたり、あるいは農家が一つでも消えてしまえば、その分だけ食糧自給率が下がってしまう様な。
そんな現代の作物が置かれた姿から、まるで人間社会の現状も露になる様な。

これら現象の本質的な原理は相互関係にあって、全て一つに繋がっているのだと感じられるシーンが幾つもありました。


そして、一連の記事をシリーズ化して公開しているのは、それら実例を基にして、読者の皆様でも検証する際の参考になれればとの想いからでもあります。


たとえ実生では上手く行かない可能性が高いとしても、実際に結果が振るわなくとも、これをフィードバックする形で更に良い方法を思い付く人が現れるかも知れない。
あるいは、同じ様な試みが各地で行われる事で、画期的な発見がなされるかも知れない。

そういった試行錯誤の果てに、やがて総合的な意味で食糧自給率さえ向上させる事も不可能な話ではありません。



勿論、いきなり菜園を始めようにも要領は得ないし、それなりに手間がかかるもの。
それこそ本格的にとなれば、相応のプレッシャーだってかかる事でしょう。

ただ、普段の仕事や家事の隙間を縫う形であれ、小さく一つづつ始める事で、次第に感覚が掴めて来るのも確かです。


なので、この記事の結論としては「何でも良いから取りあえずタネを埋めてみる」と言う、ライトな感覚で試すのをオススメしておきたい所。

まさに「生えればラッキー食べられたらオッケー」位のノリで、身近にある品種のタネを試してみては如何かなぁと。


そこで色々と試す中から、いずれ「コレはイケてる!」と言う個体が出てくるはずです。

つまる所、この「イケてるヤツ」の事例が沢山集まれば、先々で非常に大きな恩恵をもたらす事になるやも知れないのです。

f:id:culrides:20191219145236j:plain


そんな訳で、先ずは先入観抜きに食べ蒔きなり実生なりで、果樹や作物を生やしてみては如何でしょうか?

案外、生えただけでも愛着が湧きますし、観察する間に思いがけない発見した時などは、妙な高揚感を覚えるもの。



案外、その発見が「善いタネ」になるかも知れませんよ。



では、また、CUL。