CULrides カルライズ

発見と探究そして文化。そんな諸々の話。

わざと有機物を投入し微生物を増やしてみたら土壌が改善したかも知れない話 前編「土壌改善に至る経緯」

さて、前回までに一段落を迎えた食べ蒔き二期生ですが、その栽培中、とある重大な事実に思い至る出来事がありました。
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その事実とは、上記リンクで記している「一期生にて幾度も見舞われたウドン粉病が、二期生では全く発生しなかった」件について。


この要因として、大量に増えたダンゴムシやワラジムシ、そしてミミズ等の生物多様性が深く関係しているのでは無いのか。


それを証明するであろう事例と共に、ここに土壌改善する為の重要なヒントが隠されている可能性が浮上したのです。



当然ながら、土壌の健全化に微生物が重要な役割りを果たしている事など遥か昔から知られている話であり、まったくもって新しい発見では無い。

しかし、この記事における要点としては、「微生物の力によって何故、どうして、どうやって健全化されて行くのか?」について、当プロジェクトでの体験を元に、そのメカニズム的な部分を解説して行こうかなと。


その因果関係を解き進めるにつれ、現在では常識とされる言説を覆す様な構図が浮かび上がったりで、これまた結構なボリュームに。
なにぶん長いのですが、ここはひとつ最後まで読み進めて下さると幸いで御座います。



では、その構図とは一体何なのか?

これより前後編に分けつつ、順を追って説明して参りましょう。


🌑ダンゴムシやワラジムシは害虫にあらず🌑

先ず結論から述べてしまうに、要点は以下である。


・現在、菜園にとってダンゴムシやワラジムシ等は作物を噛る害虫として駆除対象になりがちであるが、その認識には誤解を含んでおり、実際は「益虫」の側面がある。

・彼らは本質的に「環境の循環」と言う重要な役割りを担っているだけの話であり、むしろ居なくなってしまった場合、それらの流れが滞り環境が悪化してしまう。

・同じくミミズも単に土を食べているだけでは無く、その撹拌作用によって栄養分が偏ったりせずに済むほか、「土壌のリセット効果」により連作障害なども防げる可能性がある。

・それら生物の働きにより、即ち土壌から発生する様々な「病原体の元をも食べている」からこそ、環境のバランスが健全に保たれている。


と言う事なのである。


こう言うと当然、「いや作物が噛られるのは嫌に決まってるだろ」であるとか、「駆除しないまま大繁殖してはニッチもサッチも行かなくなる」などと言ったツッコミが入るのは間違いなく、その気持ちも大いに理解出来るところ。

また、逆に虫が病原菌を運んで来る場合もあり、まるっきり「無害」などとは言い難く、相応のリスクが存在するのも事実。
それらを放置していては、結果的に住み着かれたり寄生されてしまう場面も往々にして起きる。


そりゃ手塩にかけ育てた野菜や観葉植物が噛られてしまっては誰だって憤りを覚えるもので、油断してると根こそぎ喰い尽くされてしまう事もしばしば。
あるいは、キズモノにさては食べる気も失せるだろうし、それこそ売ったり譲ったりする事も難しくなってしまう。


実際、当プロジェクトでも幾度かダンゴムシ等の食害を受けているのは事実で、知らぬ間に果実の表皮が削られたり、時に苗ごと丸ハゲにされてしまったりと、その都度「おいおい止めてくれよ」などと言いながら払ったり弾いたりしていたものである。



しかし、ある日の事。



これら生物達の「存在理由」について考察した結果、実は食害など単なる表面上の話に過ぎず、もっと更に深い真相があるらしい事が判り始める。

その切っ掛けとして、当プロジェクトの二期生(2019年)に入り暫く経った頃、ある現象に気付いたのだった。



と言うのも、前年度(2018年)の一期生ではカボチャやトマトが度々ウドン粉病に見舞われており、発症する度に患部を剪定したり、時にキッチン用アルコールスプレーを噴霧したりで対処していた。
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しかし、それらでは対症療法の域を出ず、根治に至らないパターンばかり。

