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メリケン道中記 SFで遭遇した人々シリーズ ビューティー&アナーキスト

前回のメリケン道中記を書いている間に、また思い出した件が一つ。


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その2 どこでもハーブ

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その3 「アレ」な若者

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その4 バスとチャリンコのギャングスタ

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その5 ジェイル・ブレイク・シーズン1

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その6 つれないオフィサー

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その7 テレホンモンスター

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ご覧の通り、これまではロサンゼルスについて記して来た訳ですが、今回は表題の通りサンフランシスコでの出来事です。



然るに、時は遡る事2008年。
かつて僕がアメリカをツーリングした事があるのは、過去にも記していた通り。


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リノの菊門(ANAL CUNTとANAL BLASTライブの思い出話です)

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上記の記事は、ツーリング中の余談みたいな所ですが(毎回余談ばっかりだけど)、その途中でサンフランシスコにも数日間ほど滞在していました。

内容自体は、いつも通り蘊蓄と独り語り中心の旅日記なのですが、もう10年も前の出来事なので、記憶半分な所もあります。


ただ、恐らくですが、今のアメリカではあまり見られないであろう人々に纏わるルポタージュともなると思いますし、それを踏まえた一つの考現学の観点から、今回のオチまで結んでおります。

そんな訳で、資料的かつ文学的なアプローチにて、当時のエピソード・トークをば披露しようかと。
毎度の長文ですが、「ふーん成る程、外国ではそんな事が」みたいな観点でご覧頂ければと思います。




さて、霧と坂道の街として知られる、フリスコ周辺を歩いていた時の事。
(※フリスコ=サンフランシスコの昔の呼称。バイカー界隈では、フリスコ・チョッパーと呼ばれるスタイルが確立しています)


そのダウンタウン中心部より西側に位置する、ゴールデンゲート・パークに隣接する町の一つに、Haight Ashbury(ヘイト・アシュベリー)と言う地区があります。



ここは、60年代から70年代にかけてのフラワー・ムーブメントに代表される、所謂ヒッピーカルチャーの聖地として広く名を知られ、観光スポットとしても有名な通りとなっている。

エリアとしては、短い一本道の周囲に主なスポットが集中しており範囲自体は狭いのですが、ガイドブックには必ず載っているので、訪れた事のある方も多いはず。


そして、この短い通りは最終的に別の道路と突き当り、T字路状に寸断される形で終わるのですが、その一つ道路を挟んだ向こう側にゴールデンゲート・パークの入口があります。

このゴールデンゲート・パークとはその名の通り、サンフランシスコ名物であるゴールデンゲート・ブリッジの根本に位置する多目的公園。

とは言え、ブリッジからパークまで歩くに、30分以上は必要な距離感です。
更に、かなり広大な公園なので、園内を細かく回るには1~2日は欲しい所。


東京で例えると、もしかすると代々木公園と新宿御苑明治神宮外苑と赤坂御用地を足した以上の規模があるのではないかと思います。

正直言えば、上記の公園は殆ど記憶に残ってないか行った事も無かったりするので、マップでの比較と周辺道路を走った印象での例えではありますが、何れにせよ、とにかく、そのデカさだけは伝わるかも知れません。



話をヘイト・アシュベリーに戻しましょう。



その特色として、現在(10年も前だけど)はヒッピーカルチャーの名残りを残す程度ではあれど、それでも通り一体が一つのアートの町と言える風情である事。

ファッション雑貨店を始めとして、古着屋はもちろん、建物もアーテイスティックに彩られていたり、それらアートギャラリーや、オーガニックでシャレオツな飲食店が通りに軒を連ねている。


ここがLAならば、コンパクトなメルローズ・アベニューとも言えそうな風情。

あるいは、また東京で例えるに、中目黒や代官山の洗練された雰囲気の中に、一昔前の高円寺の様なバックグラウンドとエッセンスが内包されている感覚か。
いや、これじゃ伝わり難いかも知れませんが、納得してくれる方はいるはず。


ちなみに、スケートボードでお馴染みのFTCも、ここに本店を構えている事はスケーターならばご存知の事でしょう。
まだスケボーをしていなかった当時も、ナイスなスタッフの青年が訪れた僕に丁寧に接してくれたのは良い思い出です。
その節はお世話になりました。



