CULrides カルライズ

発見と探究そして文化。そんな諸々の話。

食べ蒔き三期生ダイジェスト 8月上旬後編・再生ジャガイモ収穫

前編に引き続き、8月上旬の話。
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この後編では、今期の初収穫物となったジャガイモに触れて参りましょう。



さて、遡ること数か月前。


今年2020年の初頭に生ゴミとして出た「ジャガイモの皮」を土に埋めたら、それが知らぬ間に発芽していた事を5月の記事に記していた。
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その後、地味に生育を続け、6月頃には立派な葉が出て作物らしい姿に。
※この時の画像は昆虫のみだが、スクスクと成長していました。
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やがて7月には青々と枝葉が繁り、外観上では結構な大きさに変貌を遂げる。
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それを経て、この8月に入り新たな変化が。



梅雨明けから急激に日照時間が伸びたのと連動して、土壌の乾燥が一気に進行。
これが影響してか、今度は枯れた部分が出始める。
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それは日を追う毎に進行し、8月も一週間が経つ頃には全体が枯れ模様に。
本当に、あっと言う間の出来事である。
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もしやと思い調べてみると、ジャガイモ収穫の目安として「株の全体が枯れる頃」と言うのが一般的らしい事が判明。
と言う訳で、その内の一本を試しに掘り出してみる事に。



ほんで先ず出て来たのが、この2個。
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大きい方のサイズは概ね全長10cmくらい。

元々の品種より随分と矮小化している為、その小粒感は否めないものの、外観上は至って綺麗な形のジャガイモであり、売っているものと差異は感じられない。


ただ、その内の一個には虫食いらしき痕があり、ちと残念。
もうちょい早く収穫しておけば良かったかな。
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試しに割って、断面を観察してみる。
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中身に空洞やシミなどは無く、ミッチリ詰まっているし水分も浮き出て来る。
とても綺麗で滑らかな肉質だ。

また、「新ジャガは皮が柔らかい」と言われている通り、ちょっと力を込めて割っただけで皮ごとズル剥けた。
取り扱いは優しくジェントルにって感じ。


ちなみに、同じ株にウズラの卵くらいの極小サイズも混じっていたが、これは食用には小さすぎてノーカンとした。
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虫食いイモについても、何となく食用や種イモに向かなそうな気がしたので今回は埋め戻してある。



この後日、更にパサパサに乾燥が進んだ残りの株も引き抜いてみた。
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して、出て来たのがコチラの4個。
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サイズ自体は先述のと大差ないが、思いのほか数が纏まった。


と言うか、最初は表土を払いつつゆっくり引き抜いたつもりが、その時は2個しか付いていなかった。
しかし、引き抜く途中で「ブチブチッ」と何かが千切れる感触があったので、もしやと思い周辺の土をホジくってみたら、もう2つ出て来たみたいな。
危うく土中に放置する所であった。



これらも全体的に良好な質感をしており、何ら異常も無い。
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強いて言えば、何故かコレだけ先端がクビレていてアレっぽいと言うか、一体、土の中で何があってこの形になったのだろうか。

太さや長さ、硬さ、そして反り具合いも似ている。

そうショウガに。



そして最後に、この「再生ジャガイモの脇芽を挿し木にした株」も現在まで生存している。
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コチラは単純に、「芽かきした脇芽」をそのまま土へ直接挿しただけなのだが、それでも生育している点からして、思いのほか生命力が強い様子である。



とりあえず引き抜いてみると。
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な、なんじゃコリャ。
まるでBB弾サイズだ。


多分、コレが恐らくは文字通り「種イモ」と言うか、ここから膨らんで来るであろう事は想像がつく。
だが、どちらにせよ食用に出来るほどの大きさまで成熟しそうかと問われれば、否であろう。



試しにネットで調べてみると、「ジャガイモの脇芽も挿し木には出来るし収穫まで可能」ではあるらしいのだけど、今回の結果では上手く成熟まで行かず失敗した事になる。

ただ、実際は上手く行った事例がある以上、結局は「やり方次第」であるとか、「季節」などとの兼合いなんかで成否が分れてくるものなのかも知れない。


何にせよ、トマトと同じく脇芽にも実は役割りみたいのがあって、一見ムダそうでも「それが生える理由」があるはず。

たとえ芽かきされた要らない部位であろうと、そこから更に成長させ収量アップも望めるのだとすれば、やる価値はあるし、棄てずに活かすのも選択肢としてはアリかなと思います。



さて、今回収穫された再生ジャガイモ達は、それぞれカレーやスープの具材として食される事となる。

特に画像は無いけど、 いずれもネットリかつホックリとした食感と甘さがあり、元のジャガイモと何ら遜色の無い食味を実現。
それこそ、何も言われなければ「皮から再生したヤツ」とは気付かれないクオリティであった。



この一連の検証から、ジャガイモは「皮から再生させて、育てて、収穫して、食べる所まで可能」である事が明らかとなった。

ただし、皮から再生する確率は低い傾向にあり、結構な量を使った中で、やっと今回の結果があるのも事実。
上手く条件が噛み合わないと、むしろ失敗する方が多いくらいである。


また、単に「皮だけの皮」よりも、表面がポチッと盛り上がっている様な「やや芽が出かけの皮」を厚めに切って使う方が成功率は高い傾向にあり、今回で収穫されたジャガイモも、軽く芽が出かかっていた皮が元ネタである。

それ以外の「皮だけの皮」で埋めた方については、これまで何度かチャレンジしたものの、いつの間にか消失している場合が殆どで、かなり成功率は低い様子であった。



今回の事例から成功パターンを挙げるとすれば、「芽が出かけの部分」を中心に、「やや厚めにカットされた皮」を土へ埋める方が、より確率がアップするのではないかと思われます。

これ以外にも、様々な検証結果が集まれば更に効率的な再生方法が発見されるかも知れないので、気になる方はダメモトで試しては如何かなと。




おまけシリーズ。



思いのほか成長が続いているアボカドの苗木。
コレもタネから生えた実生である。
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そんな8月上旬、葉の裏にセミの脱け殻が。
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多分、この近くの土中から這い出したのだろうけど、わざわざ植木鉢を乗り越えてアボカドに辿り着くとは。
こんな細い木でも無事に羽化できたのなら何よりである。



で、更にその下の幹にも何やら別の生命反応が…。
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と思えば、アオバハゴロモが居たりして。
セミの親戚筋が一堂に会する。
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確か春頃には、同じ苗木の新芽にアブラムシが居た記憶があるのだけど、実は彼らも分類上ではセミと近いグループなのだと言う。
※調べてみた所、正確にはカメムシ目と言う大枠の中で、セミやアブラムシ等のグループに枝分かれしているとの事。カメムシセミとアブラムシが同じ分類と言うのも驚きである。


とすると、このアボカドには何かセミの仲間を惹き付ける様な匂いが、思わずルーシーをチューチュー吸いたくなるほどの魅力があると言うの事なのだろうか。
その嗜好には謎が多いが、たった一つの苗木でも、様々な生物を養える力があるのだなぁと妙に感心したりして。


しかし、今までのところ特に被害に及びそうな変化は一切なく、虫も苗も元気にやっているので、駆除などの処置は一切施していないし、その必要も無いものと考えている。
むしろ健康な植物ならば、多少の虫が集ったくらいで簡単に枯れたりはしないだろう。



「汁を吸われた所で痛くも痒くもない」


サウイフヒトニワタシハナリタヒみたいな。



この小さな植木鉢に、生命の持つ逞しさを見た夏の一コマなのでした。




では、また、CUL。

食べ蒔き三期生ダイジェスト 8月上旬前編・ゴーヤのヤグラ立て

前回の7月中旬から飛んで、今回は8月上旬の様子。
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なんだけど、話のボリュームが多くなってしまったので前後編に分割。
先ずは前編から記述して行きます。



さて、この8月に入るなり、まるで7月の長雨が嘘だったかの様な晴天が続く様になる。
そんな梅雨明けの陽射しに乗じて、畑の植物も更に伸びる事になるのだが…。



手入れしなさ過ぎて草生えるー。
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もはや雑草と作物とで見分けが困難になりかねないほど、いつの間にかボサボサである。
昨年度も似た様な状況になっていたが、今年は「土を耕さないまま」にしているので、なおさら雑草の根も元気なままらしい。


一先ず、これら雑草は手作業で除去しておき、作物の根回りに置いておく。
いずれ分解されて養分となる事だろう。
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そんな中で今回は、冒頭の画像の右下端に写っているゴーヤにヤグラ立てを施してみた。
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このゴーヤは畑にタネを直播きして以降、ずっと地這い状態だったのだが、そのままではダンゴムシ等に噛られかねない。
果実を守るためにもヤグラは必須である。



ただし、この画像にあるものは高さ50cmほどしか無く、ヤグラとしては低すぎる失敗作。
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一応はツルをグルグルに巻きつけてみたものの、「やっぱり低すぎるよな」と思い至り、後日作り直す事に。
よくよく考えれば、もっと成長する可能性はあるのだし、想定が甘すぎた。



で、コチラが後日、作り直したヤグラ。
素材は手近にあったテキトーな竹材と針金だけと、いたって簡素な造りである。
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竹は概ね150cm程の長さで、高さは1mほどに設定。
そこに改めてゴーヤのツルを巻きつけて、何とか格好がついた。
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ちなみに、今回のゴーヤは6月の記事で直播きしていた「ゴーヤ三世」である。
つまり、2018年に採種(一世)→2019年に栽培・再び採種(二世)→2020年に栽培(今ココ)、と言うサイクルで生えたもの。
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興味深い事に、今期のゴーヤの中で最も成長率が高いのが、この三世である。

もちろん、この他のポリポットで育苗した「昨年度に新しく採種したタネから生えた個体(二世)」も成長してはいるが、いまだ結実する様子が無く、取り立ててトピックも無いのが実状。
その中で、何故か三世は妙に伸びるペースが早く、次々に脇芽が出たりなどで樹勢が強いのだ。


こうしてイチ早く結実している箇所もあるし、他にも雌花がチラホラ確認されている。
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結果的に、このヤグラ立ての後も成長を続ける事になるのだけど、作り直しといて良かったー。



世評の上では、「食べ蒔き(実生)から採種したタネでは次世代が上手く育たない」とされていて、その現象は過去のメロンやカボチャでも既に確認済みである。

しかし、今回のゴーヤに関して言えば、そのパターンや定説から外れた事になり、むしろ「ちゃんと育っている」とさえ言える状態だ。
これで「今期に収穫・採種」、そして「来期に再び栽培」となれば、これはもう「実生でも成立する」事になるだろう。

果たして収穫なるや否や、今後の展開に期待がかかる。



ちなみに今回は、最後に残っていたゴーヤの苗も定植してみた。
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これはポットへの移植時に、確か根を傷つけてしまい弱っていたもの。
そこから回復させるため育苗を継続していたのだった。


しかし、結論から言ってしまえば、この苗は定植後も殆ど成長せず、僅かにツルが伸びただけに止まる事となる。
ポットに移植した段階からして一向に変化が無いのが気になってたのだけど、やはり苗が柔らかい時点でキズが入るのは致命的であった様だ。

毎度の反省点であるが、改めて移植には細心の注意が必要である。



さて、それ以外の作物についても触れておこう。



コチラはカボチャで、梅雨明けから一気に急成長し続々と開花している。
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ただし実際のところ、これまでの個体と比べて随分と矮小化しており、あまり期待は持てそうにない。
しかも、一番まともな個体がコレで、その他は貧弱過ぎて殆ど変化が無いようなものばかりである。



また、メロンも同様に貧弱な個体が多く、いまだ成長率が低いまま。
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画像の右側にはスイカも写っているが、コレに関しては更に輪をかけて貧弱な個体しか無く、既に枯れて消失しているものもある。



一応、メロンに関しては開花していたりするが、雌花や結実には課題が多い様子。
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その中でも、ギリギリ何とかイケそうな成長率の個体もあるにはあるので、諦めず経過観察を続けたいところである。



そして今期のトマトについては、まともな個体が一つも無く、もはや諦めざるを得ない状況。
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こうして結実したはいいが、現状ではこの一個体につき一個しか実っておらず、何故か他は全て「開花するだけ」で止まっている。
生えた個体の合計数だけなら昨年度よりも多いが、如何せんどれも異様に成長率が低いままなのだ。



昨年度も不作ではあったが、そんな中でも成長率の高い個体は存在していた。

だが、今期に限って全ての個体が不調なのは何故なのか?


その要因は前々回でも述べた様に、真っ先に「連作障害」が思い当たるのだが、確かに当プロジェクトを開始して以降、これまでのトマトは全く同じ位置に植えている。
これがもし、本当に連作障害なのであれば、それだけ必須栄養素を消耗しているはずで、昨年度からの不調も必然となろう。


勿論、植えている場所には継続的に落ち葉や枯れ草、生ゴミ堆肥を継続的に投入しているので、それなりに養分の補給はなされている。

だが、それでも足りない必須要素(特定のミネラル、共生する微生物や、それらが発する酵素など)があってもおかしくはなく、実は既に使いきっている可能性は否定出来ない。
つまり、いくら肥料の投入で栄養補給していても、そういった必須栄養素が入っていなければ効果が薄いと考えられるのだ。


しかし、その一方で、発芽から育苗期については新しい土を使用しており、それなのに低成長であった事を考えると、連作障害との関連性は薄い様にも思える。

となると、やはり今度はタネの性質や環境など「別の要因」に由来する部分も有りうる事になる。
特に、昨年度から今年の初旬にかけて暖冬傾向が強かったし、春からは例年よりも昼夜の寒暖差が大きく発芽に苦戦していた事を考えると、気候的な要因が絡んでいる可能性もあるはず。



いずれにせよ、現段階では因果関係がハッキリしないし、なるように任せるしか手立てが無い以上、出来る限りの手立てを講じるのみ。

そこから何かしらフィードバックを得られるはずなので、今期のタネや苗、株と結実が不調だった理由については、いずれ一連の考察を纏めて別記事にしてみようかと考えております。


次回、後編に続く。




では、また、CUL。

食べ蒔き三期生ダイジェスト 7月中旬・定植の追加と再生ジャガイモの成長

前回の定植から約1週間後。
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今回は、ゴーヤの苗を幾つか追加してみる事にした。



と言っても、これらは前回の苗と比べて若干成長率が低く、本来であれば間引き相当となっていたであろう個体群である。
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外観上では前回のと見分けがつきにくいが、こちらは全体的に色味が薄く、そして茎や枝ぶりが細めだ。

実際のところ、こういった個体には「病害虫に弱い」と言うデメリットがつきまとう。
定植する意味を問うてしまえば、普通の農園などであれば「無し」となるに違いない。



それを証明する様に、前回で定植した苗も早々にダンゴムシに噛り尽くされた個体が。
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ボケピン画像だが、ほんの1週間たらずで御覧のザマ。
磯野波平の頭頂部にある一本毛みたいな佇まいになってしまった。



この時に噛り尽くされた一本は、前回の中でも「成長率が低かった個体」となる。
その一方で、他の「成長率が高かった個体」は多少噛られた程度で、特に問題なく生育を続けていた。

つまり、同じ品種の苗が複数並んでいても、その中から明らかに「成長率の低い個体だけが病害虫の餌食」になっているので、それだけ免疫力や抵抗力が低かった事が判るのだ。



そう考えると、今回の苗を追加しても恐らくは上手く行かない可能性が高いのだけど、それでも、ここまで成長したからには試す価値はあるはず。
生命とは何がキッカケで変化するか分からないし、最後まで試行錯誤しておきたいではないか。