この原因も恐らく、もともとがウドン粉に罹患しやすい性質であったとか、あるいは土壌に病原体が蔓延していたか、はたまた両方の合わせ技などの可能性が考えられる。

しかも、一期生の栽培前に一度だけトップジンなる薬剤を撒いているのだが、その用量は微量(1包)しか使用しなかったせいなのか効果がイマイチ感じられず、特にウドン粉病が抑制された様子も無かった。


いずれのパターンにせよ、結局その当時はシーズンの終わりまで繰り返し発生し続けていたのであった。



それなのに、冒頭でも記した通り、二期生のトマトやメロンでは一切発生した様子が無く、そしてシーズンの終わりまで終ぞ症状が顕れる事は無いままだった。
それこそ、一期生よりも遥かに貧弱極まる個体ばかりの状況で、である。


この理由を探る内、どうやら当プロジェクトの初期と現在では、ダンゴムシを始めとした昆虫など「生物の分布」に大きな変化があるらしい点に思い至る。

それまでの状況証拠や参考文献とを照らし合わせて考察した結果、どうにも畑イジリの試行錯誤を繰り返す内に、それら病原体が消滅するだけの環境変化や、土壌の正常化が起きているらしい事が解って来たのだ。



では、そこへ至るに何があって、それまでと何が違っていたのか。


その経緯を深掘りしてみましょう。


🌑わざと有機物を投入し微生物を増やしてみた🌑

先のウドン粉病が断続的に発生した一期生と、片や全く発生しなかった二期生が栽培されていた状況とを比較した場合、大きな違いとして考えられるのが「土壌を取り巻く環境の変化」である。


この土壌の環境について、これまで当プロジェクトでは「落ち葉や枯れ草」、「抜き取った雑草」、「おがくず」などを積極的に集め、肥料や保温の為に利用してきている。

その総量で言えば、数十リットルのゴミ袋が何回も満杯になり、かつ地表がテンコモリに覆われるほど敷き詰める時すらある位のボリュームであった。
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実際の所、これら落ち葉などの有機物で地表を覆う試みは、当プロジェクトの前年(2017年)より開始し、翌年(2018年)の一期生にて本格的な導入へと至る。
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しかし、まだ2017年の段階では土作りのテスト期間であり、基本的に手近で収集された分だけ投入しつつ探り探りの状態。
表土に対し広く浅く乗せる程度だったりで、全体量としては栄養強化に足りないボリューム感であった。

翌、2018年の一期生では肥料のバリエーションが若干増えたものの、それとて初めての家庭菜園だったので、特に冒険らしい試みはせず前年を踏襲。
そのシーズンも後半に入り、保温と養分を強化する意味で「雑草+落ち葉のマルチ」を増量した事がある程度だったりする。

要するに、それまでは量的に然程でも無く、果たして有機物が効果的なのかは謎だったし、ましてや土壌改善を実感するシーンも殆ど無かったのである。



そんな実験的な試みを継続するうち、次第に「分解のペース」が掴めて来るのが解る様になる。


具体的に言い表すと、例えば冬の枯れ草を大量に投入していても、次の夏場から秋には分解される様に。
あるいは、夏場の台風後に集めた落ち葉が、翌年の春には殆ど無くなっていたり。
それこそ、テンコモリにし過ぎて「ちょっとやり過ぎたかな…」と思う量でも、半年近く経てばペッタンコになるまでボリュームが減っている。

と言った感覚である。



ならばと2019年の二期生に入る頃合いで、一気に有機物を増量。
すると、ほどなくして変化が大きく顕れ始める。


その変化こそ、「ダンゴムシとワラジムシが大量発生」した事、そして「土中のミミズが増加」していた事である。



無論、それまでにも居たことは居たが、この二期生における増加率はハンパなものでは無く、ウジャウジャ密集するほどの個体数に及ぶ。
しかも、その他に様々な種類の虫までも連鎖的に集結している様子さえ伺えるほど。

何しろ、敷き詰めた落ち葉の表面にはダンゴムシがワラワラ、下を捲ればミミズがビッタンビッタン、その他にもゴミムシやチャバネゴキブリなどなど本当に多種多様。
更に、それら虫を食べるトカゲが土中で寝ている所に出くわすシーンも度々。