そんな、町全体がヒッピー的指向に包まれているせいか、LAに比べマイルドな土地柄であるサンフランシスコの中でも、ひときわ優しい人々が多い場所の印象さえあります。



しかし、かと言えヒッピーも良い面ばかりでは無く、光ある所、その陰も大きいのは否めない部分。


通りの端では日中、堂々とハーブを吸って微睡む若者がいたり、道を横切った裏道などは些かうらぶれていて、どことなく退廃的な空気も漂っていたりする。

その毀誉褒貶の激しさと、ある種の浮世離れした生活感が時に、アメリカのドラマや映画でもネタ扱いされてしまったりするのですが…。
それもまた、人の持つ矛盾と隣合わせの存在が故に生じる、反作用の表れとは言えるのでしょう。



とにもかくにも、そんなエッジの効いた通りを歩き、道の終わりに差し掛かった折。


丁度、目の前のゴールデンゲート・パークの入口あたりに、何やら一際目立つ集団がたむろしているのに気付く。



彼らは皆、一様に軍パンやエンジニアブーツなどを履き、スパイキー・ヘアにモホーク(モヒカン)、あるいはスキンヘッド姿をしている。

見た目こそパンクスやスキンズのソレではあるが、明らかに労働者やカタギでは無く、服や顔は汚れていてハッキリと言えばみずぼらしさが目立つ。



つまり、そこに居た人物達こそ、Squatter(スクワッター)と呼ばれる集団だった。



このスクワッターを軽く説明すると、簡潔に言えば不法定住者を指しており、文字通り、公共施設や空き家などを無断に占拠したり定住している人々の呼称となる。

謂わば宿無しと紙一重であるが(実態は同じだけど)、スクワッターの場合は基本的にアナーキズムをポリシーとして、つまり思想的な背景があってこの生活をしている。


ここで言うアナーキズムとは当然、無政府主義を意味している。

ユタカ・オザキ的にヒネた表現をすれば、「この支配からの卒業」を極度に突き詰めた形として。
解りやすく言えば、「社会のシステムに頼らず、全てを自分とコミュニティのみにおいて判断し行動する生活」を信条に、スクワッターとなっているのだ。



このスクワッターだが、90年代までは主にロンドンやパリなどヨーロッパに多く存在していたと言う。

概ねパンク系の若者がその中核を成していた事もあり、特にクラスト・コアなどを聴いている方には馴染み深い響きではないかと思います。

故に、服装にも一定の「様式」が反映される事となるのだけど、実際はアナーキスト的な思想の一致であれば、パンクス以外にも広い意味での芸術家などがこの生活様式に参加していた様である。

これらスクワッターの概要については、かつてBURST誌に掲載されていたルポを基にしていますが、現在でも定義に変化は無いと思われます。



しかし、これら事前情報に加え、アメリカにも居るらしい事は知っていたのだけど、実際に見た時の衝撃は大きかった。

まさか、この時代の、豊かさを享受せんばかりの社会(2008年当時)において本当に存在するのかと。
実は、この後でロサンゼルスでも目撃するのだけど、この時までは半ば信じられない様な気持ちだったのだ。


しかし今、眼前に現れている。


そんな現実と遭遇してしまうに、溢れる好奇心を抱きつつも話し掛けたりする程の勇気は無く、僕は道路の反対側から、たむろする彼らを眺めているしかなかった。



そんな時である。

不意に、彼らがこちら側(アシュベリー方向)を見ながら、誰かを呼んでいる様な動きを見せているのに気付く。


一体何だろうと後ろを振り返ると、そこへ一人の女性が歩いて来るのが目に入った。

だが、その人物像に更なる衝撃を覚える。



そこに現れたのは、まるでスーパーモデルを彷彿とさせる美女だったのだ。



その身なり自体は、やはりミリタリーパンツとブーツに汚れたタンクトップ、そして髪形は綺麗に苅られたスキンヘッド(※もしかするとモヒカンだったかも)と一切の隙が無く、完璧なまでにスクワッター然としている。


だが、明らかにノー・ファッションな出立ちだとしても、普通の人と比較してあまりに容姿が調っており、現地人の中でも一際目立つ。

まず、身長は180cmはありそうな痩身の長身で顔立ちも小さく、十頭身あってもおかしくない程に背筋と脚の伸びがある。

その歩き方でさえ、まるでパリコレのランウェイを歩くが如く颯爽としていて姿勢が良く、目付きは引き締まっていて、とにかく全てが堂に入っている。

まさかスクワッターをしているとは到底思えない、ある種の育ちの良ささえ感じる存在感だが、そんな人物が何故ここに?