いや、むしろ、もはや何か起きなくても良い。


とにかく、そこに居れば、それで隙間が埋まるだけでも充分な存在価値があるのではないか。

そんな意味も込めて定植したのであった。



さて、そんな中でも興味深い成長を遂げていたのが、この「皮から再生したジャガイモ」である。
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5月に生えて来たのを確認して以降、6月半ばまでには結構に立派な姿となっていたが、ここに来て更に成長した感がある。
葉の数も多く青々としていて、まさか単なるペラペラの皮から再生したとは思えない容姿である。
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無論、通常の種イモから育てた株よりは一回り小さい印象で、その辺は初期段階が「イモの表皮の断片」であった以上は致し方ない。
こうして生えただけでも御の字だろう。
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でもって、この少し前に「芽かき」を施したのだけど、その脇芽を棄てるのが勿体無い気がしたので、やや位置をズラした場所に再度植え直してみた。
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それ以降こうして普通に生育をしているが、残念ながら成長率は低く、あまり大した変化もしていないので収穫への期待は持てそうにない。
とは言え、単に脇芽を「ポン植え」した時点から生存している点で、本来なら結構にタフな植物なのだろう。


この再生したジャガイモ、略して「再ジャガ」が今後どうなるかは未知数だが、少なくとも現時点では「皮から芽が出て再び生育を始める」事までは証明された形である。

後は何とか収穫まで持って行きたい所だが、結果は如何に。



そんな梅雨の一時であるが、例年この時期まではダンゴムシとワラジムシも活発。
特に、今期は長雨の影響もあって土中の湿度が高いせいか、どうやら繁殖に適した環境が醸成されている様子である。
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こうして連日、ゴーヤ同様にジャガイモの葉をパリポリ噛りまくっていて、やりたい放題。
普通の雑草などと比べても集まる数が多い印象で、やはり彼らにとっても、こういった作物の方が美味く感じられるのだろう。



でもまぁ、全体的な状況としては大した被害が無いし、駆除するほど酷い訳でも無いので、このまま放置しておく。

と言うか、そもそも落ち葉や雑草堆肥の「分解役」として意図的に投入していたのだから、彼らには居て貰う必要がある。
ある意味、ジャガイモやゴーヤの葉は報酬みたいなものなのです。
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ちなみに、これら作物に集まる昆虫の話を続けておくと、6月の一時期までは「ニジュウヤホシテントウ」と言う、ジャガイモの害虫として有名なテントウムシの仲間が先述の再生ジャガイモにも居た事がある。

それを駆除するため、捕まえて関係ない場所にブン投げたら、そのまま何処へと飛んでいったのだけど、何故か以降は姿を現していない。
普通なら、まだ生きていればウリバエの様に作物の匂いなどを嗅ぎ付けて再び集まって来そうなものだが、全くもって寄り付く気配が無いのである。


この要因について考えてみると、以前の記事にて紹介したカマキリやクモ等の昆虫が、今回のジャガイモに住み着いていた事に思い当たる。
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つまり、多分だが、これら天敵となる存在がいた事で、ニジュウヤホシテントウを始めとした害虫が近付き難くなっていたのではないか。

実際、ウリバエがクモの巣に捕まったシーンを目撃した事もある訳で、多少なりとも警戒心を抱く個体が現れていた可能性もある。
これ即ち、生態系のバランスによって、絶妙な拮抗が保たれたと考えられる訳である。

もっとも、天敵は何種類も居るし、捕まってはブン投げられるのだから「もう来ねぇよ!」となるのは必然とも言えるが。



個人的な感想として、こういった生物間のバランス関係が上手く再現されるかどうかが、自然派農法における成功の可否に関して重要なカギを握っているのではないかと思っている。

もし仮に、読者の中で「栽培中の植物に害虫が集まって仕方ない」と言う方がいらっしゃるとして、試しに近所からカマキリやクモ、テントウムシなどを捕まえて来て、それらを庭やプランターに放ってみて、一種の放し飼いみたいな状態にしてみるのはアリかも知れません。

既存の在来種なら既に生物間での競合関係が成り立っているので、恐らくは異常繁殖など極端に生態系のバランスを崩す確率は低く保たれるか、あっても一時的な現象で止まるはず。


まぁ、実際の効果については保証出来ませんけど、それらの様子や動きの変化については観察する価値があるかなと。

今さらだけど、いつか夏休みの自由研究に、是非お子様にもすすめてあげて下さい。
byエキセントリック少年より




では、また、CUL。

食べ蒔き三期生ダイジェスト 7月上旬・一挙に定植

前回6月下旬までに、何とか発芽し育苗を続けていた3期生たち。
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して季節は進み、この7月に入るあたりから急に梅雨の空模様。
それを境に一気に雨量が増す。


しかし、まさか、以後1ヶ月もの間まともに日が射さず、ひたすら雨の日ばかりが続く事になろうとは、この時点で誰が想像しただろうか。
そのせいか、今年の7月は記録的な長雨と日照不足に見舞われ、各地でも夏野菜への影響が相次ぐ。



そんな状況ゆえ、既に上旬からして天候に恵まれない日が続いていたせいで、このままでは苗を植えるタイミングを失いかねない。
本来なら6月半ばまでには定植を終えておきたかったが、今年は成育の遅れから余計にタイミングを逃し気味だ。


どちらにしても、あまりズルズル引っ張ってもいられなくなった為、ここは一先ず雨の間を縫って定植を実施する事に。

して、ここまでに生き残った候補生の一部が以下である。



まずはトメイトゥの苗。
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これが今期で一番大きい個体で、割りとガッチリしたルックス。



梅雨入り直前あたりから急成長し、根元からは気根がワサワサ伸びている。
これは恐らく根がポット内部で詰まっていて、更に伸ばせる先を模索していたせいだろう。
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ポリポットから取り出すと、なかなかの密度である。
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うん、やはり早く定植しておかねば。



しかし、その他に用意できた個体は、いずれも成長率が低く、貧弱な個体ばかりである。

この画像にある一群は、先の個体よりも一回り以上小さく、何だか頼りなさが漂う。
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ポットから取り出すと、やはり根の密度は薄め。
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更にその内の一本の土を落とすと、かなりヒゲが短い事が判る。
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この時点で正直、もはや期待出来ないも同然な状態である。

ただ、それとて結果などは最後まで解らないし、せっかく生えて来たのだから試す価値は残されている訳で、何せ捨てるよりはマシだ。
このまま定植し、最後まで見守ってみる事に。



さて、次に用意できたのはゴーヤの苗である。
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6月まで継続していた発芽作業が功を奏してか、ヤケクソで直播きしたものも全て含めて、これまでに最多となる約10本の個体が揃う。


その成長率にはバラツキがあるものの、一先ずここまで生え揃った事に安堵。
先日までは、あまりに発芽率と成長率が低すぎて、よもや今年はダメかも知れない予感が過るほどでしたからね。


で、これらは昨年度までの場所と並行して、更に数ヶ所スペースを分散させる形で定植。
それぞれの成長率の違いなども検証しつつ、経過を見守って行く。



ほんで、残った最後の一種類が、このカボチャの苗。
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今期の中では一番まともに成長した苗の一つであり、その意味では貴重な個体。
とは言え、実際は過去の個体(2018年の1期生)と比較するに随分と小さいものであり、心もとなさは否めない。


果たして無事に成長を維持できるのか、そして結実から収穫まで達成されるのか、やれるだけやってみるしかあるまい。



しかしながら、昨年度もだが、今期における成長率の低さは何なのだろう。
タネのバリエーションや数も揃えたはずだし、あれだけ沢山撒いておきながらコレだけとは、一体何が原因なのだろう。


この一因としては、いわゆる連作障害の可能性が疑われる。

実際、2018年の一期生では栽培した作物の全種類が収穫出来たし、思った以上の成長率を実現していた。
然るに、この土壌にある必須栄養素などを使い果たしている可能性はありうるし、そうでなくとも「相応に消耗」しているはずだ。


しかし一方、そもそもの発芽率からして低く、苗の成長も遅かった点を考えると、直接的な原因とするには足りない気もする。
やはり一期生での発芽率は全体的に今より高かったし、苗も元気な個体が多かった点を振り返れば、その違いは明らかだ。



そんな中で一つ、ここニ年ほどの間で少し気になっていた現象がある。
それは。



もしかして、近年「ますます野菜が自力で次世代を残せない性質になっているのではないか?」



と言う仮説である。



いや、イキナリ過ぎてトンデモ風に聞こえるかもしれないが、可能性としては有り得る線だし、過去の検証結果からしても確かな実感があったりする。

と言うのも、昨年度から今年にかけての事、市場の野菜から新しくタネを採種してみると、やけに中身がスカスカだったり、その形質が安定していない品種が多くなってきた印象が強いからだ。


具体的に言うと、例えばメロンでは過去と同じ品種と比べて、ここ最近の果実から採種したタネには全く中身が入っておらず、水に浸けると殆どが浮いて来るといった現象が急増していて、まともに使えそうなタネが残ってくれないパターンばかり。
それまでは中身が詰まっていて、水に沈んでいた方が多かったのに、だ。

しかも、これはカボチャやゴーヤなどでも似たような症状が出ていて、外見上はイケてそうでも、いざ採種して乾かしてみたら中身がスカスカといった例を幾つも確認している。


また過去の記録と比較しても、2017年に採種し冬越しさせてから2018年で育てた様々な作物のタネでは、いずれの品種でも中身がミッチリ詰まっていて、大きさや外観の質も安定していた記憶があるし、実際それなりの結果が現れていた。

だが、2018年に新しく採種し2019年に育てたタネでは、これまでに記して来た様な貧果が続いていおり、2019年採種のタネを使用している今期でも同様の現状がある。


これらの状況証拠からして、同じ品種でも「一昨年までのタネは高確率でイケてるけど、去年から今年のタネは殆どイケてない」などという現象が連続した事になるのだが、そんなパターンが果たして、様々な品種でも同時多発的に起こるものだろうか?

これが自然界だったら、本当に絶滅しかねない状況に思えてならないが。



もっとも、上記は単なる仮説に過ぎないし、この観測が果たして「気のせい」なのか「やっぱりそうだった」となるのか、イマイチ確信が持てないのが正直なところ。
他にも作物が不作になったり、植物の分布が変化する要因は幾つも存在するだろう。


ただし、少なくとも現状では「殆どのタネが不能になっていて、いずれの品種も世代を跨げなくなっている」だけの理由が存在する事は確かである。

多分このまま、どれもこれも、まともなタネが残らない状況が続いたとして、後に起きるのは…。


人間、そろそろヤバそうだぞ。




おまけシリーズ。




定植中に土を掘っていたら、不意に土中からバタバタッと生命反応。
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何かと思えば、ニホントカゲの♀。
しかも、幾つか白い卵を抱えていて、どうやら保温?の真っ最中だったらしい。


こうして土を耕していると、トカゲが飛び出してくる事が時々あるのだが、抱卵しているシーンは初めてである。
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どうでも良い話だが、これを見て昔ダウンタウンのごっつええ感じで「産卵」とか言うコントがあった事を思い出す。
今まさに、「産ませてよ」と言ったところか。



しかし、この後はどうしたら良いか分からず暫く観察したり写真を撮ったりしていたが、発見された事に耐えかねてか♀は唐突に猛ダッシュで逃走。
ちょっ、奥さん、卵…。
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もしや早く埋め戻すべきだったか?
ちと驚かせてしまったなぁと思いつつも、残された卵に触れてみると、思いのほかプヨプヨと柔らかくて、水分が抜けたデラウエアのブドウの粒みたいな感触である。

一先ずは改めて土を被せ直し、少し位置をズラす形でゴーヤを定植しておいた。



あれから無事孵化したやら、わざわざ確認まではしていない。
しかし、その後、やたら小さな子トカゲを頻繁に目撃する事となる。

中にはクモの巣に引っ掛かって外れなくなり、ジタバタもがいている所を助けてやったりと、珍しい場面にも遭遇。
それだけあちらこちらに居たのだから、無事に生まれた事にしておきたい。


そういえば昔、ダウンタウンのごっつええ感じで「トカゲのおっさん」とか言うコントが…(以下略)。




では、また、CUL。

食べ蒔き三期生ダイジェスト 6月下旬・直播きからの発芽ラッシュ

今期は発芽率の低さだけでなく、想定外の場所から生えてくるイレギュラーパターンが多い。
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その点を踏まえ、半ばヤケクソで手持ちのタネを手当り次第に投入。
少しでも発芽率を高める為に、畑への直播きを試みた。

ある意味、総力戦の様相でもあります。



それから暫し、ここ最近の地温の高さを反映してか、ものの1週間弱で畑に変化が顕れ出す。


とりあえずメロンがピョッコリ。
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あちこちから顔を出しているでは無いか。
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カボチャも一本だけ発芽。
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更に、「二世のタネ」から生れた「ゴーヤ三世」も発芽している。
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カップ保温ではサッパリ動きが無かったのに、直播きしたら即反応とは。
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いや、しかし、世代を跨いでの発芽が確認されただけで嬉しいじゃないか。
もしや生えないんじゃないかと思ってたしねぇ。
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とりあえず3本の発芽を確認出来たので、一先ずは個体数が揃う。
あとは、実際に生育し収穫までイケるかどうかである。



ただし、ここで一挙に発芽が確認されたは良いが、その確率については全体を通じて低いものであった。
実際に生えて来た数から推測すると、概ね蒔いた総数の30~50%程度と言った所。
あれだけ沢山使ってコレだけだとすれば、逆に直播きしまくって正解だったとは言える。



問題は、ここから本当に生育が維持されて、最終的に収穫まで持っていけるかが焦点になる。


いわゆる「市場でのシーズン」とはズレていても、この方式で上手く出来れば、それが新たな成功例の一つとして証明される事にもなる。

その意味では、スタートダッシュで出遅れたとしても、結果に繋がれば帳尻は合うだろう。


いや、そんな大それた理想論など置いといて、今は出来る手を出来る限り打ちながら進めるしか無いのであった。



では、また、CUL。

食べ蒔き三期生ダイジェスト 6月中旬・ヤケクソモードで直播きしまくる件

さて、相変わらず発芽に手子摺る当プロジェクト。
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前回までは、それでも何とか生えてきたものについて触れて来ました。



して、この間に新たに生えたのが、卵パックで保温していたゴーヤ。


現段階までに殆ど失敗に終わっていたが、6月も中旬になって昼夜の気温差が安定して来たからか、一挙に4個ほど発芽。
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コレらは全て、「一年モノ」のタネである。
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更に、同時期にカボチャも一個だけ発芽。
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昨年度は発芽すらせず完全な失敗に終わったが、今期は如何に。


ちなみに、正直このタネが一年モノだったか二本モノだったかは定かで無いのだが、確か多分、昨年度に採種した一年モノだったはず。

しかしながら、どちらにせよ発芽率は極端に低く、このカボチャも結構な数を蒔いたつもりだが、現状で生えたのはコレ一本だけ。
一期生では、もっと少ないタネで数本発芽していただけに、その率の低さは明らか。
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とまぁ、徐々に発芽も本格化してはいるものの、その中で未だ顔を出していないのが、メロンとスイカである。


実は、これらも5月の再始動以降、同時進行で卵パック保温を試していたが、一向に発芽しない状況が続いていた。
使っているタネも、鮮度の高いであろう一年モノを使っているのに、そりゃもうピクリとも反応ナッシングである。

少なくとも、不作であった昨年度の二期生では一応生えてはいたし、苗にもなっていた。
ましてや、一期生では最も発芽率が高かったのがメロンであり、むしろ蒔いたぶんだけ生えてくる勢いであったくらいだ。
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逆に言えば、これまでと同じ様なタネで、同じ条件下で保温していて、何で今期は上手く生えないのか謎が多すぎる。
しかも、過去の一期生と二期生の生育状況と比較しても、今期は全体的に生命力や「活性」が低い状況に思える。

ここまでの状況証拠を集めるに、やはり気候に何かしらの要因を求められる気がしてならないが、イマイチ決め手に欠けるし確証が無い。

そんな中で、いま出来る事と言えば、この不利な条件に合う成長パターンを探るだけ。
如何にしてリカバリーが出来るかどうかが重要となるのだろう。



そんな訳で、ここからヤケクソモードに突入。



ここまで今期のパターンを探るに、卵パックで保温していたトマトよりも、「図らずも畑に直播きされていたタネ」の方から先に発芽するシーンが何度かあった。

特に、今期は例年に無く日中は暑いのに夜が寒い状況が多い。
この外気温の温度差により、卵パックも急に温められたかと思えば急に冷やされたりで、タネとしても「生えていいの?ダメなの?どっち?」と混乱している可能性が有りうる。