それはまさしく生命の爆発なのだが、嫌いな人が見れば卒倒する勢いであり、画像に撮るのも憚られる光景なのであった。



さて、実の所これら生物は、「わざと増やしてみた」側面が大きかったりする。


何故なら、大量の落ち葉や枯れ草を分解する為には、それらを食べて消化してくれる「循環役を担う生物」が必要不可欠である。

もし、ここに循環役が居ない場合、大量に蓄積した有機物により土壌に酸素が行き渡らず淀んだ空気や水分が滞留してしまい、本当にカビやら病原体の増殖を許してしまう事になりかねず、ひいては植物にも養分が還元されなくなってしまう。

それは実際の自然界を観察すれば解る様に、例えば「落ち葉が堆積し過ぎてダメになった森」の話など、まず聞いた事が無いはず。
この理由は単純に、「土壌(地表)の生命活動が活発」だからこそ、適切に分解と循環が進み、結果的に環境が健全に保たれているからだ。


なので、そんな自然の循環を再現すべく、意図的に「処理スピード」を上げる目的で、ダンゴムシやワラジムシ、そしてミミズを発見次第捕まえては投入していたと言うワケ。

先述した有機物の投入と併せて考えれば、これら2017年から始めた試みが2018年に本格化し、やがて2019年になり効果が発揮され出したものと推察される。

まさに急増して当然の成り行きなのである。



その甲斐もあってか、投入後の落ち葉や雑草の分解速度は思った以上に早く、概ね1年居以内には殆どバラバラになり土壌と馴染んでくれる様になった。

ここまでの一連を総評するに、足掛け三年にわたる期間を経て遂に土壌が活性化した、あるいは「本来の力」を取り戻したと言う事になるのかも知れません。



そんな試みを経て更に、この「土壌を取り巻く環境の変化」が、思わぬ仮説を導き出す事になるのです。


🌑微生物が病原体を「消化」しているらしい🌑

では、この土壌に生物が増えた事と、ウドン粉病が発生しなかった事がどう結び付くのか?



その理由こそズバリ、ダンゴムシやミミズを始めとした微細な生物達が、「有機物と共に病原体なども食べて纏めて消化(無害化)してくれているのではないか?」。



と言う話なのだ。



実はこの仮説に思い至った当時、とあるコラムで非常に興味深い記述を発見する事となる。


そのコラムとは、生物学者やダニ研究家として知られ、また全力脱力タイムズでもお馴染み五箇公一氏によるもの。
ここから記憶がアヤフヤな部分もあるのだけど、その要点だけを簡潔にまとめると以下の様な話であった。


・これは五箇氏の知人女性から聞いた話として、その女性が自宅の庭に生息するダンゴムシが何匹いるのか試しに調べようと捕獲してみた所、一升瓶が満杯になるほどの数だったと言う。

・すると何故か、その翌年になりバッタが大量発生し、庭の観葉植物を食べまくってしまったのだとか。

・これを聞いた五箇氏は、「もしやダンゴムシが土中に産み付けられたバッタの卵も食べていたから、生態系のバランスが取られていたのではないか?」と推察したとの事である。


※繰り返しますが、この話は大分ハショッっているので、大体この様な内容だったと言う形で引用致しました。
詳細やオリジナル記事については、各々にて検索して頂ければと思います。



さて、上記のエピソードにおける最も重要な部分を要約するならば、


「ある区画内のダンゴムシが居なくなったら、次にバッタが大量発生して植物の食害が増加した」


と言う点である。


この件に関し、また五箇氏は「これは仮説であり実際の因果関係は不明である」として断っていたが、確かに本当の所はダンゴムシとバッタのみぞ知るところ。


しかし、よくよく考えてみれば、表土に浅く埋められたバッタの卵などはタンパク質や脂質が豊富に含まれているはずで、ダンゴムシにとってはイージーに高カロリーを摂取出来るエサに違いなく、むしろ好んで食べている可能性は有り得る。

