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身近な生物との遭遇シリーズ5 アリがいてアナタがいる

やけに続いている、近所の生き物シリーズ。


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前回は食物連鎖について触れた様に、自然界のサイクルでは、時々こんな光景も目にする。



ナガチャコガネの亡骸を引っ張る、クロヤマアリか何か。

イメージ 1


割合と、小型種が自分より大きい獲物を引っ張る時など、仲間と協力して「解体」していく姿はよく見かける。

だが、ヤマアリ等の大型種の場合、何故か一人で頑張っているチャレンジャーな姿勢が目立つ。


しかも、少し引き摺っては離し、暫く考える素振りを見せたかと思えば、また引き摺り始める。

イメージ 2


そりゃ、そんだけデカくて重ければそうなるわな。
あるいは、実は筋トレのつもりか。

まぁ実際は、体重の数倍にもなる物を持ち上げられるパワーの持ち主である。
単に、「獲物なりの大きさ(重さ)」に合わせて運搬している訳でしか無いのだけども。


この時のアリが何を考えているかは知らないが、仮に生物の「心情」を察するとすれば。

人間でもデカイ荷物を抱えてしまった時なんかは、休み休み歩く時があるなと。
こんな時、他人に助けを求めていいやら、あるいはドサクサ紛れにパクられやしないか。
いや、意地でも気合いで巣まで持ち帰ってやろうか。

そんな心理の渦中にあるのかも知れない。



それはどうでも良いとして、その前回にある「生物の減少」について絡めると、実はアリの数も減少している様に見える。

特に、クロオオアリなどの姿はここ数年全く見ていない。

やはり以前なら、何をしていなくとも普通に近所で必ず見つけられたし、また、何処にでも居たはずなのだが、いつからか姿を現さなくなって久しい。

つまり、このアリに関して言えば、どうやら小型種ではなく、大型種の減少が顕著らしい様なのだ。


その原因を考えれば、最早キリが無い程の要因が絡んでいるのは間違い無いだろう。

根本的な部分で言えば、昔に比べ空き地や草原が減った分、「住むに適した土地」が縮小しているのは明らかだ。

ただ、あえて手前味噌な発言をさせて貰えるのならば、僕の過去の記事をご覧頂ければ、もしかすると何かしらの「共通点」が繋がって来るかも知れません。


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と、それだけでは伝わり難いので、端的に回答を記すに。


恐らく、その要因の一つとして、「殺虫剤」の撒きすぎが大きなウェイトを占めているのではないか。

とも、考えられるのです。



「いやいや、殺虫剤で大型種が消えるなら小型種も消えなくてはおかしい。小さいアリなんて何処にでも居るよ」


と、思われる方も多いと思う。

しかし、そこには「群の規模」と「繁殖力」と言う視点が抜けているのでは無いかと思うのである。


種類により繁殖形態は細かく分類されるので一概には言い切れないが、例えば必ずしも女王アリを必要としないグループなら、群の内の誰かが卵を産む事になるので、ある程度は種の維持が可能となる。
単純に言えば、小型種はその大群と繁殖力により、大量絶滅に対しての回復力が高い事になる。


一方、大型種の場合は比較的、巣の構造と役割りが複雑化しており、「単独行動」を取る個体が存在する。
この記事の画像は、その習性の一端となる。
また、女王アリとなる個体の「発現条件」が決められている事が多いので、決して繁殖力が高いとは言い難い。

則ち、一度巣が破壊されてしまうと、帰る場が無くなってしまい仲間との連携が取れなくなる。
その上に、女王が居なくなりで大量に死滅してしまうと、群として回復する事が困難となってしまう訳です。

イメージ 3



実際、最近になり気になったのが、やけに巷で殺虫剤の販売量が拡大されている様に感じる事。
それは、何処の流通業態でも変わらず、およそ十数年前までは見られなかった現象で、何しろこれほど売り場が強調されていた記憶が無い位である。


一昔前までアリを始めとした虫の駆除は、主に「家に侵入した個体」を対象として、巣に持ち帰らせる「粒剤」や「餌」タイプが基本形であったはず。
この他には例えば、ホウ酸ダンゴ等も該当する。

それならば、餌として「食べた個体のみ」駆除の対象と出来る。
また、薬剤の有効範囲としても、その群が棲む巣の「ピンポイント」で留まっていた。
同じく、エアロゾルタイプの殺虫スプレーも、有効範囲としては狭い方である。