となれば、実は「土中の方が急激な温度変化が少なく、適温に保たれ易くなっている」と考える事も出来るだろう。



そこで、時ここへ至るに、手持ちのタネを手当り次第、あちこち「直播き」する路線へ変更。
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上の画像にあるタネは左から、カボチャ、メロン、スイカで、いずれも一年モノと二年モノが混在。
ここへ更にゴーヤの余りも追加し、畑の空いたスペースに埋めまくってみた。


これら全ては、現在までに掻き集めて来たものの一部なのだが、ある意味では在庫一掃セールに近い状況と言えなくもない。
ただ、どちらにせよ、これ以上の期間保存すると鮮度落ちする可能性があったし、実際に二年モノでは発芽率が落ちるらしい現象も確認されている。


まさにゴチャ混ぜ、生えればサクセス。

とにかく、まずは苗が出来ない事には何も始まらない以上、生える確率を上げるのが最優先。
ならば、生命力が保持されている内に投入しておこうかなと。
この中から僅かでもイケてる個体が出てくれば結果オーライである。



して、その蒔き方に規則性は殆ど無く、とりあえずカボチャの列、メロンの列と言った程度に、まるで田植えの如く20cmくらいの間隔でタネを埋めて行く。

その次に、撒いた場所の表土を全面的にオガクズで覆って保温と保湿性をプラス。
これにより日中は地温を一気に上げるだけでなく、夜間の冷えた空気をブロックする効果を狙う。
まさに「天然のマルチシート」である。



更に、この直播きを選択した時点で、今期は「畑を耕さずに栽培」する方式を選択。
もう、そのまんま、その辺の雑草と同じ様に、フラットな地面で生育させる事にしてみた。

強いて他の理由を言えば、畝を立てるとスペースが足らず過密化する可能性があるのと、今さら耕したり植え替える場所を考る余裕が無いから。
このままでは更に生育期間が遅れるのは間違いなく、とにかく早く発芽させる事を優先。
ある意味、苦肉の策である。


ちなみに以前、こうして「全く耕さずに栽培する農法」があると雑誌かテレビかで知ったのだけど、少なくとも当プロジェクトでは初の試みなので、果たして本当に上手く行くのかは未知数である。

ただ確かに、普通の雑草は土壌が踏み固められていてもホイホイ生えてくるし、世代も跨いでいる。
そう考えると、この方式では、より自然な形で「本当にイケてる個体」だけが生き残る事になるのだろうし、移植や間引きの手間も少なく済みそうなので理には適っているとは言えそうだ。


また、他のメリットとしては、土壌の保水力が高まるであろう点も挙がる。

何故なら、畝を立てた場所は「線(点)」なので、その部分しか水分を保持出来ないが、耕さずフラットな場所では「面」を作る事になり、文字通り土の全面で保水する事になる。
そこで植物の根が横に広がり絡み合う事で、更に土壌全体での保湿性も高まると考えられるからだ。

そのぶん水捌けは悪くなるのだろうけど、どちらにせよ成長期には水が必要だし、特に盛夏となれば土が乾燥しがちである事を思えば、やはり保水力があるに越したことは無い。


その上で、「より自然な形で、より手間要らずで、より生命力を開花させられるか」と言った要素の実現に近付ければいいかなと。

ま、体のよい言い訳ではあるにせよ、とにかく今は何でも試してみるのみ。



目覚めよ、雑草魂!



そんな具合で、経過観察を続けて参りましょう。




おまけシリーズ。



前回に続いて、ジャガイモの葉の上にいたナナホシテントウ
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カマキリの幼虫と同じく、やはりアブラムシを食べてくれる重要な存在。



更に、ササグモ?も登場。
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この後日、ウリバエが別の種類のクモの巣に捕らえられたシーンも目撃する事に。



しかし、ジャガイモにばかり色々な虫が出現するのは何故なのか。
やけに鉄壁の防御体制であるが、今の所まともに生えてる植物がコレだけである事を思えば必然か。


いずれにせよ賑やかな光景だし、ここは集まりやすい環境なのだろう。
この様に、様々な種類の生物が互いに拮抗する事で、病害虫の偏りを防いだり、生息域の環境が保たれているんだろなぁと、しみじみ実感する。

その意味では案外、カマキリ、テントウムシ、クモを積極的に活用する農法があっても良いんじゃないかと思わなくもないが、それもまた人の都合に過ぎないか。

無粋な話は抜きにして、好きなように過ごさせておきましょうかね。



では、また、CUL。

食べ蒔き三期生ダイジェスト 6月上旬・ゴーヤの発芽はじまる

5月より再始動したものの、相変わらず発芽率の低さに苦戦している当プロジェクト。
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その間、どの品種も継続的にチャレンジしていたお陰か、6月に入ってから次第に変化が顕れ始める。



その変化はゴーヤにも。



5月下旬ではサッパリ動きが無かったが、ここに来てやっと芽が出て来た。
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これはプラカップで保温していたグループ。
早いところ成長を促したいので、ほどなく紙コップへ移植。


更に、卵パックで保温していた方でも辛うじて一本生えていたので、これも紙コップへ移植。
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ただ、やはり、これまでと比べて成長率が低いのが気になる。
実際、昨年度の二期生で発芽した当時と比較しても、伸びていない個体ばかり。
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いや、そもそも発芽率自体が、これまでより低すぎる。
そんなに今年の気候では生育条件が合わないのか?


この時に使ったタネは、昨年度に市場の品種から採種した「一年モノ」であり、クオリティ的にも一定水準を満たしている。
つまり、やっている条件自体は昨年度と変わっていないのに、何故か発芽率も成長スピードも違うのだ。



また、2018年に採種してから持ち越していた「二年モノ」は、チョロッと芽が出てからウンともスンとも動きが無い。
ここまで出ていながら、何でキッチリ生えてこないのだろう。
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このタネは昨年度も大して発芽率や成長率が高かった訳では無いのだが、それでも今期よりは明らかに生えていた。


一連を鑑みると、単に保存期間の問題だけでは無い様に思えるが…やはり発芽に足りない要素でもあると言う事なのか。



ちなみに、この時点では「ゴーヤ三世」も発芽していない。
正確には少し膨らんだ程度で、やはり惜しい所で止まっている状況である。


それで以前、食べ蒔きで生えたメロンのタネ、即ち「実生の二世から三世は誕生するか」を検証してみたが、いずれも生えないか、やけに貧弱で枯れやすい個体ばかりであった。
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この様に、食べ蒔きで育てた個体のタネは生命力が極度にスポイルされ、「世代を跨いでの栽培は不可能」と言われているのだが、確かにメロンではパターンが適用された事になる。
となれば、今回のゴーヤもパターンにハマる可能性は無きにしもあらず。


だが、しかし、まだ決まった訳では無い。
この後、もう少し別のアプローチを試す事となる。



さて、この他の動きとしては、以下のトマトである。


またしても妙な所から芽がコニャニャチワ。
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実はコレ、アボカドを植えたプランターの端っこから生えてきたもの。
当然、こんな所にタネを蒔くはずが無い。


だが、よくよく思い出してみると、確か5月上旬に失敗した時の卵パックの土を入れ替えるついでに、このアボカドのプランターに土寄せのつもりで乗せておいた記憶が。

つまり、実のところ土の中でタネは生きていて、それを知らずにテキトーな場所へ移しておいたら、その場の地温によって目覚めたと言うワケ。
まさか1ヶ月近く遅れて、こんな事が起きるとは。

更に、この他にも、同時期に土を破棄したと思われる場所から、もう一本発見する事になる。



この前も知らぬ間に畑から芽が出ていたが、何か今期はイレギュラーなパターンが多い。
こんな事なら、最初からタネを直播きしておけば良かったんじゃないかと思わなくも無いが、まさかこんな展開が起ころうとは。

とりあえず、また苗の候補生が出来たので移植するのだが、今回の二本については直で地植えする事に。

理由は特に無いが、とりあえず全体的に成長が遅れているので、「紙コップ育苗」と「いきなり地植え(定植)」で生育条件を多面化すれば、どちらか成功率が高まる気がしたからである。



が、実はこの暫く後になってから、畑の除草中に間違えて抜き取ってしまうと言う、ケアレスミスをしでかす。

抜いた事に気付いた時には既に時遅し、雑草の束に隠れて行方不明に…。
何をやってんだオノレは、と自己ツッコミを入れたい気分である。


今更どうもこうも出来ようも無い状況なのだが、どうにかして個体数を増やせないかを考えた末、いわばピンチをチャンスに、つまりケアレスミスエアロスミスにと発想を転換。

この「直播きしたら生えてきた」と言う現象をヒントに、次回ある方法を試す事となる。



いやはや、何にせよ昨年度以上に掴みどころの無いパターンばかりである。

また不作なんて同じ轍を踏みたくは無いが、どうすれば上手くものだろうか。


もう暫し、試行錯誤は続きそうである。




おまけシリーズ。



ジャガイモの葉の上に、カマキリの幼虫を発見。
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この時、同じく葉の上にいたアブラムシを捕食している最中だったのだけど、撮影に驚いたのかポロリしてしまった。
かなり判りづらいが、カマのすぐ先に小さくアブラムシの残骸が転がっている。



食事中にスマヌ。
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このカマキリは、この後も暫くジャガイモの葉に居着く事となる。

そこでアブラムシを食べて成長するだけでなく、畑の環境を維持するのにも寄与してくれるのだから、何とも頼もしい限り。


猫の額ほどの小さな菜園でも、そこには確かな生態系のドラマが存在しているのでした。



では、また、CUL。

食べ蒔き三期生ダイジェスト 5月下旬・ゴーヤのタネ蒔き&トマトの発芽

今年の春は明らかに日中の平均気温が高かった。

例年、5月で30℃を越える日など殆ど無いに等しく、かつては真夏日になるなんて珍現象扱いであったが、何故か全国各地で頻発。
なんだか常態化しているかの様でもある。


しかし夜間は普通に冷え込むためか、この気温差によって保温温度の調整に手こずり、上手く発芽させられずにいた。
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そんな例年になく暑い気候で思い出されるのが、ゴーヤである。
この機に乗じて、コチラも発芽に取りかかりたい。



今回、用意したタネは昨年度に使った余りの二年モノ(画像左)と、昨夏に市場の品種から採種した一年モノ(画像右)。
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これらに加え、昨年度の「収穫物から採種されたタネ」も試してみた。
その採種したタネに纏わる話がコチラである。
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これは確か、2018年に採種したタネ(一世)→2019年に栽培し収穫したもののタネ(二世)で、いわば今期では「三世」にあたる。

ならば、二世のタネから三世が生えるかどうか試してみようじゃまいか。



発芽の方法は、これまで通り。
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改めて概要を記すと、先ずコップの様な容器にティッシュを敷き、幾つかタネを置いたら、全体が湿るくらいの水を注ぎ、ラップを被せて保温し、室内の暖かい場所や日なたに置くだけ。



なのだが、ここから一週間経ってもサッパリ生える様子が無い。
しかも、品種を問わず全てのタネで、である。
これまで気温条件さえ合えば3日もすれば芽が出て来たのに、何故だ?

確か、昨年度の二期生でも5月までは発芽が上手く行かず、6月に入るあたりから発芽していた。
その意味では今期も同じパターンとなるだけの話なのかも知れないが、この「発芽後の伸び率」については明らかな違いが出ているのだ。


よく観察してみた所、タネの切り口から白っぽい組織がチョコっと出てはいるし、全体的に膨らんでいる様子もある。

だが、それ以上の変化は無いに等しく、一度は目覚めたものの今は「停止」しているかの様な印象。
その後は、どんなに日当たりの良い場所に置いても変わらず、本当にタネが生きているのか怪しさが漂う。



そう言えば、5月上旬にトマトの発芽で失敗した時も、「昼夜の気温差が激しすぎて日中に保温しても夜間に冷やされてしまう」との仮説を述べていたが、その状況は下旬に入っても変わらずであった。

この気温差が厄介で、何と言うか、日中は一気に気温が上がり過ぎだし、そこから夜間は一気に下がり過ぎて、適温を保てないシーンばかりなのだ。


とすると、このゴーヤも気温差により、「発芽していいんだかダメなんだか分からない」状態なのだと推察する事が出来る。
確かに、少なくとも一期生や二期生では無かった現象だし、あの当時は保温温度が一定に保たれていたので辻褄は合う。



どちらにせよラチが明かないので、そのままコップでの保温を継続しつつ、卵パックでも同時進行で発芽を試みる事に。

この理由としては、環境を変えればスイッチが入りやすくなる可能性があるから。
気温だけでは無く、土壌に含まれる養分や微生物の作用により、植物が本来持っている生命力が引き出されるのでは無いかと考えたのだ。

その結果は、6月上旬の記事にて記そう。



ちなみに、昨年度に採種したゴーヤのタネで、もっともダメダメな状態だったのがコチラ。
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ご覧の様に、全体的に殻が柔らかくて割れやすく、中身もペラペラに薄いものばかり。
まず発芽しないであろうクオリティである。


これらは全て同じ市販の品種から採種したもので、比較的サイズも大きかったもののタネなのだが、採種後に乾燥させてからすぐパリパリになってしまい、一年も経たずこの有り様だった。
採種した当時はデカイタネだと思ってヌカ喜びしたけど、これでは殆ど全てのタネが使えない事になる。


これまで当プロジェクトでは、未熟果のタネを中心に使っているが、それでも中身が詰まってはいたし普通に栽培も出来ていた。
だが、たまに外見上では普通以上なのに、何故かこの例の様にスカスカなタネばかりの品種があったりする。

この違いが一体何なのかは不明であるが、とりあえず外見上で果実やタネが大きいからと言って、必ずしも中身のクオリティとは比例しないパターンもあると言う事なのだろう。



実は昨年度にも、このゴーヤのタネに関する不思議な現象を記している。
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この当時は、何故か「中身がミッチリしてるタネ」より「中身がスカスカのタネ」の方が発芽率が高いと言う結果になっていた。


何だか捕え処の無い話だが、要するにゴーヤのタネは外見と中身が一致しないパターンがあり、生えなさそうなのに生えたり、生えそうなのに生えなかったり、みたいな現象が起こったりする。

その意味では、やはり出来れば複数の品種を集めておき、試せるだけ試しておく方が、栽培の成功率も高まるのでは無いかと思います。



一方、このタイミングで、卵パックで保温を続けていたトマトのタネが発芽する。
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かなりの数を蒔いたつもりだが、生えた本数的にはパヤパヤ程度。
一期生の時にも思ったが、意外とトマトの発芽率は低く、結構な手数が要る印象。

まぁ、実生なのでタネ自体の生命力がスポイルされている点は否めないにせよ、成功率を鑑みればタネは沢山揃えておくに越したことは無い。
この辺は、どんな作物でも同じ事なのだろう。



ほんで、この生えたばかりの芽も大事に紙コップへ移植。
ちなみに、こういった小さい芽を掘り出したり移植する際は、使用済みのスプーンを使うのが便利でオススメです。
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少しづつ出揃い始めて来た感はあれど、余談を許さない状況。

苗を揃えるには遅れ気味なので、どうやら6月も発芽に注力せざるを得なさそうである。

果たして今期はどうなる事やら。



では、また、CUL。

食べ蒔き三期生ダイジェスト 5月中旬・再チャレと再生ジャガイモの発芽

前回の失敗後、すぐさま再チャレとなるのだが、相変わらず発芽する兆しが無いまま。
この中旬に差し掛かっても昼夜の気温差は変わらず、保温が安定していない。
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しかし、それでも今は継続するのみ。
タネの個数と卵パックを増強し手数を増やしつつ、更なる確率アップを図る事に。



そんな最中、二期生の終了後から休耕中にしていた畑で、ちょいとした変化が。
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ある日、何となくポツポツと生えた雑草に混じって見慣れない植物がある事に気付く。
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もしやと思い、観察した後にネットで調べてみると、どうやらジャガイモの苗である様子。
それが数ヶ所から生えているのだ。
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この畑には肥料として、継続的に「生ゴミ」を投入している事は何度も触れている通りであるが、確かに、その中にはジャガイモの皮も幾つか含まれていた。
現状で生えた位置から推察するに、恐らく今年(2020年)の始めか、2~3月あたりに埋めた場所では無いかと推測される。