と言うか多分、おおよそ口に入る物なら何でも見境無く食べている中で、とりわけ「ウマイもん」には集中的に群がる習性があるだけの事なのだろう。



それを踏まえて、上記のコラムと当プロジェクトでの現象を照らし合わせた時に浮かび上がる共通点は明解そのもの。


それこそが先述しているダンゴムシやワラジムシが落ち葉のほか、動物性タンパク質など様々な「有機物全般」を食べているからこそ、土壌に発生した細菌なども同時に食べている可能性があり、一連の仮説にも整合性が出てくる事になるのです。

また同じく、ミミズが有機物と共に「ダンゴムシ等が排出した糞尿」などを含めて食べていると仮定した場合、それらに含まれる養分によって更に増殖する可能性は高く、やはり数が増えた分だけ細菌等を取り込んでゆく確率も高くなるだろう。


だからこそ、彼らの様な地表や土中に住む昆虫の数が多いだけ「消化される量」も多くなるぶん、環境のバランスが整えられて土壌も健全に保たれやすくなると考えられるのだ。



とどのつまり、有機物の投入を続けた結果として、昆虫や微生物が「連鎖的に繁殖しやすい環境」が整った事により、生態系におけるバランスが保たれた。

それら生物の食事(消化)活動が活発化し、病原体となる細菌の分解までも進んだからこそ、二期生ではウドン粉病が全く発生しなかったのでは無いか?

逆に言えば、彼らが居ない環境と言うのは「何も歯止めがかからない」状態を意味する為、やがて「偏った病原体ばかり」が蔓延しやすく不健全な土壌になってしまう。


そんな構図が浮上するのです。



そう考えれば、探り探りだった2018年の一期生までは効果が薄かったのに、一気に有機物と生物が増加した2019年の二期生では病変が出なかった事にも辻褄が合って来る。

その意味では、家庭菜園などで病変が連続している場合でも、ある程度「自然界に近い状態」を再現出来れば、もしかすると薬剤などに頼らず解決する事が可能となるのかも知れません。



やっとこ核心に到達した訳ですが、話は更に「この先」へと繋がって参ります。

もう暫し続きますので、どうか最後までお付き合い下さいな。


次回、後編に続きます。



では、また、CUL。

食べ蒔き二期生レポート 総括 of the 二期生

前回の1月中旬を以て完全にシーズンを終えた、「食べツー」こと食べ蒔き二期生たち。
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それを経て暫く経つが、当然ながら特に変化など起こらず、今まさに大地へ還らんとしている最中である。


それは例えば、枯れたトマト達の風化が日毎に進んでいたり。
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同じくゴーヤの枯れた株も、周辺の落ち葉と同化しつつある状況に表れている。
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ちなみに、今年は引き抜き処分はせずに、このまま植えっぱなしにするつもりなのだが、もはや既に根の張り具合はだいぶ弱まっており、簡単にスッポ抜けてしまいそうなほど劣化が進んでいたりする。
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恐らく十中八九、この先でも何も起こらず、単純に朽ちて行くだけとなろう。


もっとも、それはそれで自然の摂理に任せるのみ。
その辺に生えてる雑草だって、枯れた根が地中に残りっぱなしであろうと次のシーズンには再び生えるし、そうでなければ分解されて行くだけの事。

いずれにせよ、どちらか同じ経過を辿るはずなので、今は静かに置いておくのみである。



そんな前置きはここまでにして、今回は二期生の総括。
即ち、一連の流れを振り返った、纏め記事をお送り致そうかなと。


とは言え、一昨年の一期生と比べて著しく成長率が低く、不作で収量が少なかったりと特段のフィードバックとなりそうなトピックに乏しいのが実情である。

そんな中でも、今期に改めて発見した興味深い現象などをピックアップ。
あえて言うなら、今後の農林業に活用出来るかも知れないポイントを踏まえつつ、思い付いたアイデアや所感などを記して参ろうと思います。


では、いざ。


🌑タネに始まりタネに終わった二期生🌑

さて、ここまで幾度か記して来た通り、今期は当初から不作の予兆が出ており、そして実際に収穫出来た数量は極端に少ないものとなってしまった。


それら食用に出来た収穫物を総計すると、主にゴーヤが計6本と健闘。
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しかし、トマトはチョイと摘まんだ程度に、なんと1個だけ。
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その他に発芽させたメロン、カボチャ、スイカに至っては、収穫ラインを満たさず全くのゼロだったり、大半が生育途中で枯れると言う結果に終始していた。
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上記の要因は一重に、タネの生命力に由来するもの、つまり元々が弱い性質になっていた為だと考えられる。