そう思わずにいられない程のギャップなのだ。



と言うより、本当にモデル上がりとしか思えないけど、一体何者なのだろう。

彼女はそのまま真っ直ぐ仲間を見据えたまま、道路を横切りパーク入口の仲間の元へと歩いて行くのだが、その異様なほど凛とした佇まいに僕は目を奪われてしまっていた。



更に付け加えると、ゴールデンゲート・パークは植物園としての側面があり、園内の各所に草花の植栽が整備されている。

僕はゲートにたむろする、ダーティな存在としての彼らと、そこに植わっている草花が醸す鮮烈なコントラストを見ていて、何だか本当にアート作品でも見ているかの様な印象を受けていた。


このイラストは、その時の彼女と、パーク周辺の風景イメージを合わせた創作である。

イメージ 1


一応、足下の草花やブロック等は、記憶が曖昧なので想像で脚色されています。


あと、ちょっとした拘りとして、履いているブーツはAgnostic Frontのアイコンがモチーフだったりして。

イメージ 2



とは言え、女性の容姿と歩き姿は実際にこんな感じで、雰囲気だけはかなり再現出来た方ではないかと。
無論、ビーチクも(どこ見てんだ)。

いや、まぁ、そこも含めて出来る限り記憶に忠実にしつつ、周辺の風景は想像で補った感じです。



しかし何にせよ、その豊かなプランテーションやボタニカル・ガーデン(植物園)が萌える園内の通路を彼女が歩く時。

まるで本当にランウェイを歩く様な、そんな「画」になる瞬間があるのだろうと思わずにいれなかった。


これを言うなれば、「ビューティーアナーキスト」。


いや、「ビューティー&スクワット」だろうか。

とにかく、日本語にして「美女と不法占拠」。

そんな形容詞すら浮かぶ光景なのであった。



とまぁ、スクワッターの是非についてはさて置き、少なくともこのヘイト・アシュベリーの歴史を鑑みれば、彼らがここにに行き着くのは必然的なのだろう。

その地で世捨人とも言える生活を選択した彼らが、草花と共に居る光景と言うのは、一見アンバランスに思えるけど実はとても自然な現象とも言える。

その意味で、あの美女が放っていた「凛」とした空気の正体とは、もしかすると「野性」であるのと表裏一体だから生まれていたものなのかも知れない。


そして何より、これらカオスを一つの「風景」へと内包してしまう、アメリカの底知れなさを垣間見た様な、そんなサンフランシスコでの出来事。

つくづく、何かにつけ海外はぶっ飛んだ人々だらけだなぁ、と思い知らされたのでありました。




おまけシリーズ。




一連の思い出を経て、最後にちょっと考察を一つ。



幾時代か過ぎて現在。


シェアリング・エコノミー、ヨガ、マインドフルネス、ベジタリアン(ヴィーガン)、オーガニック、マクロビオティックなどなど。

これまで極めてニッチで一部の先鋭的な人々の間でしか成立し得なかったスタイルが、いつの間にかメインストリームとして定着しつつある。

それと同じく、既存の産業や社会構造から離れ、自己が求るイメージとコミュニティ、自然との調和を基にした生活などがメディアを賑わせている。


それらは、かつてのヒッピー・カルチャー(便宜上、一纏めにします)が、時間の経過と共に変形し細分化する過程で、ライフスタイルの一種として社会の「サイクル」に取り込まれた形でもある。

この要因としては、影響力のある人物らを始め、ネットの発達や意識の変化によって認知が広がり、今までアウトサイダーであった者(物)でも、やり方次第で「売りモノ(収益)」として成立させる事が可能になった部分が大きい。

つまり、わざわざ浮世離れな思想や先鋭的な手法で社会と軋轢を生まずとも、それらが「スタイル」として組み込まれている場所ならばソフト・ランディングで済むし、また一応の生活が成り立つ世の中になった。

とも言えるだろう。



然るに、基本的に全てのムーブメントはアンダーグラウンドから始まるとして。

もしかすると、やがてスクワッターも形を変え、いずれメインストリームとして台頭する可能性がある。

と、考えられ無くもない。



いや、既になりつつある様な気も…。

この先、一つの生活様式に定着したり…。

それはそれで、社会の変化が著しい訳で…。



ただの昔話のはずが、何やら予感めいた方向へと話が展開して参りましたが…。

はてさて、これから一体どうなって行くのやら。



では、また、CUL。