あえて言えば、このジャガイモの皮も「再生」する事を狙って埋めていた節があり、実はこれまでにも何度か試していたりする。

しかし、その大半は失敗に終わっていて、一度だけ2018年の一期生当時に小さな苗らしき個体が生えているのを確認した程度。
その個体にしても、枯れ気味だった所を引っこ抜いてみたら、ウズラの卵くらいのイモらしき物体が出来ていた程度で、むしろ当時は「よく分からない雑草のムカゴ」か何かと思って破棄してしまっていた。

いずれにせよ、これまでに上手く生育したためしが無く、また収穫には値しないクオリティのモノしか出来ていなかったのである。



しかし今回の個体は、それなりにまともなルックスで普通の苗らしい姿をしているし、これはもしかするとイケてるヤツの可能性もある。

果たして、「生ゴミからサルベージされたジャガイモの皮」から新たに収穫されるのか。
とりあえずは下手にイジらず経過を伺う事に。



更に畑には、こんなものも生えている。
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これはニンニクで、「伸びすぎた芽と球根の芯」を植えたもの。
要するに、保存中に芽が出てしまったので、タマネギの様に使える部位だけ剥いたあとの中心部である。


確か4個ほど同じ様な芽を植えていて、この撮影時点では植付け後から数週間ほど経過しており、一応は生育している。
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しかし結論を言えば、これら全ては暫く後になり、いつの間にか枯れて土に溶ける様にして消失。
いずれも再生には至らずじまいである。


ニンニクの芽も再生するとの話を知ったので試してみたが、やはり生育するには決定的に何かが足りないのか、それとも植えた時期の問題か。
やるなら球根の一部分だけじゃなく、一片丸ごと使うのが無難なのかも知れない。



さて、普段とは違う顔も居る畑の中で、想定外だった一本がコチラ。
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そう、これはトマトの芽である。


あれ、直播きした記憶は無いのだが…。



実はコレ、知らない内に生えて来たもので、どうやら埋めた生ゴミに混じっていたタネが発芽した様なのだ。
あんなに卵パックでは温度管理で苦戦しているのに、何もしていない地面からサラリと生えるとは何たる事か。



しかしながら、この出来事により、とりあえず苗の候補は確保された。
これは早い段階で紙コップに移し替え、卵パックと共に保温容器に入れて保護する事に。


そしてこのトマト以降、また予想外の出来事が起きるのだが、それは6月の記事にて触れてみます。




では、また、CUL。

食べ蒔き三期生ダイジェスト 5月上旬・タネ蒔き開始

2018年の初代より開始した当プロジェクトも、気付けば早3年目。

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改めて概要を説明しておくと、いわゆる市場に出回る品種の作物などからタネを採種し、再び蒔いて栽培してしまおうと言うもの。

過去の実績から言えば、そのクオリティ面は別として、確かに収穫し賞味可能である事が確認されていた。



しかしながら、その再現性については不確実性が高く、世代を跨いで全く同じモノを作るのは難しい事も分かっている。
総合的に言えば、満足な収穫物を得られる確率は低いし、それこそフツーに市販のタネを使った方がフツーに栽培出来るのが事実である。


正直、この試みが一体何の役に立つのか自分でも良く分からない。

だが、それでも、続けてみれば新しい発見があるのではないか。

そう言った実験的観点で進めているのであります。



はてさて、そんなこんなで今年もチャレンジと相成る。



正直、やってる事や栽培している作物も例年と変り映えしないのだけど、強いて理由を挙げるとするなら、いずれも単に採種しやすく育て易い品種だからである。
まぁ、他のタネが手に入らなかったって言うのもあるんだけど…。


しかし、有り体に言えば、それらは成長が早く経過観察に適しているし、継続的に栽培する事で比較検証も可能になる。
そこは一種の定点観測と言うか、年により「こんな事例もある」との参考資料にはなるかなと。

実際、2018年の一期生と2019年の二期生では、その生育条件など様々な違いが明らかになりましたからね。



そんなムダな前置きはここまでにして、チャチャッと話を進めて行きましょうかね。


では、いざ。


🌑5月上旬・タネ蒔き開始🌑

昨年暮れから今年にかけては暖冬で、やけに気温が高い日が多く冬らしくない気候が続いていた。
特に今冬は、その傾向が顕著であった。

変な話だが、何故か2月頃に「夏の匂い」が空気中に漂っていた時があり、今までこんな事は無かったので違和感が凄い。

それは春に入ってからも変わらず、なんだか季節の変わり目が曖昧で、メリハリ無くズルズルと「暖かさだけ」が上下しながら推移していた様な印象。
実際、今年は異様に早く桜が開花した点からしても、例年との違いが際立っているのは確かだ。



そのせいもあって、暖かいんだか寒いんだか、タネ蒔きのタイミングが掴めずにいたのだが、とりあえず5月のゴールデンウィーク明けから日中気温が安定して来たので、手始めにトマトの発芽を試す。

やり方は、これまで通り「卵パック+ビニール袋」での保温である。
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今回のタネは、昨年度に採種したものや数年前のものが混在。
それぞれ質感も微妙に違っている。
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その昨年度にあたる2019年の二期生では、新しいタネも2年越しのタネも上手く行かず、結果的に不作に終わった年になってしまった。

なので、今期はあまり保存期間には拘らず、手当り次第試して発芽率の高さを重視。
とにかく沢山蒔けば、成長する確率も高まるであろうとの想定である。



ちなみに、今回は新たに黒土(黒ぼく土)を導入してみた。
特に理由は無いが、何となくフレッシュな土を使って発芽させてみようかなと。
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なのだが、この第一陣に関しては失敗。
蒔いてから一週間以上経過しても、何ら変化が現れないままであった。



原因は判然としないが、恐らく夜間気温が寒くて発芽温度が不安定だった可能性が有りうる。

と言うのも、この時期にしては珍しく日中気温が30℃あたりまで上昇していたのだが、夜間気温は10~15℃と寒く乾燥した気候が続いていたからだ。

この落差によって保温効果が一定せず、せっかく発芽温度をキープさせていても夜間になり一気に卵パック全体が冷やされて適温から外れてしまう。
これでは、目覚めのスイッチが入力されても、すぐに停止させられている様なものである。


確か、2018年の4月~5月頃は今ほど昼夜の気温差が激しくなく、日中に保温しておけばジンワリと効果が持続していた記憶があるが、それと比較して今期は妙に極端で読みづらい。

よく天候不順などでタネ蒔きが遅れる話がある様に、植物は些細な環境変化を敏感に感知していて、その影響が発芽時点で顕れてしまうし、のちの生育をも左右する事に繋がる。
そりゃ自然界でも「当り年・外れ年」がある様に、必ずしも同じ種類が同じ勢力で発生しないのも、こうした環境的要因が絡んでいるせいもあるのだろう。

その意味では、如何にして安定的な環境下で発芽させられるかが生育の成否を分かつだけに、まいど保温や管理の難さを実感するところ。



もっとも、この失敗は昨年度も似たパターンで発生しているし想定内ではある。

とにかく、今は手数を増やし、沢山蒔いて試しまくるのみなのであった。




では、また、CUL。

補強したはずのグローブを補修した話

以前、5月の記事で「革グローブの補強」と作業工程について記したのだけども。
culrides.hatenablog.com


その後の7月ごろ、食べ蒔きプロジェクト前に除草していた際に、指先の補強材が剥がれ出すと言うトラブルが発生。
ほんの数時間ほどの間に、スコップを握って土を掘り起こしたり、草を掴み続けていると次々に剥がれてしまったのだ。
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患部をチェックしてみると、どうやら接着面に水分や土ボコリが侵入した事で、強度低下が起きていたらしい。
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とりあえず剥がれた補強材を集め、後日、改めて接着し直す事に。



せっかくメンテナンス手法まで記したのに、こんな早く強度低下を起こしたのでは読者の方に示しがつかない。
ここは一つ、前回の記事に対して補足的な説明が必要であろうと思い至る。

そこで今回は、剥がれた原因の考察と、施した補修の一例を記して参りましょう。



さて先ず、この剥離の原因として考えられたのが「接着剤の相性」である。


前回で使った接着剤は、「ボンドGクリヤー」と「セメダイン スーパーX」の二種類。
それぞれの使用量抑制とコスト削減の目的で、これらを部位ごとに使い分けていた。
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それで今回の剥離箇所なのだが、もともと指先の表面にはスーパーXをコーティングしてあり、補強材(当て布のスエード)の方にはGクリヤーを使用していた。
つまり、この指先と補強材では別々の接着剤が使われていて、その相性が合わず強度低下を招いていたらしいのだ。

確かに、その接着面は「層」の様に綺麗に剥離していたので、いくら樹脂系の接着剤どうしと言えど単純に溶着してくれる訳では無いのかも知れない。



ちなみに、以前にもスニーカーの修理における記事について、後々に今回と似た様な反省点を追記した事が。
culrides.hatenablog.com

ここで不思議なのが、Gクリヤーの接着面をプラスチックなどに放置していると化学反応?で溶着してしまうのに、なぜ同じ様な樹脂系の接着剤などには溶着しなかったのか。
溶ける素材と溶けない素材とで、何か微妙な違いでもあるんだろうか?

とは言え、また同じ轍を踏んだ事になるんだけども…。



従いまして、今回は潔くスーパーXのみを使用。
前途した曲がりや水分にも強いので、補修におけるメイン接着剤となる。


ただし一つ懸念があるとすれば、今回の補修は「既に乾燥した接着面に、また接着剤を塗った」だけであり、やはり再度剥離するリスクは残るものと考えられる。

本来であれば、グローブの表面も補強材もまっさらな状態で塗布した方が強度が高いはず。
何故なら、革の表面に凸凹がある方が浸透し易いし、接着材の流動性が高い状態で双方を貼り合わせた方が一体化させ易いですからね。


とどのつまり、「材料費をケチらず最初から全てスーパーXで補強すれば良かったのかも知れない」と言うお話なのでした。



ほんで、その補修方法は単純に、


①補強材に残ったGクリヤーの残骸を出来るだけ剥がす。
※今回の様なケースの場合、出来れば補強材もグローブの指先も、接着面を軽く紙ヤスリで削った方が強度が高まると思います。


②改めて補強材にスーパーXを塗布し、指先に張り付ける。
この時、スーパーXが多少ハミ出す程度に塗布して、接着面の端っこもキッチリ塞ぐ様に塗れば強度が高まるでしょう。
この端っこが塞がれていないと、その部分が引っかかってペロッと剥がれたり、隙間からホコリが入ってしまいます。


③接着したら、すかさず下敷きの様な板や雑誌(コーティングされた表紙側)で上下からグローブを挟み、更に上に重しを沢山乗せてプレスしミッチリ圧着させる。
プレスする時間は長くとった方が効果的。


④指先の端など部分的なプレスが必要な場合は、クリップや洗濯挟みを使いピンポイントで挟む。
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この状態で、また乾燥するまで置いておく。



と言った具合いで仕上げてみた。




で、完成品がコチラ。
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この機会だったので、他の端っこが剥がれかけていた箇所も補修している。
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ちなみに、こういった端っこの部分は、全面的に圧着プレスさたつもりでもチラホラ隙間が空いてしまう事もある。
そんな時は、上記工程④で記した方法で細かく手直しして行けば、より隙間なく仕上がるかと思います。
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どれだけ強度が満たされているかは、今後の使用で明らかとなるだろう。
もうちょい長持ちしてくれるといいんだけどねー。



とまぁ、色々とフォローを加えたものの、毎度ゴタクばかりでイマイチ結果が伴ってくれないのが、このブログの悲しいところ。
これもまた参考事例の一つとして、「こういう風にやってるヤツもいる」と言った話に留めて下さればと。

きっと更に強度を得られる素材や方法が存在するはずなので、色々な組み合わせで試してみては如何かなぁと思う次第であります。



では、また、CUL。

この世に生ゴミなど存在せず、本来なら全て自然界に還元していないとバランスが合わなくなってしまう話 後編「起こりうるリスクと考えられる解決策」

さて、前回は生ゴミを有効活用する為の理由を解説するにあたり、この現代で何故、社会問題化するまでに至ったのか。


その構図を、過去の時代にまで遡りつつ言及して参りました。
culrides.hatenablog.com



して今回は後編として、そこから起こりうるリスクとは何なのか。
どうすれば、それを解決にまで導けるのか。


いま考えられる方法論を、様々な角度から考察してみましょう。


●人間が集めた資源が多すぎて自然に戻せない●

前編でも記した通り、大量に集めた資源を使った後には相応量の副産物がつきもの。

その「人間生活で出た残骸に含まれる養分」を自然界に戻す事で思わぬ公害を引き起こした事例は、過去に様々なパターンで経験済みである。



この人間生活と言うカテゴリーで発生した身近な例としては、高度成長の頃に「各家庭で米の磨ぎ汁を河川に流したら、水中のチッ素とリン等の有機物が増え過ぎて赤潮を招いた」等の現象が該当する。


何故そんな事が起きたかと言えば、人口が一気に増加し、食料を大量に消費し始め、それらの残骸に含まれる養分(有機物)が一斉に河川へと排出されたから。

本来ならば、それら有機物は植物性プランクトンの栄養源となり、更に大きな生物に食べられる事で分散して行くのだが、これが近代になり一時の流入量が多過ぎて、いわば自然界の分解能力では追い付かずキャパオーバーを起こした訳だ。

冷静に考えれば、「それまでに存在しなかったほどの量」が流入するのだから当たり前の話である。
そういった過剰な富栄養化や汚染を防ぐ意味で、これまでに下水道や浄水場を整備してきた経緯があり、近年は随分と水質改善された場所も多い。


無論、河川の汚染や海の富栄養化を招く要因は多様である。
その他にも、この食料生産の為に撒かれた肥料の余剰分も含まれていると言うし、また洗剤や工業排水なども絡んでいるので、必ずしも米の磨ぎ汁や生ゴミだけが問題なのでは無い。

ただし、これら要因のいずれも人間生活に由来する事だけは共通しており、全て合算する形になったが故に被害が大きくなったとも言えるだろう。
その意味では、もし要因の一つでも流入量が少なくなっていたならば、また違う経過を辿っていたのかも知れない。



こういった事例が実際に存在する様に、有機物を一気に戻してしまうと別のリスクを引き起こしかねず、単に「水に流せば良い」などと安易な手段で済む話ではない事がお分かり頂けるはず。

そう考えると既に、だいぶ以前から、もはや人間が集めた資源が多すぎて、そもそも戻したくても戻しようが無い状況に陥っていた事にもなる。
特に、都市部などは「局所的に繁栄」した事もあって、環境への流入量が急激に上昇するのは必然であり、慢性的なキャパオーバー状態なのだろう。


そういった場所では山林や田畑の面積が少ない為、余計に行き場を失う構造となっているので、なおさら「何処へ循環させられるか」が問題となる。

つまり、いくらコンポストなどで生ゴミを堆肥化させたところで使える場が殆ど無いため、利用するには何処か「別の場所へと分散」させる必要性も出てくるのだ。



だとすれば、人口も資源の消費量も多い地域ほど適切に還元できる環境が反比例に減少するなど、何だか皮肉な話である。

果たして、この様な片道一方通行で消費し続ける状況で、先々まで持つものなのだろうか?