と言うのも、今期の栽培にあたり使用したタネの大部分は、一昨年の一期生から引き続き使用した「2年モノ」のタネが中心であった。
故に、経年で鮮度落ちしていた可能性が高く、その分だけ生命力がスポイルされてしまった感が否めないのである。
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事実、その一期生で使用した時の畑は、全盛期を迎えるやジャングル状態。
脚の踏み場も無いほど繁り、収穫物も充実したラインナップであった。
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しかし、これがイケてるタネだと思い込み改めて今期でも使用したが、逆に殆ど成長してくれず畑はスッカスカで、結局何も出来ず仕舞いだった。



その一方、今期のゴーヤは栽培の一年前に採種し冬越しさせた、文字通り「一年モノ」のタネを使用。
して、二期生の中では最も成長率が高く、それと連動する形で一定量の収穫を実現。
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また、その食味についても満足な水準を満たす事となる。
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これらの比較により、トマトやメロン、カボチャを始めとした他の作物は、保存中に生命力が衰えてしまったとの仮説にも整合性が出て来るのであった。



このタネが劣化する要因として、植物は基本的に果実が成熟し地表へと落ちた時点で、実際は既に次のシーズンが始まりつつあるとは言えるので、そもそも二年越しで生えるシチュエーションを想定されていない可能性もありうる。

要するに、作物のタネとは「果実が成熟してからタネが落ちて地中にメリ込み、そのまま冬を越して次のシーズンにまた生える」と言うサイクルを前提に設計されているので、その「使用期限」を過ぎてしまうと一気に劣化してしまうパターンが多いのだろう。


特に、近年の作物は品種改良が進んだ事で生命本来の能力が低い傾向にあるので、雑草と比べて余計に劣化が早く進みやすい様な印象を受ける。

恐らくだが、この劣化スピードも品種により様々で、「より原種に近い方が日持ちし易い」などの違いもあるものと考えられる。
その意味では、採種した時の品種が何者かによっても、持ち越した時の成長率や結実率などが大きく変動するのかも知れない。



更にこのタネに関して、もう一点触れておきたいのは、「食べ蒔きの二世」では更に生命力が弱まってしまうらしい点である。


今シーズンの初期段階では、昨年度に収穫されたメロンのタネ、すなわち「食べ蒔きで栽培した果実のタネ」を幾つか使用してみたのだが、いずれも発芽しないパターンばかりであった。
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後々に調べてみた所、どうやらF1系の作物から採種したタネでは先祖返り又はカオス化するだけでなく、世代を重ねる毎に生命力が弱まってしまうのだとか。
いわば、「食べ蒔きの食べ蒔き」は難しい様なのだ。



その意味で、今期に使用された二世のタネは「法則」に当てはまってしまった事になるのだけど、しかし、これも個人的には品種によりけりなのだろうとも考えている。

何故なら、固定品種や古代種などは世代を重ねて栽培出来ると言われている訳で、その辺の雑草も同じ土地で同じ様な性質のまま存続が出来ている。
然るに、先述した様な「原種に近い性質の品種」であれば、食べ蒔きでも継続した栽培が可能となるパターンも有り得るからだ。


その例として、今期に収穫されたゴーヤのタネは、その親世代より一回り小さくなったものの、中身は比較的シッカリとした質感であった。
また、一期生で収穫した幾つかのトマトのタネも、外見上は良好な粒立ちをしていた記憶がある。
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一方、一期生のメロンから採種されたタネは、親世代のタネより中身が薄くなる印象で、そして実際に発芽せずいた。
また同じく一期生のカボチャでも、果実の外見に比べてタネは極端に矮小化しており、再び蒔いても生育しそうに無い質感であった。
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上記の現象は要するに、過去にどれだけ品種改良されているかによっても、このタネの劣化スピードには違いがあって、いわば「原種から遠い性質」になるほど先祖返りやカオス化の度合いが強く顕れやすくなる可能性を示唆している。