しかし、ある時期からか、地面に直接撒く「粉末タイプ」の殺虫剤が目立つ様になって来ている。

無論、それはアリを始めダンゴムシヤスデ、ムカデなどの虫をも含めて侵入を防ぎ、そして根本的な駆除を目的としているが為に、需要が増した事に疑い無い。

特に、「点」で置く粒剤(顆粒餌)に比べ、「面」で撒ける粉末剤ならば格段に有効範囲が広く、ある意味ではその範囲内に生息する「全ての虫」を対象にする事が可能となる。

当然、その成分は雨などにより土中まで浸透する事になるので、住み処を移動するなりして物理的に距離を置く以外に、逃げ場は無い。


つまり、この「面」で撒く薬剤は、本来は害虫でも何でもない生物まで根こそぎ駆除してしまう「副作用」をも孕んでいる。
そこに、大型のアリも巻き込まれる形で減ったと考えられるのだ。



実は、この薬剤に関して言えば、当の我が家も使用している事を告白しなければならない。
そして、その「効果」についても、強く実感する所である。


当初、使用した本来の目的は例に漏れず、小型種のアリを始めとして、ムカデやゴキブリの侵入を防ぐ為だった。
これまで置き型の顆粒餌を使用していたが、それでも侵入頻度が高かったので、水際での阻止を考えて導入するに至る。

そして、その効果はテキメン。
家の周囲を囲む様に散布するだけで、それ以降はパタリと侵入が止まる程であった。


だが、使用している内、実は「その他」の様々な生物にも影響する事が判ってきた。

それは、撒いた範囲の中にばかり、多数の生物の亡骸が含まれている事で発覚して行く。
その種類は問わず、中には一見には無関係そうなコガネムシ等の甲虫類も幾つか含まれていた。

まして、ワラジムシやダンゴムシ等は、ほんの少し触れただけで急に引っくり返り、その場で息絶えている様子さえ見られる時さえあり、思いの他強く作用している事は明らかだった。

ハッキリと言えば、その効果は「触れた者全て」に及ぼすであろうと想像に難く無い様相でもある。


しかしながら、冷静に考えてみると、基本的にムカデ等の毒性がある生物や衛生面で問題を起こしそうな虫で無い限り、死んでいる虫の殆どは、実は人間の生活を脅かす程の影響力は無い生物である事にも気付く。

勿論、花壇の草花に集るとか、野菜類を食害されるなどの被害を被る場合も多い事は十分に承知しているし、過去に経験もしている。

故に、その場合は駆除すると言う手段を取らねばならない事は理解出来る。
何ら対処しないままでも、成育が止まったり収穫が困難となってしまうので、致し方ない部分だと言え無くもない。

これは、家庭菜園を営む方なら、特に実感する部分ではないかと思う。


ただ、何れの昆虫も実際は、土地や周辺環境の「循環」と言う重要な役割りを担ってもいる。
それはアリを始めとして、ダンゴムシにワラジムシ、それこそヤスデにゴキブリなどは、実はその筆頭格だ。

以前の、「ハチの記事」や「カエルとカマキリの記事」でも記した通り、土壌に含まれる微生物との相互作用があって、初めて生態系は成立して行ける。

それら生物が有機物を咀嚼し、微生物が栄養素まで分解してくれるお陰で、土から植物へ、そして生物へと還元されて行く。
また、彼らが積極的に分解を促す効果により、腐敗による汚染を防いでいる側面だってある。

ある意味では、彼らは本質的に「益虫」として、その土地に存在している。
要は、人間の認識する害虫と益虫は、環境面から見れば真逆の場合が多いのだ。


仮に、それら循環役を根こそぎ駆除してしまうと、今度はそのサイクル自体が止まってしまい、やがて土地(土壌)そのものが死んでしまう結果をも招きかねない。

これらを人間社会で例えれば、取引先や得意先が消えて仕事が無くなってしまう様なもの。
あるいは、地元の「インフラ」が停止して、パニックの果てにゴースト化して行く町みたいな状況である。

食物連鎖が断たれ、循環役が居なくなると荒廃が進み、最終的にその土地は「住めなく」なってしまう訳です。


更に、この食物連鎖を考慮すれば、いずれ小型の虫を餌とするスズメ等の鳥、ヘビやトカゲ、カエルと他の生物へと波及して行く事にもなる。

何故なら、それだけ即効性が高く虫を殺せる薬剤である。
仮に直接触れずとも、もし、「それの影響が残る個体」を食べた場合、まるっきり無事とは行かないはずだ。

同じく、水に溶け出せば水棲生物に影響が出るだろうし、蒸発して風が吹けば空気中に飛散して呼吸器官に入る事だって有り得る。
(※そう言えば、近年はゲンゴロウやミズムシの仲間も見ていない。昔は山林の野池や用水路で簡単に捕まえられたけど、今は居るのだろうか?)