●資源が元に戻らないまま消費だけ続いた先に●

もはや言うまでも無く、この一方的な資源の収集と消費が続けば、何処かしら皺寄せが来るのは確実。
と言うか、既に何年も昔から症状が顕れているのが現実である。


それを証明する一例として、どこか広大な地域一帯に広がる大規模農場で穀物を育てる場合、それ相応の「水」も必要になる。

ただし、これが近隣の河川などから引けるならば供給量は安定するだろうが、その土地柄や気象条件によっては雨量が少なかったり、また水源から遠い場所などでは安定的な供給が難しい事もある。
あるいは、下流域への影響を軽減するため取水制限を設けるなどで、必ずしも取り放題と言う訳には行かない。



それを解決する手段として、農地の地中から地下水を汲み上げるパターンがある。
それをスプリンクラーやシャワーの様な装置で、一斉に畑へ散水する映像をご覧になった方もいる事だろう。



しかし、実の所この手法は大きなデメリットと隣あわせにあり、数年も使えば枯れてしまう事例が続発してしまい、作付けが不可能となった場所も存在する。
また、地下水の水圧や体積が失われる事で地盤沈下を起こす例なども、度々ニュースで報道されるところ。


考えれば当然だが、雨水が浸透しようが山肌から潜り込んだ伏流水であろうが、地下水脈の「流入量」や「貯水量」には限界があり、そこから無制限に取水を続ければ回復に時間を要するに決まっている。
しかも、「本来ならあったものが無くなる」事で、その地下水による湿度を基に生存していた既存の植物や生物さえ生存が脅かされてしまうだろう。

大体、その地下水も元はと言えば大規模農法の為に存在していたのでは無く、有り体に言えば「その土地に関連する生物」が「ある分だけ」で恩恵に与っていただけの話であり、そもそも全部吸い出される事を前提に作られてなどいないのだ。



ちなみに、「家畜に与える飼料」を輸入している場合、その飼料となる「穀物を作る為の水分」も含めて輸入量にカウントされる場合がある。

これは暗に「おたくはウチの資源をこんだけ使ったよ」と言われるに等しい概念であるが、上記の現象を拡大解釈してみれば身近なあらゆる所で、他にも鉱物や木材などでも似た様な構造が繰り広げられていたりする。



つまり言ってしまえば、もはや証明するまでもなく、この「資源を一方通行で消費すると土地が荒廃する」現象は、規模の大小や素材を問わず至る所で起きている。

前編では、これらが「局所的に発生する」と記したが、要するに「美味しいスポット」から集中的に資源が持ち出される事で、そこから本当に無くなる場合すらあるのだ。

そればかりか、最終的には廃棄されるだけで何処にも戻る事は無いのだから、まさに悪循環である。


しかも、それがこの現代社会を支える基本構造を成しているが故に、誰にも歯止めが効かず行く所まで行かざるを得ない状況に陥っている。

そして、それらを「外」に持ち出し続ける事で更に拡大しかねないからこそ、本来であれば無制限に取り尽くさない様に、使い切らない程度に抑制されていないと、様々な意味でバランスが崩れてしまう。

それは物理的な不足のほか、「持ち出す側」と「持ち出された側」での感情的な軋轢や摩擦も含めて、である。



はてさて、こんな有様で人間は何時まで大丈夫でいられるだろうか?

何だか状況を整理するほどに、希望が薄れていく感じがしないでもない。

果たして、これに解決策など存在するのだろうか?



そんな中でも考えられるアイデアを、次の項目にて立案してみましょう。


●集めた分を原資に土地の中で循環させてみる●

さて、これら収集された資源より発生した残骸、この記事で言う生ゴミを適切に有効活用するには、どうすれば良いのかと言う話になるが、その解決策も既に幾つかの試みがなされていたりする。


その代表例としては、「バイオマス発電」が知られる所。


これは間伐材を始めとした木材を燃やしたり、有機物を発酵させてガスを発生させる事で、電力のエネルギー源に変換されると言うもの。
また、これらは基本的に「既存の資源が原資」となる為、余計な炭素を使わない(とされている)との観点から、カーボンニュートラルカーボンオフセットとも呼ばれている。

これに纏わるデメリットも様々に言われてはいるが、少なくとも「廃棄物を最大限まで利活用する」との意味では有効な手段に違いない。


更に近年は、いわゆる排泄物を原料にエネルギーへと変換する研究も進んでおり、既に「下水汚泥」が使われた発電も行われている。

その具体的な方法は長くなるので端折るが、確かに、人間でも日々排出される多量のアレを資源として活かせれば「全体的な自給率」は向上するし、最終的に使いきった後の残骸だけ焼却処理する方が理に適っている。

いずれも、今はメインストリームならずとも、いずれ時間を追う毎に効率化がなされて行く事にもなるのだろう。



しかしながら、前編でも記した様に、この生ゴミは根元的な意味で「食料」に還元が可能である。


基本的には土に埋めるだけでも分解されるのだし、ほぼ加工せずに再利用が出来る以上、本来ならば「養分を循環させる」事の方が最も優先順位が高いはずだ。

特に、ゴミの削減自体が目標化されつつある昨今、地域や自治体によっては処理場で堆肥化の専用設備を設けている所もある。
これはつまり、生ゴミなどを再利用するにあたっては、「その為のインフラ」を整えられるし、「それが可能」である事も意味している。

むしろ、コストの比率で言えば、別のエネルギーへ加工したり変換するためにも設備費や電気代が必要な点からして、堆肥化の方が安上がりだろうとも思われる。



その意味で個人的には、どちらかと言えばバイオマス発電などは「最後」に来る手段なのではないかと考えている。

然るに、「生ゴミは肥料」に、そして「排泄物は燃料に」と言った使い分けによって、更なる適正化がなされるのではなかろうか。
とにもかくにも、先ずは「外部から集められた養分」を捨てる事なく、極力あます所なく「回収」しておきたいのである 。



とは言え、冒頭の項目でも記した様に、仮にコンポストを各家庭に設置出来たとしても、集合住宅や住宅地が密集する都市部などでは、「資源の消費量に反比例して循環させる場が無くなる」と言う問題が立ちはだかる。

この構造をクリアしない限り、結局は「使い切れなかったら焼却」と言う事になりかねず元の木阿弥、それこそ設備投資した意味すら無くなってしまうだろう。



そこで一先ず解決策としては、家庭内で発生した生ゴミから作られた堆肥を「外部に下取り」したり、その量に応じて何か他の野菜などと「物々交換」するシステムが考えられる。


ただし補足として、現状、「肥料の販売」は県知事への届け出が法令で義務付けられている。

これは内容成分による健康被害を防止する為の措置だそうで、確かに要らぬ不純物が混入している場合、作物どころか人体にまでダメージを与えてしまう可能性がある。
実際、一般販売されている肥料には成分表示が記されており、明確な品質管理基準が定められている事が伺える。

従って、無許可での個人売買は肥料取締法によって禁止されているので、注意されたし。



もっとも、上記したシステムが確立されたとて、「どうやって交換するのだ」という問題が立ちはだかる。
何処にも吐き出せないままでは、溜まって行く一方になってしまうだろう。


これについては、例えばチリ紙回収の要領で、定期的な巡回がてらトイレットペーパーと交換するみたいな。
また、スーパーやホームセンターなどで回収日を設けて、園芸や食品メーカーなどに引き取ってもらう代わりに、新鮮野菜や草木の苗などと交換とか。

あるいは、自治体のイベントとバーターにして、その量に応じた地域の商品が貰えるなど、利用先とのコネクション構築には様々な手段が考えられる。


それで回収後は、品質検査をして一般に流通させるも良いし、提携農園に引き渡すなどで上手く回って行けば、確かに環境内でサイクルが成立する事になる。

ちなみに以前、店で出た野菜クズ等を堆肥化して配布してくれるスーパーの話題を聞いた事があるので、まるっきり実現不可能なアイデアでは無さそうに思う。



とにかく、それら生ゴミも一種の「利益」を生むものだと言う認識があれば、「扱い方」そのものが変わる可能性は大いにある。

これがもし各家庭や、外食に小売店など事業者の分が合算された場合、そこから回収される養分は膨大なものとなり、再び作物を育てる為の原資として十分な役割りを果たしてくれる事だろう。

となれば、必然的に外部エネルギーへの依存度も減る事になり、また「これまでに集めた分」も一定水準まで相殺されるはずなので、結果として需給バランスの適正化が進む事になるかも知れない。



次に、処理場で堆肥化された場合は物量が多く、その利用先の規模や輸送コストの問題が出てくる。


この場合、処理場の近隣地域に位置する農園などへ優先的に配布する方法があり、やはり既に実施している施設もあると言う。
また、自治体によっては堆肥を無料配布している所もあり、欲しい客が自身で持ち帰るシステムを採用していたりする。

なので、もし今後、生ゴミの処理スピードが向上し今以上の在庫を抱える事になった場合、そういった施設が対外的にアピールしたりマーケティングする事で需要を掘り起す方法が考えられる。

例えば、モニターキャンペーンみたいな形で利用者アンケートを取ってみたり、そこから「あそこの肥料マジイケてる」などと口コミで広がれば、顧客も増えて幾らかコストも浮くだろうし、安定した供給にも繋がってくる。


当然ながら、その利用先が農家ならば、規模が広いほど必要な肥料が多くなるので、そういった然るべき場へ運ばれる方が効率的なのは間違いない。
それこそ、「野菜や家畜から出た残骸」→「残骸を堆肥化・飼料化」→「堆肥で野菜を栽培・飼料で家畜を育成」のサイクルこそ最も目指したい所。

こうすれば、やはり余計な養分を外部から入手する頻度も減るし、「それ以上」に足さずに済むので環境への負担も大幅に軽減出来るはずだ。



また、これら生ゴミ堆肥の利用先については、過去の記事を参照してみたい。

culrides.hatenablog.com

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上記記事から要点だけ抜粋すると、この現代社会の中には「本当は使えるけど使っていない場所が相当数ある」と言う話になる。


この点から考えてみるに、実は都市部であろうが住宅街であろうが、ほんの空いたスペースでも作物や果樹を育てられる事を意味している。
それは例えば、学校や介護施設などの庭先でも良いし、どこかビルの屋上や植込みでも、公園でもグリーンベルトでも、実際は何処でも良い。

つまり、細かな場所ながら、それらが点々とスポット的に存在する事で、「養分を循環させられる場」も増やせる可能性がある。

そういった場と連携する形で堆肥を分散出来れば、適切に循環され易くなるし、ひいては食料自給率も上がると言う寸法である。



無論、上記の手段を完全な解決策とするには足らないだろうし、様々なデメリットが発生する事も念頭に置く必要がある。


仮に至るところで作物や果樹が育ったとしても、今度はそれを狙ってカラスやネズミなどの野生鳥獣が集まって荒らされる等の被害が発生してしまう。
その防除にコストや手間がかかる点は否めず、むしろそれを忌諱しているからこそ、都市部や住宅街での栽培が避けられている点は否めない。

この点については、必然的に土地の所有権を持つ側や管理者に対策を委ねざるを得ない部分があり、場合によっては防護ネットなどのアイテムを設置するシーンもある事だろう。


従って、ある程度「やる気」の人が管理を担当する流れが予想されるが、むしろそう言った方ならば様々な解決策を閃く確率も高いのではないかと思われる。

その一例として、タカなど「猛禽類の鳴き声」を録音した音声を流す方法が知られる所だが、他にも探せば効果的な手段は存在するものと考えられるし、複合的にアイデアを組み合わせれば、防除のコストも抑えられるはず。

まぁ、これらについて現状では希望的観測に過ぎないので、そこは思い付き先行と言う事で。



ちなみに、これが公園など「公共スペース」に相当する場所で実施される場合、誰が管理するであるとか、収穫物の配分などを検討しておく必要もあるし、中には勝手に採られてしまうシーンさえあるはずだ。

こうなると、「何の為に育ててるのか解らない」と言う事にもなりかねず、管理者のモチベーションにも影響するだろう。


この場合における対応としては、街路樹と同じく一種の公共財の様な形で管理しつつも、半ば「持って行ってOK」くらいのノリで育てられる果樹等が適しているものと考えられる。


これには例えば、公園やグリーンベルトでミカン等の柑橘類や、ビワ、梅などを育てておき、実ったら自由に採ったり出来るとか。

あるいは、あまり市場価値は高くないが病害虫に強い品種であるとか、昔ながらの固定品種に古代種などであれば、今ほど味のインパクトも無いので採られる確率は低くなるだろうし、ついでに、一般的な農園では扱わなくなった果樹の「種の保存」を兼ねる事も出来る。

こうすれば、栽培に手間のかかる野菜より放置プレイで済むし、勝手に採られた所で誰のものでも無いので困る事も殆ど無い。
更に、観葉植物などと一緒に植栽する事で、処理場から出た堆肥の受け入れ先となり、しかも「景観+収穫」の一石二鳥で楽しむ事も可能になる。



いずれのパターンにせよ、時間と共に解決策が導かれる事も多いので、先ずは試験的に始めるのはアリかなと。

何より「やらないよりはマシ」であるのも確かで、せっかく堆肥化を推進したとて受け入れ先や使える場所が無いのでは、いつまで経っても生ゴミ問題は燻ったままであろう。


個人的には、上記した案による「デメリットで失われるもの」よりも「メリットで得られるもの」の方が遥かに大きいものと考えている。
事実、それは過去の社会において各地の各所に農地や果樹園が点在し、地域内の自給率も高かった点でも証明されるところ。

かつては、そういった所で育てていた果物や野菜がお裾分けされるのは普通の事だったし、その量も多かったですからね。
それが現代になり聞く機会が減ったと言う事は、それだけ「育てる場所」自体が減った事を意味する訳で。



つまり、この項目で話している解決策とは一種のルーツ回帰の様な話でもあり、表面上のアプローチが変わっただけで実際の中身は昔と同じ。
単に、育てる場が多ければ堆肥を使える場も多くなるだけの事である。

そういった温故知新の中に、一貫してゴミを削減する本質的な構造とアイデアが隠されているのではないか。


と言う話なのであります。


🌑問題の解決には時間を要する🌑

さて、長々と「生ゴミはゴミじゃない理由」を語って参りましたが、如何に思われたでしょうか。


一応お断りしておきますと、この記事は現代農法や廃棄物処理の取り組みを否定しようなどと言う話では無く、一連の現象に纏わる因果関係を紐解きながら、「何故そうなって、どうしたら良いのか」を解説する事が主題であります。

現在までに行われている方法も、「その時点でのベスト」を選択して来ただけの事であり、そこで問題に直面すれば検証が行われ、時々でアプローチの形が変化するもの。
まず完全無欠のプランニングなど存在しない訳で、大抵の出来事はデメリットが隣あわせにあるし、この記事にある解決策だって必ずしも全て正しいとは限らないでしょう。

それこそ、いきなり「今やってる方法を全部止めます」などと言い出したら、経済のみならず人命にまで甚大な影響を及ぼしかねず、いくら自給自足していても「その今」を基に生活が成り立っている以上は限度と言うものがある。
何をするにしても物事には段階が必要です。


ただし残念ながら、今の人間生活は便利過ぎるあまり、何かと「必要なモノ」が多くなりがちなのも事実。
その規模を維持する前提に立てば、「副産物の処理」に課題は残り続けるし、それでも社会が継続する限り、まだ暫くは「別の場所から持ち出された資源」に頼らざるを得ない状況が予想されます。

だがもし、それが何かしらの要因で供給がストップしてしまえば、いずれどこかで「足りなくなる」のが自明の理。
この事は、近年の災害や昨今のコロナ騒動で散々思い知らされた部分でしょう。

それはまさに、この現代社会とは「発展を取れば不足する」し、かと言って「縮小すれば貧する」の矛盾で常に板挟み状態なのだ。



あえて言ってしまえば、この現状を維持するにも、あるいは縮小しようにも、どのルートを辿るにせよ、それに伴う副作用や反動の痛みを負わざるを得ず、今持っている中から何かを失う事が避けられない情勢である様に思えてならないのが率直な感想。

その意味では、本当に解決するとしても「やるなら早めにやっといた方が良い」でしょうし、そうしない事には何も始まらないのも事実。

何せよ反動を極力抑えたいのならば、これまで沢山集めて来たぶん、出来るだけ戻す工夫も必要なんじゃないかなと。



はてさて、いつになれば生ゴミが有効な資源となり活用されて行くのか。


と言うより、これが過去の世界ならば意識せずとも自然に回っていたものが、いつしか「わざわざ理屈っぽく言わないと伝わらなくなった」し、「いちいちシステマチックに考えないと元に戻せなくなった」のだとすれば、ここまで人間は随分と遠回りして色々と失って来たのだなぁと、しみじみ思い至らずにはいられない。