逆に言えば、それほど改良されておらず、原種に近い性質を留めた品種や、昔から殆ど姿形が変わっていない品種であれば、食べ蒔きでの再現性が高くなるものと推察する事が出来る。

と言う訳なのです。


ただし、上記は仮説の段階に過ぎず、本当に継続して栽培出来るか否かについては実証に至っていないのが正直な話。
従って、もし次期に検証出来た際は、追って報告を記したいところ。



何にせよ導かれる結論として、第一に「イケてるタネ」を確保する事が先決。

継続した栽培が出来るか否かは採種した品種次第だが、昔ながらの品種である方が再現性に有利。

そして、「タネは出来るだけ鮮度の良い内に使う」方が、より好成績に繋がる確率が高いと言う事になりましょう。


まったくもって、よくよく考えれば当然の流れなのでありました。


🌑「挿し木」は様々な品種に応用出来るかも🌑

そんな不作の中にあって、ゴーヤとメロンの「挿し木」が可能と発見された事は、今期でも特筆すべきトピックと言える。
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勿論、これら品種の「接ぎ木」された苗が市場に存在する以上、取り立てて新しい話と言う訳では無いだろう。

ただ、当プロジェクトで行ったのは「単体で土に挿す」手法となり、そこから再び根を生やし苗へと生育させられるかを検証していたものとなる。

これを試した理由としては、摘芯した先端部を棄てる事無く、最後まで有効活用するため。
それで成功すれば、更に収量が向上するのではないかと考えたのだ。



その詳細な手法や経過については下記リンクに記した通りで、結論を言えばゴーヤとメロンは挿し木にしても根が再生する事を確認。
上手く行けば、そこから生育する可能性が示唆される内容となった。
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ただし、まるっきり単体での生育では根本的な生命力が足り無かったのか、いずれも定植後ほどなくダンゴムシ等に噛り尽くされたり、生育途中で枯れてしまうなど、開花にまで至る事は無かったのが実情である。

従って、病害虫などに耐えうる抵抗力を確保し、野外でも生育する体力を維持する為には「養分を安定供給する為の土台(台木)」が必要となり、結果的に接ぎ木した方が無難であるのも確かな様子であった。
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そこで、今回の検証を踏まえて考えられる別の可能性としては、摘芯された「元気な個体の先端部」と、間引き相当の「貧弱な株の根元」を接ぎ木して合体させれば、その元気な先端部に引っ張られる形で生育が安定するかも知れない点である。

こうすれば、せっかく元気のある先端部を棄てず、間引される様な貧弱な株も棄てる事無く、 両者を活かす形になるのでは無いかと考えられるのだ。


無論、これも仮説であり希望的観測に過ぎないので、実際にどうなるかは未知数である。
また、接ぎ木のセオリーとして、「昔からある強い台木」と「新しい品種(ただし生命力に劣る)」を組み合わせるパターンが主流となっている様なのだが、この仮説では逆を行く形になる為、本当に失敗してしまう可能性すらあるだろう。


ただ、少なくとも「やってみる価値」だけは幾らかあるはず。

冷静に考えてみれば、本数が揃うほど収穫率は高まる訳で、いわばバイクにおける「ニコイチ」的な意味の抱き合わせ個体でも用意しておいた方が予備戦力になるし、それとて使える頭数が増える事に変わりない。

仮に、それで収穫までの成長率を達成出来ずとも、例えば「開花する可能性のある個体」が多ければ多いほど、花粉を媒介する昆虫を誘引する役割りとしても助力を与える事になり、やがては全体的な結実率の向上にも繋がると予想される。



その一方で考えられるデメリットとしては、抱き合せした個体が病害虫に対し弱い性質となってしまい、そこから通常の個体へと伝播してしまう可能性がある事。

ただ、これに関しては病害虫が発生した段階で間引きを実施すれば、それほど問題化せずに解決するのでは無いかと思われる。

実際、もともと成長率の高い個体は比例して免疫力も高い傾向にある様で、例えば「果実を噛られた傷痕が塞がる」、あるいは「アブラムシが寄って来ない個体がある」など、自力で身を守っているであろうシーンを幾度か確認しているからだ。