そうなれば、土から水分と養分を吸収している「植物」にも伝わる事となり、その樹液を吸うタイプの虫も無関係では居られないだろう。

何故なら、アリの一部はアブラムシの尻から出る甘い汁を好んで摂取する習性があるのを、観察した事がある人も多いはず。
当然、同じくそれら植物の種子や果実を食せばどうなるかは、言わずもがなである。


一応、これが大型の動物になるにつれ、体の体積から見れば摂取した薬剤の比重は軽くなるだろうし、「ただちに影響は無い」とは言え無くもない。
また時に、不要な物質は免疫機能により体外に排出されるとは言われるし、特定の生物以外には作用しない成分なので「無害」とさえ言われる事もある。


だとしても、果たしてそう断言出来るか甚だ疑問が残る。
冷静に考えれば、少なくとも「細胞単位」での吸収や吸着は進んでいるとの予測(懸念)は残すべきではないだろうか。

むしろ、ベトナム戦争における枯葉剤の影響が長期に渡り残留している時点で、そうそう都合良く回復する訳でも無害化される訳でも無いのは明らかだ。

と言うより、そもそも細胞に影響があるから生体機能(筋肉、呼吸、消化器官など)に及ぶのであって、いくら摂取量が少なかろうが小さな変異は起きうる。
それこそ、「継続的な」作用が働く環境に置かれた場合ならば、その分だけ余計に取り込む事には変わり無い。

結果として、環境に溶け出した成分は、単に「薄まった」せいで効果が表れにくくなっているだけであり、無害とする論理は拙速に思えてならない。


くどい様だが、実例として劇的な効果を実感している中で、ましてや現実として身近な生物が減少している現状がある。

とどのつまり、もっと極端に言えば、この薬剤が「主流」となった果てに。


やがて、人間にも影響が出る可能性は、否定し難い事実と思わざるを得ないのだ。



と、ここまでの上記を纏めて時系列で表せば、以下になる。


(1)都市部におけるアリに適した住み処は、平地の空き地、草叢、そして人家の庭などの「空きスペース」が中心。
水捌けが良く巣作りに適した土質、そして植物も健全に保たれて、餌の確保が容易な場所が必須となる。

(2)だが、それら「スペース」が消滅すると、その場で群れが絶えるか移動を余儀なくされる。
移動先が遠いと体力が続かないので、やはり比較的近い空きスペースに辿り着く事となる。

(3)次に、その空きスペースで殺虫剤が撒かれると、体調に異変を来す事になる。
当然、周辺の植物と生物も連鎖的に影響に曝されるので、圧倒的に食糧が足りなくなる。
それは、あらゆる「インフラ」が失われるのと同義である。
再び群れが絶えるか、移動を余儀なくされる。

(4)しかし、移動先も既に薬剤の影響下にある場合、(1)~(3)のループを繰り返す羽目になる。
すると、ただでさえ狭い空間しか選択出来ない中で、結果として住み処はおろか移動先すら失われてしまう。

(5)この時点まで達すると、巣作り要員、兵隊、食糧確保の人員が圧倒的に足りなくなり、「人材難」が発生する。
そして女王の個体も激減し回復すら困難となる。
群れは減少の一途を辿り、やがて周辺地域から居なくなる。

(6)彼らが消えた場所では、他の生物も同様の理由で減少して行く。


この様な具合である。

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などと、一匹のアリから些か話が飛躍した感はあるものの、現在における生物の減少を鑑みれば、一つの可能性として十分にありうる話ではないだろうか。


上記の考えに至った現在は、薬剤の使用を控えている。
当然、それは今後の環境面を考えての事でもある。


結局、益虫か害虫かを決めているのは、人間の勝手な都合に過ぎない。
そして案外、失われて初めて大事な事に気付くのも、人間の性だ。

全く、虫が居なくなったらそれはそれで寂しいなどと、まさしく「虫の良い」話ではある。


だが実は、彼らはその場に存在しながら、全ての生命は繋がって成立しているのだと教えてくれている、人にとって本質的に大事なパートナーなのも確かだ。

その答えに至るに、一つ。
こう考える事も出来るのではないだろうか。



身近な虫が居ない世界。


もしかするとそれは、表向き「クリーン」に見えていて。


実は、「生命の居ない」、とても寒々しい光景なのかも知れない。


と。



では、また、CUL。