その意味でゴミ問題とは、時代の発展と引き換えに生まれざるを得なかった、いわば「社会の澱(おり)」の様なものなのかも知れません。




では、また、CUL。

この世に生ゴミなど存在せず、本来なら全て自然界に還元していないとバランスが合わなくなってしまう話 前編「生ゴミが問題化する構図」

先日の記事では、有機物の投入によりダンゴムシやミミズなど様々な生物達が連鎖的に発生する事で、土壌の病原体が抑制されるメカニズムについて言及。

culrides.hatenablog.com

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それら自然界のバランスが整う事で、「環境の基礎体力」も整い、やがて植物の免疫力が強化されるなどの恩恵がもたらされる可能性が示唆されました。


して今回は、「生ゴミの有効活用」についての話題。



ズバリ、この現代社会で「生ゴミ」と定義されている全ては利用可能であり、次世代の作物などを育てる為の養分として還元されている必要があるのではないか。

すなわち植物性にせよ動物性にせよ、それら全て自然界の成分が由来であるとして、元々は何処かの土地から産出されたものである以上、本来ならいずこの土壌へと循環していたはずだからだ。



それを踏まえ端的に言ってしまえば、「この世に生ゴミは存在しない」。



いわば生ゴミとは単なる残骸などでは無く、その姿形を残している限り本質的には「養分の塊」。

それらが元あった場所に戻る事も無く、行き場が失われ続けるほど、環境のバランスが崩れ土地の荒廃さえ起こり得るのです。



なにぶん仰々しい話でありますが、何故そんな結論に達してしまうのか。

内容的には前々回までの記事と似た話になるのだけど、改めてその理由を体系的に纏めながら、順を追って解説して参りましょう。


では、いざ。


🌑利用価値の高い資源が廃棄される構造的欠陥🌑

さて、生ゴミを再利用する試みなど遥か昔から行われている訳で、今さら新しい概念では無い。
その方法も、単純に肥料にするなら土に埋めるだけで済むし、土壌が健全であれば短期間の内に分解されて行く事だろう。


それを証明する意味もあって、当ブログの「食べ蒔きプロジェクト」では野菜などの残骸やタネを使い続けており、これまでに幾つかの収穫物を得る事に成功している。

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また、近年は家庭用コンポストが普及しつつあるし、ゴミの削減が叫ばれる昨今では自治体によって貸し出したり販売価格を安くしてくれる場合もある。
これらの点については既に様々な所で記事となっているので、実践的なノウハウも容易に検索可能なはずだ。



しかし、今回の記事にあたり、個人的には「なぜ養分が戻っていないとダメなのか?」、そして「循環も還元もされなくなった先で何が起こるのか?」と言うメカニズム的な部分こそが最も重要なのではないかと考えている。

何故なら、これら生ゴミを「重要な資源として還元させるだけの理由」が存在するからであるが、これについて表立って語られるシーンは殆ど無いのが現状。
それゆえ、余計に誰にも重要性が伝わっていないし理解もされず、惰性で捨てられ続けている感が否めないのである。



とは言え、いくら「生ゴミの量を減らそう」であるとか「貴重な資源である」などと説明したり啓蒙したとて、一般的な観点からすれば「結局はゴミ」と言う認識がブレる事は無いはずだ。


何しろ、日常生活においてその価値や重要性を認識するシーンなど皆無であるし、無闇に放置していては雑菌により悪臭が発生してしまう。
また家庭内で処理しようにも、コンポストを置くスペースも無ければ堆肥を使う場所すら無い住宅事情だってある。

また、土に埋めても量が多いと分解が追い付かず、場所によっては虫が湧いたり、動物にほじくり返されて荒らされる事案も起こりがちだ。


それこそ、この記事を書いている当の僕でさえ全てを再利用している訳では無く、とりあえず使えそうな部位だけ肥料に回しているだけで、実際は大半を廃棄しているのが正直なところ。
総量に対し再利用されているのは、ほんのごく僅かな量に過ぎないのが実情である。


その意味では、「生ゴミを利活用する為の環境」に未整備の部分が多すぎるため、誰もが簡単に手出し出来るものとは言い難い。
この点を解決しない限り、一般家庭での削減そのものすら進めようが無い部分がある。

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更に、実際のゴミ処理方法としても、基本的には回収され焼却場で灰にされた後、最終処分場に埋め立てられるのが通常で、その内の一部がコンクリなどの建築資材として再利用される程度となっている。


一応、現状では廃棄された食料品が家畜の飼料に回っていたり、あるいは剪定材や間伐材が堆肥化されていたりはするのだが、かと言ってそれら全てが再利用される訳では無い。

そう考えると、やはり完全に再利用されるまでのシステムやインフラが整っていないからこそ、大部分は廃棄せざるを得ない状況と言う事でもある。


では、なぜ再利用しきらないのか理由を推察するに、日々排出されるゴミの量が膨大過ぎて堆肥化するにも分解が追い付かないし、先述の様に量が増えるだけ悪臭や病害虫の増殖のほか、野外ではカラスなど野生鳥獣からのイタズラを抑える事が難しくなる点が挙がる。

また、仮に高効率化がなされたとて、それら処理後の肥料や飼料を卸すにも、客が一度に引き取れる量には限界があるだろうし、かと言って配達するにも輸送コストがかかるなど、作業負担や金銭面でのデメリットが前面に出てしまう。

つまるところ、ただのゴミと化したものを再利用するのに手間がかかるくらいなら、サッサと燃やして存在そのものを無に帰してしまった方が早いのも一理あるのだ。



これら処理方法について総評するに、現代社会に存在する生ゴミの大部分は全くと言って良いほど「使われていないし、使おうとしていないし、使われるための仕組みも無い」事を表している。

それら便宜上、「生ゴミとされてしまっている有機物」が、実は使い方次第で、人類の生活を支えるに重要なエネルギーに転換出来るとしても、である。



この構図を大袈裟に例えれば、金やリチウムなどのレアメタルを回収しないまま捨てる様な話に近い。

いや、一つ違いがあるとすれば、レアメタルでは「いくら原料に還元したり製品に変換しても直接お腹は満たされない」が、生ゴミは「還元すれば直接お腹を満たしてくれる食料の原料になる」事が可能。

それはまさしく、本来なら捨てる理由など無くメチャメチャ利用価値が高いものなのだが、現状では行き場なく用済み扱いされ続け、いまだ抜本的な解消法すら確立されていないのだ。



では何故、さんざん方々から問題提起されていながらも解決を見出だせずにいるのに、それでも改めて解説しようとしているのか?


先ずは、このゴミ問題が発生するまでの、様々な因果関係を整理してみましょう。


🌑養分は自然界に還元されてゆくのが自然な形🌑

極端な予測ではあるが、この生ゴミが然るべく再利用されず、その養分が自然界に還元されないまま処理され続けた先に待つのは、一種の「土地(土壌)の砂漠化」なのでは無いかと考えられる。

あるいは、局所的かつスポット的に起こる砂漠化とも言えようか。

詳細は後述するが、つまり養分の需給バランスに偏りが生じる事で自然界のリカバリー能力が追い付かなくなり、いわゆる「まだら模様」みたいな形で、土壌が荒れた場所や資源が枯渇した土地が現れる可能性があるからだ。



無論、この話も専門家や一部の敏感な人々の間で語られている事であり、かねて以前より懸念材料として警鐘を鳴らされていた部分である。

前々回の記事でも、「土壌から養分が失われ続けると樹木の基礎体力が落ちて回復が追い付かなくなり、結果的に土地の荒廃を招きかねない」と言った旨を述べている様に、この生ゴミ処理における問題も本質的には同じ次元にある。

そう考えると、いま現在に至るまで随分と昔から「一方通行で資源を消耗する構造」に大した変化が無く、依然と繰り返されていると言う事なのだろう。



では、この「一方通行で資源を消耗する構造」の具体例を挙げるに、近代の農業において「大量の肥料」、あるいは牧畜向けの「飼料」が必要とされている現象が象徴的である。

解りやすく言えば、それだけの生産物を賄うためには「その土地の養分」だけでは足りないので、肥料などを何処からか調達しなければならない。
これにより生産量を維持し、市場価格を安定させられる様になり、最終的に消費者の下へ届く事になるからだ。


しかし、かくして消費されたはいいが、それらを原資として生産された作物や家畜から出た残骸が、最終的には焼却処分されるばかりで「何処にも還元されず消費したままで終わっている」から一方通行になってしまう。

つまり元を辿れば、生ゴミが発生する「前の段階」からしてコトが始まっていたのだ。



では何故、いつ、そんな事になったのだろうか?

ここで少し、「そうなる前」の段階を振り返ってみよう。



そもそも「食料(飼料)の原料」となる植物が育つにあたり、基本的には「その場(日照や気候風土)」、「その土地(地質と土壌環境)」、「その養分(周辺にある有機物)」などの要素で成長が賄われるのが通常。

もし外的に栄養補給されるシーンがあるとすれば、近くで生き物の糞が落ちたり死んだり、海風でミネラルが飛んできた、水流で落ち葉が流れてきた等のシチュエーションが該当する。


この場合、「植物と外的に運ばれて来た養分の距離感」は近いパターンが殆どで、大抵は「糞をした生き物の生息域と同じ」、「海や川に近い場所」、「落ち葉が溜まりやすい地形」など、身近な環境から肥料が賄われていた事になる。
そしてこれは植物に限らず、昆虫も家畜を始めとした動物も、野生の環境下において「縄張り内の資源」を基に生活している点で変わりない。


要するに、それまでは「身の回りに存在する分」だけで全てが完結していたし、全てが自然界に還元され循環していた。
だからこそ適切にバランスが保たれて、様々な生物達が連鎖的に生息出来ていた訳である。

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逆に言えば、「その土地から必要以上に持ち出し続けた結果」として荒廃が起こり易くなる。

それを如何に抑えるかが、この先で環境を保全出来るか否かのカギを握るかも知れない。



では、かつては自然界で適切に循環していたはずが、なぜ現代になり生ゴミが再利用しきれず、バランスが崩れるまでに至ってしまったのか?


この要因を紐解く事で、ある事実が浮かび上がって来るのです。


●大量の資源を集めないと維持が出来ない構造●

これが遥か過去の世界であれば、例えば先住民や旧人類にまで遡れば、「ゴミ問題」などと騒がれるほどの資源を消費せずとも生活が成り立っていたものと考えられる。


その理由として、古代の「貝塚」を例にすれば解る様に、それまでは近隣で狩猟採集してきた獲物の残骸であるとか、コミュニティ内で育てていた植物に樹木の枯れた枝葉、そして糞などの排泄物が環境内で循環していたからだ。

仮に、それらが腐敗したとて、現代と比べれば一時に廃棄される量は少ないはずなので、割りと短期間の内に分解されているか、それに気付かず移動生活していた可能性もある。


また、その頃は現代より遥かに人口密度が薄く、道具やインフラも今ほど発達していないし、病気や怪我などによる死亡率が高く平均寿命も短かった。
しかも 一日に活動出来る時間が短く、それら獲物を獲得する為にも労力を要するため、一人あたりに割り当てられる資源の量には限りがある。

となれば、必然的に需要と供給のバランスは低く保たれる事となるので、それ以上に獲得する必要性も低かった事だろう。



しかし、近代になり人口が増加し、社会が発展した事と連動する形で、様々な点において莫大な量の「外的エネルギー」を獲得する必要性が出てくる様になる。



具体的には例えば、ある一定区画内で、その需給バランス以上の人数を抱えた事により、農業などで広大な面積を必要とするにつれ、それら人員を「養えるだけの食料」、即ち資源が必要になってくる。

これを実現する為には、大きく甘く収量の多い作物を育てたり、家畜を増やして太らせたり、はたまた単に「もっと美味いモノ食わせろ」と言う事でスパイス等を調達して工夫を重ねて来た訳だが、そういった需要や水準を満たす為にも「原資=養分」が不可欠。

となれば、人口を支えられるだけの栄養価が高い農作物や家畜などを大量に育てるには、既存の「その土地にある養分」だけでは圧倒的に不足する事となる。
それこそ、一度収穫してしまえばスッカラカンに使い果たしてしまい、以降はロクに育たなくなるリスクさえ発生しかねない。


ここへ至るに、今度は大きく多くしたモノを維持する為に「外部から集めなければならない量」の方が多くなる。

つまり、かつては「身の回りにある分だけで足りていた」のが、集団や必須栄養量が大規模化するに比例してエネルギー消費量も加速度的に増加。
やがて「それ以上に」集め続けなければ供給にも限界が生じてしまい、そのままでは生存すら難しい状況になってしまったのだ。



個人的には、これが過去に起きた飢饉や口減らしの一因となったのではと考えているが、確かに少しでも滞れば一人あたりに供給される栄養量が劇的に減るだけに、そうなるだけの理由があったのだろう。


言い換えれば、群の個体数や生産規模を拡大するほど「集団の基礎体力(国力)」も増すのだが、その反面、既存の資源だけでは人も作物も家畜もモノも、その維持や成長を賄いきれなくなる矛盾が生じたばかりか、ほんの些細な「環境の変化で総崩れ」を引き起こしかねないリスクまでも抱えた訳である。


🌑維持する為に集めたら別の場所から失われる🌑

そういった崩壊を防ぐ意味でも、生存に必要な食料を大量に育てる為に大量の肥料や飼料など「養分となるモノ」、つまり「外的エネルギー」が継続的に供給されながら現代へと至る。



しかし、ここで重要になるのが、それらの大部分が「全く別の場所」から運ばれて来た資源である事。
それが作付け毎や育成中に、またシーズン中に何度も必要となってしまう点である。


実際のところ、例えばこれらが有機肥料であろうが化成肥料であろうが、どちらも「これまでとは別の場所から運ばれて来た資源」である点については同じ。
即ち、元々は関係ない土地や何処からか産出され、目的(需要)を満たす為に集められたモノで共通している。

ちなみに、これは農産や畜産に限らず、先述の通り「生産物」を大量に作ろうとするほど外的な資源やエネルギー供給に頼らざるを得ない構図であり、人間生活に必要とされる様々なモノにおいても共通した原理となっている。



ここから問題なのは、それら集められた資源が投入された「後」の話である。



当然ながら、そこに含まれていた養分は作物や家畜に吸収・蓄積され、やがて人間の所へと届く事になる。

もちろん、仮に投入された養分の一部は土壌深く浸透したり、川や海へ流れ出る余剰分も幾らか存在するので、まるっきり全てが人間によって消費される訳では無いだろう。

だが、これらは基本的にピンポイントで生産対象へと与えられるのが通常。
むしろ、人間の方が消費する絶対量が多いぶん、大部分は体内に吸収されて行くだろうし、代謝によって排出される分量は相当量に上るものと考えられる。



だが、最終的に人間の所で消費されたはいいが、ここで冒頭の「生ゴミ問題」が出現する事となる。



そう、この現代では、それら「集められた栄養分」を基にした生産物より発生した残骸が、まるっきり何処にも戻る事無く「寸断」されている。
先で貝塚を例に取った様に、過去の世界であれば身近な場所へ埋められていたか撒かれる事で循環していたのが、現在は大部分が焼却され失われている。

また更に、人体からの排泄物も基本的に全て下水道から浄水場に流れているので、結果として「何処にも還元されていない」。
即ち、一方通行で消費していると言う事実に突き当たるのだ。

ある意味、ここまで「取ったら取りっぱなしの生物」は現代人以外に居ないのではなかろうか。



となれば、発生した残骸にしろ排泄物にしろ、何らかの方法で自然界に還元した方が良さそうにも思えるが、事はそう単純には行かない。


むしろ無制限に自然界へ放ってしまえば、逆に養分のバランスが失われかねず、下手をすると環境を悪化させたり公害に発展するパターンも存在する。


それを踏まえ、ここから考えられるリスクなどを次回に続けてみましょう。




では、また、CUL。

超自己流メンテナンス術・作業用グローブを廃材のスニーカーで補強してみた話

出れぬなら、出れるまで待とう、自粛期間。



などと戯れ言を宣いたくもなる情勢でありますが、家で過ごす時間が長くなった分、この機に片付けを進めている方や、日曜大工などで家のメンテに着手している方も居られる事でしょう。