まぁ、「結局は間引きするんかい」と言ったツッコミは無きしにもあらずだが、元々棄てる前提であった部位を再利用しているだけなので、その辺は実質的にプラマイゼロになったと言う事で。



またもう一つのリスクとして、「抱き合わせ個体」と「通常の個体」が交配して結実した場合、次世代のタネが不安定化したりカオス化したりするリスクが有り得る事だろうか。

その様な可能性はあれど、例えば「貧弱な性質の個体」や「カオス化した個体」に関して、これまでに観測した印象から述べておくと、そういった個体のタネは生命力がスポイルされる傾向が強く出てしまう為、そもそも蒔いても全く生えて来ないか、生育途中で枯れてしまうか、サッパリ実を付けずに終わるパターンが多くなるものと考えられる。


それ故、必然的に世代を跨げず「その代限り」となる確率が高い。
つまり、食べ蒔きする親世代のタネからして劣化が避けられない以上は、そもそも交配し難い性質であるし、したところで次世代の生命力も弱くなりがちなので、あまり不安視せずとも接ぎ木を試してみるのはアリではないかと思われるのです。



ちなみに、この接ぎ木に関する注意点としては、「台木の選択」が問題となり、そのせいで実に毒素が回ってしまい、食中毒を引き起こす危険性がある点は念頭に置かねばなりません。


これは以前とあるテレビ番組の中で、ナスと同じ科のチョウセンアサガオを台木にしてナスを接ぎ木栽培した方が、その収穫物を食べた所、重篤意識障害に見舞われたと言う話がされていた。

この事案は要するに、もともと毒素の強いチョウセンアサガオを「ナスと同じ種類」として扱い、台木にしてしまったが為に、果実にまで毒素が回っていたと言う事になります。

従って、もし接ぎ木にする場合は「相性」も重要な要素となるので、極力、安全性が確認された組み合わせで行うのがベターだと言えます。



いずれにしましても、このゴーヤとメロンの挿し木により、更なる収量アップの可能性が示される結果となりました。
それを翻せば、この他の様々な品種や作物でも応用の余地がある、と言う事でもあります。

この経験をもって、次期に繋げられる様に活かして行きたいところ。
機会があれば、改めて検証してみようかと思案中なのでありました。


🌑とにかく色々な品種を生やしてみた🌑

シーズンを通して不作が続いた中、番外編として進めていたのが「実生の果樹」を育成する事。
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これら果樹の苗木は全て、市場に出回っている果物のタネを埋めただけの、まさしく食べ蒔きシリーズである。
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改めて一例を挙げると、アボカド、柚子、甘夏、グレープフルーツ、レモン、梅、リンゴ(あるいはナシ)は発芽に成功し、これらの一部は苗木まで生育していた。
更に過去には柿や杏子、また他にもクヌギなどなど、品種により条件次第ではあるが、タネを蒔けば実際に生えて来る様子が多数確認されている。
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また、余談として随分昔の話になるが、かつて食べたイチゴのタネを適当な場所に蒔いてみた所、それから毎年の様に生え替わり、半ば雑草化していた事もある。



その発芽に関する詳細な手法や経過については各リンクを参照下さるとして、いずれも継続的に成長する可能性が示唆される内容となっており、事実、例に挙げた苗木は現在でも生育中である。

下の画像は、上記リンク中でも紹介している梅の苗木。
その昨年度の撮影時は時期が遅く落葉していたが、今年の2月下旬~3月に入る頃になり再び芽吹いてくれた。
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これら例を鑑みるに、やはり植物のタネは思いのほか生命力が強く、潜在的に自力で生育する能力が秘められているのだと実感するところ。

世評では「まともに発芽しないし育たない」との言説が主流となっているが、実際は「ちゃんとやれば生えてくるし育てられる」事が明らかとなったのでした。



上記の事例を踏まえた上で個人的な感想を述べてみるに、これら食べ蒔きでの果樹や作物の栽培が、もしかすると今後の食料生産において重要な意味を持つ様になるのでは無いかと考えている。


例えば近年、気候変動の話題に伴って、「生物の分布」も変化しつつあると言われている。

これは植物とて例外では無く、現在の作物にも影響を及ぼすとされ、既に稲の高温障害などの形で顕在化しつつあるのが実情。
このまま変動が進行するに、それまでの栽培適地では通用しなくなるのでは無いかとも懸念されている。