その中には、電動ドリルを始めとした工具から、スコップやらクワやら、あるいは庭木の剪定にノコギリやハサミなど、ハードなアイテムが使われるシーンも多いはず。



そんな作業を行う時に重宝するのが、革手袋などグローブの類いな訳ですが、これがDIYにハマるうち段々と拘りが出てくる所でもあります。


僕も例に漏れず、過去にバイクを嗜んでいた事もあって、かれこれ十数年ほどメカニクスのグローブを愛用していたりする。
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これはツーリングや整備はもちろん、各種工作の時に欠かせない愛用品として、これまで幾つか使い潰したりで随分お世話になってきた。
しなやかで手の馴染みが良く、力加減に微調整が利くのが特徴である。



しかし、このグローブには一つ弱点があって、それは「摩擦により手の平の革に穴が開きやすい」事だったりする。
しかも、ノコギリみたいに強く握って反復運動させたりすると結構に消耗が早くなり、気付くと擦り切れているパターンが度々である。


それが発生しそうな兆候があれば、下記画像の様に指先や接触面を接着剤でコーティングして補強を加えている。
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だが、それでも完全に防ぎきれる訳ではなく、同じく画像の小指周りなど思わぬ所からホツレて来たり、コーティングした所が薄くなってしまう事もある。



まぁ、所詮グローブなんてのは消耗品な訳で、破れたら捨てれば良いだけの話ではあるが、個人的には何度でも洗濯して長く使いたいと考えているし、そうやって持たせてきたアイテムも多い。
ましてや、お気に入りだったり、ちょっと珍しいモデルなんかだと勿体無く感じるもの。

となれば、やはり実用強度を高める補強を、今風に横文字で言うところのリインフォースメント(reinforcement)が必要となろう。



そこで今回は、長持ちさせる為に試してみた手法と、その実践例を記してみようかなと。

前置きはここまでにして、さっそく作業手順を説明して行きしょう。



先ず事前準備として、グローブの「補強材」を確保するにあたり用意したのは使用済みのスニーカー。
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ご存じVANSのオールドスクールであるが、もはや何で家にあるのか謎のズタボロ加減。
ハッキリ言えばゴミ同然、いや既に破棄済みであって当然の姿である。


実はコレ、だいぶ以前にも紹介した事がある。
culrides.hatenablog.com

まだ持ってたんかい!?と言ったツッコミは無きにしもあらずだが、今この時になって再び出番が回って来るのだから捨てたもんじゃない。

とりあえず保管中のホコリを落とすため、改めて作業前に丸洗いして乾かしておく事に。



でもって、使う部分は爪先とカカトのスエード。
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まさに、革には革を。
つまり、ここを切り出して使っちゃおうって話なんですよ奥さん。


まぁ、補強材にするだけならキャンバス地でも何でもいいんでしょうが、たまたまグローブと似たような素材のスニーカーが手近にあっただけの事。
しかもクタクタに履き潰したお陰で、程よくしなやかな質感になっているのも好材料である。
逆に、綺麗すぎると硬くて加工が難しいかも知れません。



ここから補強材に使うスエードを取り出す。
カカトはハサミが入らないので、カッターを使って縫い目から切除する。
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コツとしては、スエードと下地(裏地)の隙間に刃を滑り込ませる様に、縫い目を一つ一つ丁寧に削ぐ感じで、ゆっくり急がず切り離す。
切りにくい時も力を込めすぎず、勢い余って手指を切らない様に注意。

つま先側はハサミを使って切除したが、結構固く切りにくい箇所もあるので頑丈な洋裁用がお勧め。
また、端っこはソールと接着(溶着)されているので、剥がせなければ放置で。

切除に成功したら、縫い目に残った糸クズや接着剤を除去しておこう。



かくして、左右からスエードのみ大まかに取り出したものがコチラ。
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いささか絵面がプリングルズ風ですが、ここから更に細かくパーツ毎に補強材を切り出して行きます。



お次はグローブの手の平や指の腹など、実際にグリップする箇所を割り出し、その部分の面積に合わせてスエードを切り分ける。
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この時、グローブを装着した状態で指の曲げ具合を観察し、補強材を合わせたい位置と範囲をペンなどで囲い印を付けておくと、大きさや形の見当がつきやすくなり、貼り付ける際の目安にもなります。

また、切り出したパーツは、それぞれマスキングテープでなどで軽く仮止め(剥がす時に革まで剥げるのでベッタリ貼らないよう注意)しつつ、握り心地を確認しながら大きさを微調整して行けば完成度が高まるでしょう。


ちなみに、間接部に干渉すると指が曲げ伸ばしし難くなるので、貼り付け位置は慎重に決めよう。
もし補強材に使う革が厚い場合や、道具の操作性を重視する場合は、若干小さめに切った方が良いかと思います。



パーツの切り出しと大きさの調整、位置決めが完了したら、補強材の接着作業に移行。


今回、用意した接着剤はセメダインスーパーXと速乾ボンドGクリヤーの二種類。
これらを部位ごとに使い分けてみた。
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本来、接着からコーティングまでの全てをスーパーXで賄う方が接着後の柔軟性や耐久性も高いのだが、使用量を節約したいのでGクリヤーを併用。

その主な使い分けとしては、Gクリヤーを「革同士の接着」に、スーパーXは「革表面や手の平の滑り止めコーティング」にと言う具合である。


一つ注意点として、Gクリヤーを革表面のコーティングに使用した場合、例えば塗布した手の平同士を合わせた状態で保管したり、あるいは接着面がプラスチック製品(布などの繊維でも)に触れた状態で長時間置いてしまうと、化学反応?でガチガチに溶着してしまう事があります。

そうなると簡単には剥がせなくなり、下手するとビリビリに破けてしまうので、補強した意味が無くなってしまう。
とにかく、極力表面への塗布は避けた方が無難。

実際に補強材を貼り付ける際も、接着剤がハミ出ない様に量を調節しながら、薄くムラ無く素早く塗布するのがコツです。



でもって、全ての補強材を貼り付けた完成図がコチラである。
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この最終的な仕上げとして、例えばグリップ力を増したい場合は革の表面に、また補強材の接着が甘く隙間が開いた箇所などにスーパーXを塗布すればパーフェクト。
スーパーXは溶着が発生しにくいので、こういった「外側」に出てる面の補強に最適です。



ここまですれば、耐久性が格段に上がるはず。


試しに竹ボウキや雪かき用のスコップを握ってみた所、スエードが厚手なので多少ゴワついているが、接触面の「守られてる感」は上々。
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長く使える分だけ、更に愛着も湧く事でしょう。



さて、簡単に日用品をロングライフ化させるアイデアと方法を綴って参りましたが、その材料として身の回りにある不要品が思わぬ形で活用出来ました。

その意味では案外、ゴミとされている物は工夫次第で何かしら使える資源になるし、組み合わせ次第でモノの耐用期間が飛躍的にアップする可能性が示唆された様でもあります。


これ以外にも様々な方法が考えられますので、この自粛期間中に色々とアイデアや構想を練ってみては如何でしょう。

整理が捗る勢いで断捨離する前に、一度「もしやコレはアレに転用出来るのでは?」と検証してみる価値はアリですよ。





で、補強材の提供を終えたオールドスクールは…。


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捨てずに取っとくべきか否か、まだ手元にあると言う。


VANSさん、そろそろ何か下さ(略




では、また、CUL。

わざと有機物を投入し微生物を増やしてみたら土壌が改善したかも知れない話 後編「全ては自然界のバランス次第」

前編では「土壌が改善された経緯」について、当プロジェクトで試みた実験内容と、それにより起きた現象について言及。
culrides.hatenablog.com


一連の流れを検証してみた結果、どうやら有機物の投入により微生物が増えた事で「それらが病原体を食べて消化している」可能性が浮上。
他の参考文献とも照合するにつれ、具体的なメカニズムが明らかとなってくるのでした。



そんな前回を踏まえ、この後編では「微生物と植物との関係性」と、それら相互作用により如何にして環境内のバランスが保たれているのか。

更に加えて、「先々で考えられるリスクと対策案」などについても記述して参りましょう。



では、いざ。


🌑自然界は自動的にバランスを取ろうとする🌑

さて、前編までの話は何ら荒唐無稽な仮説にあらず、自然界を観察すれば「なるほど」と言う現象が幾つも思い当たる。

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例えば、そこら辺にある様な、毎年同じ様な雑草が生える草叢(草っぱら)があるとして、そこでウドン粉病の様な病害が蔓延した、ましてや全滅した例は殆ど聞かれない。
あったとしても、かなり珍しいケースのはずだ。


無論、いくら雑草の免疫力が強かろうと何かしら病気は発症するだろうし、あたり一帯で局所的に流行る事だってあるに違いない。

ただ、それでも無限に拡散する訳では無く、パッと見では同じ種類の雑草でも交雑種や亜種が存在するなど、個体や地域ごとで性質には微妙な違いがあり、全てが罹患しない様に遺伝的に多様化されていたりする。
また、それら植物の分布もエリア毎に変化する為、「この草は罹患するけど、あの草は平気」といった形で、いずれは拡散が止まる様に出来ている。


つまり、いくら流行り病があったとしても、基本的には抑え込むだけの「パワーバランス」が存在しているので、ほんの一時的な現象で終わる場合が大半であるものと考えられる。

何故なら、病原菌も無限に繁殖を続けた場合、いずれ宿主が絶滅などしてしまえば自らの存在をも失われる結果となりかねず、どこか一定の範囲内で留まらざるを得なくなるからだ。



しかし、これがもし、当記事で言うダンゴムシやミミズを始めとした微生物を一概に「害がある」などとして完全に排除したらどうなるか。
なおかつ、遺伝的に単一化された系統の植物や作物だけで、あるエリア一帯を占めてしまったとしたら。


それを突き詰めた時こそ、病原体を分解する循環役が居らず、また特定の病害虫ばかりが繰り返し発生してしまう要因となる。

しかも、排除された状態を継続するほど「生物間で行われていたサイクル」が薄まって行き、ますます薬剤に頼ったり、土壌改善の為に新しい土まで必要になるなどでコストがかさむ。
それに加え、このサイクルによる「土壌のリセット効果」が滞るにつれ養分や細菌の構成が偏る事で、いわゆる連作障害の根本的な要因になっているものと考えられる。


となると、ますます人の手で何かしらテコ入れしない限り回復しないスパイラルへ陥り、まともなものが育たなくなるリスクまで高まって行く事にもなる。

結果として、これら生物間のパワーバランスが失われる事によって、まるでシーソーが一気に傾く様に、一方的な偏りを生じた果てに最悪は「病原菌も宿主も共倒れ」といった事態をも生みかねないのだ。

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では、方や自然任せの雑草帯で、毎年同じ場所で同じ様な雑草が生え替わる事が出来ているのは何故なのか。



この理由を簡単に言えば、多種多様な微生物による循環作用が機能しているお陰で、それら植物自体も「免疫力が強化」されているから。


要するに、それらに負けない様に植物は自主的に強くなろうとするし、あるいは成長に必須な栄養素を生成してくれるなどの「相互作用」が活発化する事で、生命力が目覚めているのだ。
あるいは、多様な微生物や細菌が身の回りに居る事で、「植物が鍛えられている」とも言えるだろう。

更に、豊かな生態系であるほど連鎖的に様々な生物が集まって来る事になるので、受粉や交配の成功率も高く、より病害虫に強い品種(新種)が現れやすくなる。
当然ながら、循環役の生物も多いぶんだけ、イザと言う時の「処理対応」も素早く、病原菌などの蔓延を防ぐ力も強いのは言うまでもない。



これら自然界のメカニズムを鑑みるに、つまるところ現代の菜園や農地と言うのは人の手が入り過ぎて、そのエリア域内における植物(作物)も土壌も「生命力が低下」している状態なのだろうと推測せざるを得ない。

「それ」を続ければ続けるほど多様性が薄まり、ますます循環や自浄作用が失われる悪循環となりかねず、最終的には「1から10まで」手を加え続けねば環境を保つ事が出来なくなり、下手すれば誰も生き残らなくなる可能性すら出てしまう。


ハッキリ言ってしまえば、そもそも土壌に病原体や細菌が居るのは「普通」であって、生物が多様である以上、完全に排除される事は無い。

単純に、その環境であるからこそ、雑草は耐えうるだけの性質を備えているだけの話であり、むしろそれら病原体と「共存」していたお陰で強くなった側面があるのも先述の通りだ。



それと比較するに、現代の作物や観葉植物などは文字通り「無菌状態」での栽培が主流となっているが故に、余計に耐性が弱まっているし、アレコレ世話に手のかかる箇所ばかりとなってしまうのだろう。


となると、いくら土壌改善しようが僅かに残った病原菌でも感染しかねないし、かと言って虫が増えても噛られ放題になるしで、やはりどの道行き詰まる状況には変わらなくなって来る。

究極的には、「土も養分も発芽も受粉も全てにわたりケアし続ける」か「自主的に育つだけの活力を備えられる様に虫や病原体と折り合いをつける」かで二者択一を迫られるか、もしくは双方の折衷案を探る必要性もあるのでは無いか?


そんな様相も露となって来ます。

culrides.hatenablog.com



とまぁ不安材料ばかり並べ立ててしまいましたが、いくら手をかけた土地であろうが、都市化された町であろうが、放置していれば知らぬ間に草木に覆われて家も飲み込まれ、やがて森林や草原など元の姿に戻って行くもの。

そうやって自然が強制的にバランスを取ろうとするのも、結局は「それが正常な形」だからなのかも知れません。



しかしながら、ここまでの流れを考えるに、仮に家庭菜園などで「自然に近い環境」を再現したとて、まるっきりメリットばかりとは成り得ない事が分かります。

そこには自然だからこそ、「生物間のせめぎ合い」も必然的に存在するのです。



そんな訳で、次の項目では「自然界に任せる事のデメリット」についても触れてみましょう。


🌑自然任せ故に自然発生するデメリット🌑

もっとも、近年は自然農法や有機農法が流行している事もあり、上記までの内容など既に知られた話ではある。



そんな中でも改めて触れておきたい話題があるとすれば、前途の通り「自然任せは自然であるが故に自然とデメリットが併存する」と言う事。



あえて言ってしまえば、自然農法を「正解」と断じるには早計であるし、また育てる側(農家)と入手する側(受益者)の双方で、気持ちの度量が必要とならざるを得ない部分があるのも事実。


それは例えば、人の手を加えるほど土壌も植物も生命力が落ちるのに対し、自然農法ならば生命力の弱い個体は生き残れず、多様な生物が活発化する事で結果的に「栽培物が餌食にされる」シーンも必然的に発生する。

仮に病原菌などが抑制されたとしても、それら生物が沢山いれば住み処として定着するだろうし、卵を産み付ける事だってある。
また、長期的に見れば「ずっと食害が続く」事にもなり、駆除が進まず延々とイタチゴッコとなる場合さえあるだろう。

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つまり、いずれ何らかの農法を選んだとしても絶対的なメリットばかりでは無く、どちらも必ず「引き換のデメリット」が存在する。
この点に触れない限り、フェアに説明したとは言い難いのだ。



このメリットに関して当プロジェクトで例示すると、落ち葉など有機物を大量投入した事でダンゴムシやミミズが増殖し、それらが病原菌を食べて消化してくれたお陰でウドン粉病が抑制された。

しかし、今度はダンゴムシの個体数が増えるに伴って作物の食害も増加し、苗を丸ハゲにされたり果実にキズを付けられるシーンが頻発。
あまりに数が多すぎて、それらの監視や駆除が行き届かない部分が多くなっていた。

そう、まさに「病因が消えた引き換えに食害が増す」と言うデメリットを抱えたのだ。

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しかし、である。



個人的には、これら昆虫による食害や繁殖に関して「ある程度は仕方ない」し、むしろ環境を守ってくれているぶん「幾らか食べられても良いんじゃないか」と考えていたりもする。


この考え方については昔から良く言われている事で、ある程度の年齢を重ねた方であれば、似た様な話を両親や祖父母が語っていた記憶があるはず。
それこそ、かつては「虫が食べる野菜は安全」とも言われていた位であるし、むしろ多少噛られる程度など大したデメリットですらないとも言えるだろう。


無論、これには程度の問題があるので、よもや虫が大繁殖し過ぎて根こそぎ食害を受けたのでは、また結果的にバランスが崩れた事になってしまう。
故に、様々な手法をもってして防除する為の工夫が必要となるのだが、それでいて完璧に防げる訳でも無かったりするのが現実。

やはり、どんな手法であれメリットだけで成立する事など無いに等しく、いずれ何らかのデメリットが発生するものである。



翻って、現状はと言えばどうか。



それを知ってか知らずか、近年は作物に「完璧さ」を求め過ぎるあまり、例えばサイズの大小や形の差異を始めとして、ほんの些細なキズに対しても過敏に反応しがちで、やけに否定的な動きが顕著化している様に感じられてならない。

その反応は虫食いが最たるもので、ましてや小さな虫が付着しているだけでクレームとなるケースもある事だろう。


一体いつからこんな事になったのかは定かで無いが、少なくとも数十年前までは野菜に虫が居て当たり前な世界だったし、またキズモノが混ざっているのも普通の光景だった。

例えば軽い虫食い程度であれば、その部位だけ切除して食べていたし、気になるなら熱を加えれば良いだけの事。
昔はその程度の事で殊更に誰も大騒ぎなどしないし、無駄なイチャモンをつける事も無く、よほど酷くない限り「あ、虫食ってら」程度のノリで淡々と受け流していた節さえある。

当然ながら、これは狙ってわざと食べていたと言う意味ではなく、「そういうシーンが度々あった」だけの話で、知らぬ間に口にしていたであろうパターンも含む。
要は、それだけ身近に居る機会が多かったのだ。

culrides.hatenablog.com


だが、それで健康状態を害した経験など、少なくとも身の回りでは聞いた事も無い。
と言うかあの当時は、それらの野菜を食べていても健康体で元気な人が多かった位である。

なのに、近年は「品質基準が徹底された完璧なもの(作物)」が主流を占めるのと反比例するかの様に、やけに食物アレルギーなど免疫系の疾患を抱える人が増加しているのは、何だか逆説的な現象にも思える。
いや、むしろ先述した「無菌状態で育った作物」などの話とを照らし合わせるに、まるっきり同じ事が起きているとさえ言えるのではないか。


個人的には、そういった「自然現象との接触機会」こそが人間の免疫力(腸内細菌叢、アレルギー耐性、耐病原菌など)にも多大な影響を与えているものと考えているが、この話は長くなるので今は置いておこう。



上記を鑑みるに現在、この基準値を厳格化するあまり「規格外品となる幅」が狭まり過ぎて、「本来は大したデメリットでない事」を殊更に強調し過ぎている感が否めない。

それが行き詰まるところ、いわばブーメラン的に自らの首を絞める行為となって跳ね返り、最悪は食料を失うリスクにも繋がりかねない点には留意が必要である。



話を元に戻すと、この昆虫であるとか微生物などにせよ、それらの「生命活動を如何に受け入れられるか」が、先々において自然農法がメインストリームに乗れるか否かを左右するのでは無いか。

大袈裟に表現すれば、虫にパリポリ噛られても「ま、しゃーない」で済ませられる心持ちにならない限り、軌道に乗せるのは困難であろうとを思わざるを得ない。

何故なら、もはや自然を受け止めるセンスを失いつつある人々が大勢を占める以上、取り戻そうにも相当な時間を要するに違いなく、そもそも「人間側の土壌」が整うに足りていないからだ。

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何れにせよ、そういった「必然的に居る理由があった生物達の存在」を拒絶し排除してしまったからには、やはり何かしらの反動や副作用が起こりうるものと考えざるを得ない部分がある。

いや、極端に言ってしまえば、既に環境とのバランスが崩れた状況が続いている限り、残念ながら人間の生命力も免疫力も連動する形で低下するのは避けられないのだろう。


果たして今では生物と身近に遭遇する事も、触れる事も殆ど無くなった現代人が、そんな「自然現象」に耐えられるものなのだろうか?



これこそが、「どちらの農法にも引き換えにデメリットが存在する」と言う事。

自然農法を選ぶにせよ、育てる側と入手する側の双方で色んな生物の活動を受容出来うるだけの度量が必要になる。


と言う話なのである。



またしても重苦しい展開でありますが、そんな厳しい面が自然に存在するのも紛れもない事実。

と言うか、この話も説教臭く長々と話す様な事では無く、かつては当たり前過ぎて語る必要すら無かったものが、「あえて語らないと誰にも伝わらない時代になった」とも言えましょう。


然るに、この如何ともし難い状況を皆さんはどう考えるだろうか?



まぁ僕個人としては、どこで収穫されたものであれ「食べられるだけ有り難い」としか思っていないので、結果的に虫食いがあろうが不揃いだろうが、どちらでも構わないと言った所ではありますが。


🌑全てはバランスによって保たれる🌑

ちなみに、ここ最近ニュースなどで話題となっているのが、サバクトビバッタなる昆虫の話題である。
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※参考画像はロサンゼルスにて撮影したバッタで、本文とは関係御座いません。ちょっと似てたので流用しました。



これが現在アフリカで大発生し北上を続け、中東から中国を経由するにつれ倍々ゲームで繁殖しながら作物を食い荒らし、やがて最終的に食糧難が訪れるのでは無いかと懸念されている様である。

また、かつては日本でも明治12年ごろ、北海道にてバッタが大発生する蝗害(こうがい)により、数年間にわたり農作物が食い荒らされる被害に見舞われたと言う。
故に、まるっきり対岸の火事と捨て置ける話でも無いらしい。



当然ながら、このバッタが大発生した理由など知る由も無い。
ただ、個人的な感想で言ってしまうに、恐らくは何かしら環境のバランスが崩れていた事に起因するものと推察している。


ここで言うバランスとは例えば、人口増加に伴い農地を急拡大したり、あるいはゾウ等の野性動物に食べ尽くされるなどでバッタの好物となる植物が一気に消失。

それまで広く浅く分布していたはずが、急激に生息域が狭まった事で集団移動を余儀なくされ、次第にエリアが集約される様に「コロニー」を形成して行くにつれ、狭い範囲内で集中的に繁殖。
その結果、逆に生態系の優位に立ってしまうほど増殖に歯止めがかからなくなり、エサが不足して更に集団移動を重ねる様になった。


あるいは、それら開拓や動物の食事が大規模化するにつれ、特殊な免疫力を持っていた植物まで失われたり、また連鎖的に同じエリアに棲んでいた天敵(カマキリなど)も居なくなる。

この他、特定の薬剤や肥料の偏りによって土壌の生態系にも偏りが生じ、やはり天敵に相当する微生物や細菌が住めなくなったり死滅してしまった等、様々な面での複合的な要因が考えられる。

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いずれにせよ、前編にて例示した「ダンゴムシが居なくなったらバッタが大繁殖して庭の植物を食い荒らした」と言うエピソードと同じく、このサバクトビバッタにも大発生するだけの要因が絡んでいて、そうなった理由があるはずなのだ。

いずれにせよ、この根元を特定しない限り、単なる対症療法が続くばかりで本質的な意味での解決は遠い様な気がしてならないのが率直な感想である。



もっとも、だからと言って「ダンゴムシを増やせばバッタの被害を抑えられる」などと短絡的に結論づける事は出来ない。
それでまた大繁殖したダンゴムシの被害に取って代わるとも限らず、いわゆる「ハブ対策にマングースを導入したら在来種を駆逐した」事例と同じ轍を踏んでしまうリスクがあるのも事実。

従って、過去の反面教師が多数存在する以上、安易な「天敵の導入」は余計な混乱状態を生みかねないので厳に慎む必要がある。


ただし、少なくとも判っている事は、この現代社会の中では生物の住み処が激減し、それによる相互関係や循環作用も大分落ちているであろう点は考慮に入れる必要がある。

つまり、元々の生態系が正常であったなら、ここまで被害が拡大する事も、問題化して話題になる事も無く、一定内の範囲や期間で留まっていたように思えてならないのだ。



しかしながら、ならば生態系を正常化すれば解決など早いものに思えるが、事はそう単純には行かないのが実情。
そうする為にも、先ず最初に解決しておきたい課題が存在する。


では、その「一例」を取り上げる形で、以下に話を進めてみよう。


🌑有機物の栄養分を土壌に還元した方が良い🌑

特に近代においては、落ち葉などの「有機物が土壌に堆積するシーン」が減少しているのは間違いなく、それと連動する形で循環役の生物も減少しているものと考えられる。


その具体例として現在、仮に緑豊かな公園であれ何処であれ、概ね人間の住むエリアで発生した落ち葉や刈られた雑草などは基本的に「ゴミ」として扱われ、その大半は焼却場や処分場に移送されているはずだ。

当然ながら、それは場所の景観を維持する為に必要な措置ではあるし、また「そこから沸く虫」などを防止する目的もあるのだろう。



だが、実はこれにより一つ、美観と引き換えに失われたものが存在している。

それがズバリ、「その場、その土地、その土壌に養分が還元されていない」と言う点である。

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即ち、この落ち葉や雑草に蓄えられていた養分が本来あるべき場所に戻らなくなり、それらが不足し続ける事で樹木の衰弱などに発展する要因ともなりかねないのだ。

しかも、これら植物から発生する「有機物によって生息していた生物」が減少する事で、更に分解と循環に滞りが生じ、ますます環境全体の基礎体力が下がってしまい、特定の種類に偏った病害虫の蔓延を許す事にもなる。

結果として、その場所から「皆の元気の源」となる有機物が失われるほど、誰にも養分が回らなくなり、やがて抵抗力が落ち、本来なら防げたものが防げなくなって行く。

といった展開も予想される。



更に、この影響は短期的に顕れるものでは無く、長期的かつ「後々になって明るみに出るパターン」が大半であるものと考えられる。


また具体的に説明すると、いわゆる「造成された土地にある樹木」などは、比較的近年になり植樹されたものが主である。
それらは栄養状態などが適切に管理された環境下で栽培されていたはずで、植樹後の暫くの期間は「鮮度」が保たれている事だろう。

特に経済成長が始まった頃の土地であれば、まだ近隣に自然が多く残されていた為、現在よりも生態系としては豊かな方であったのは確かだ。
また、かつては樹木から出た落ち葉や周辺の雑草なども隅っこで溜め置かれたり、あるいは燃やされ灰となっていたので、大半は「その場」で処理され養分も循環していた事になる。

つまり、「それまで」はまだ環境的に健全さが維持されていたし、そのお陰で「今」も問題など無い様に思えるからこそ、些細な生態系の「変化」や「異変」に気付く事も無かった訳である。

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だが、樹木の寿命は長い訳で、十数年から数十年の月日をかけて影響が顕れるもの。

とすると、もし本当に近年になり循環が失われている場合、「その先」で事態が急変する様に、一気に劣化が進む可能性が有り得る。



然るに、この構図を解りやすく個条書きでフロー化すると以下の様な形になる。


元々あった場所から落ち葉などの有機物が減る。

それらを餌にしていた生物が減る為、分解され循環する量も減る。

本来なら分解されていたはずの養分が土壌に還元されず、樹木への供給量も減る。

幾ら枝葉を繁らせても結果的に除去されてしまう為、土壌も樹木も徐々に痩せて行く。

養分が薄まるほど土壌に住む微生物の種類や数が薄まり続け、やがて誰も循環出来なくなる。

全体の生命活動が滞る事で病原菌や害虫の蔓延と偏在が起こり、回復が追い付かず悪循環に陥る。

土地が荒廃して終了。


概ねこの様な具合いである。


要するに、本当の意味で循環するには「その場に有機物が残っていなければサイクルが成立しない」と言う事。
そこに無ければ必然的に養分も減り続けるばかりか、分解と循環を担う生物も住めなくなる一方となり、最悪は「誰も生き残らなくなる」のだ。



それを踏まえた上で希望的観測を述べてみると、こういった落ち葉などの有機物をゴミとして回収したり処分せずに、「同じ場所」で処理するシステムがあれば良いのではないかと考えている。

いわゆる「天然のコンポスト」みたいなものを設置すれば、本来その場に居るべき生物達が継続的に生息し、適切に分解が進み、養分が土壌と樹木に還元される事によって、その環境全体を健全に保つのに大きく寄与するものと予想されるからだ。


その結果として、多様な生物が互いに「拮抗」したり「補完」する関係により、養分や微生物の偏りを是正するほか、先で例示したサバクトビバッタの様な一方的な生物の繁殖を防ぐ事にも繋がるはず。

ここまでに記した事例や仮説を参考とするに、それら循環作用によって生態系が正常に戻れば、被害も最小限に留められると言う寸法なのだ。

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そう考えると、まだ希望の種があるらしい事も解って来ます。

いくら状況が芳しく無いとしても、まだまだ出来る事はあるはずなのです。



そんな訳で、次の項目にて〆と参りましょう。


🌑自然のサイクルを再現してみよう🌑

さて、ここまで「ウドン粉病が消えた理由」について、そのメカニズムについて長々と考察して参りました。


しかしながら全体の流れをご覧の通り、このウドン粉病が発症した事にも症状が消えた事にも、あるいは病害虫が発生する事にも、はたまた生態系の偏りが起きる事にも、必ず「そうなる理由」が存在していて、実際は全ての因果関係が繋がっている事がお分かり頂けるのではないでしょうか。



しかし、このメカニズムを理解する事で、新たな解決策を導き出すのも可能になって来ます。


その案としては上でも例示した様に、自然のサイクルを再現する意味で、どこか空いたスペースに有機物を集積させるなど、いわば「マイおがくず」などを始めてみるのも一興でありましょう。

ここまでの検証結果を参照するに、これら有機物の集積場が各所にある事により、人為的に作られた環境において生態系のバランサーを担い、土壌のクオリティを一定に保つ機能を果たしてくれるのでは無いかと考えている。


その上で、もし当記事をご覧の中で、栽培物の不調に悩まされていたり土壌を改善したいと考えている方がいるのだとすれば、モノは試しで庭の一角や空いたプランターなどに落ち葉や抜き取った雑草などを集めておき、マイおがくずを設置してみるのは一手でないかなと。

そこで熟成された土を使えば、様々な生物達による循環が発揮され、養分が樹木などに行き渡り活性化し、結果的に病害虫の蔓延を防ぐ事に繋がるなど、まさに劇的ビフォーアフターとなる可能性も有り得ます。

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ただし、これら記述は仮説に過ぎない部分も多く、まるっきり鵜呑みに出来る訳でも無いのが正直なところ。

ここまで言っておいて何なのだが、これら一連の現象は「人がイジった環境」に由来するものが基本構造にある為、それを解決しようと「また人が介入する」事で余計にバランスが崩れ、一歩間違えれば逆効果ともなりかねない側面もあるのが実情です。

従って、あくまで一つの参考資料に留まるものとして、中長期的なスパンで注意深く経過を伺いながら試行するのが肝要と言えましょう。


更に、これまで何度か述べている様に、「メチャクチャ色んな生物」が発生する事だけは念頭に置いておく必要があるので、苦手な人はご注意を。
当然ながら、それでまるっきり無事に済むとは限りませんし、栽培物が噛られたりする事も然りです。

まぁ、それも一種の「ガーデンのガーディアン」みたいなものだと思って、少し位は許容しつつ生暖かく見守ってあげて下さいな。



さて、ここまでを踏まえて導かれる結論を述べるとすれば、「自然界ってよく出来てる」と言う事。



月並みだが、これが真実であり本質であろうとも思います。

その意味では、農業であれ家庭菜園であれ、これから先の時代にとって重要なメッセージが示唆されている様でもあります。


そして何より、本来そこに住んでいた生物を排除するのでは無く、むしろ居てもらう事で栄養分も作ってくれるし防波堤にもなってくれているのだとすれば、むしろ彼らの存在そのものを受容する事こそが「共生」なのではなかろうか。

いやむしろ、実際のところ人間は彼らによって守られているし、そのお陰で生かされているとさえ言っても過言では無いのかも知れません。



そんな真相の一端が、当プロジェクトを通して明らかとなるのでした。



では、また、CUL。