また、近代の作物や果樹は「主に人間が世話する」事を前提に作られた品種が主流である為、些細な環境変化に弱く、ちょっとした切っ掛けで病害虫が蔓延してしまう事例も多い。
それを翻せば、気候変動が進んだ場合に自らの力では生命を維持出来ないだけでなく、人の手を借りても焼け石に水の様な対症療法しか打てなくる事をも意味する。



そういった事態を防ぐ意味で、様々な品種のタネを実生から栽培する事により、「その環境内で最も適した個体」の出現率が高まるものと予想される。

つまり、タネから自力で生えて、なおかつ生育出来る生命力と免疫力を共に備え、自然界で生存する能力が高いほど、この気候変動や環境変化への適応力も高くなるし、結果的に安定した生育にも繋がると言う訳なのだ。
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しかしながら、実生での栽培は生育が不安定なのも事実で、せっかく生えても劣化した性質となって枯れやすかったり、先祖返りして結実率が安定しなかったり、カオス化して食べられるクオリティにならないなど、デメリットも非常に多いものとなる。

冒頭の項目でも述べた様に、それら実生の株から結実し採種されたタネは、先代から輪を掛けて生命力が弱まる傾向が出てしまい、次世代が全く生えて来ない場合もある。
然るに、実生では発芽率も成長率も下がってしまうばかりか、世代を引き継げない可能性がある事も先述の通りだ。


そんな諸々のデメリットばかりが表出しやすい上に、手間の割りに実入りが少ないパターンが多過ぎる事もあって、実生での栽培など「やる意味が無い」と言うのも強ち間違いではありません。



では何故、そうまでして食べ蒔きや実生に拘りを持つのかと言えば、この試みの先々において「本当にイケてるヤツ」が現れるかも知れないから。

即ち、栽培における再現性の高さであるとか、結実率の安定感など、いわば自主的に生育する能力が目覚めた品種が誕生する事で、より食料自給率が向上する可能性が有り得るからです。


この理由について簡単に説明すると、生命体には種を保存する本能や機能が備わっているが、前途した様に、どのタネも発芽しないし成長してくれないのでは、誰も子孫を残せず本当に種族が途絶えてしまいかねない。
それはつまる所、生命力がスポイルされた性質でいる限り、いずれは絶滅と言った不都合が生じる事になる。

その様な事態を防ぐ為、生命体の根本には「次世代を残すスイッチ」が備わっており、何らかの条件を満たす事で「入力」されるものと考えられる。
それは仮に、通常ならタネを残せないほど貧弱で劣化した品種であろうとでもだ。


もし数千個、いや数万個のタネのうち一個しか成功しなかったとしても、試せば試した分だけ成功率は高まるだろう。

と言うか、そもそも自然界では全てのタネが発芽し生育する訳では無く、「必然性のある個体」だけが生存する様に成り立っている。
然るに、これが食べ蒔きや実生であろうと、あるいは自然界の野生種であろうと、「どちらも本質的に発芽率も生存率も低い」事には変わらず、結果的に多数のタネを試さない限り、ドコでナニが上手く行くかなど判り得ない。


この事から、いわゆる世評において「食べ蒔き(実生)では上手く育たない」と言われている所以も、実際は「上手く行くまで試していない」事が要因なのではないかと推察している。

言い換えれば、ほんの少し遊び半分などでタネを蒔いただけのシーンが殆どであり、本気モードで「イケてる個体が発現するだけの数量やパターンを試していなかった」だけの事なのかも知れません。
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そんな訳で、今後の気候変動への対応、そして生産能力を向上させる意味において、様々な品種のタネを手当たり次第にでも試す価値はアリと考えられます。
まさにソシャゲのガチャを回すが如く植えまくれば、比例して当たる確率が高まるはず。


その中から、いずれ「イケてるヤツ」が現れさえすればジャスティス。

こうして生まれた成功例こそ、次世代のホープと成りうる可能性を秘めている。


と言う事になるのかも知れません。


🌑食べ蒔きは何時でも何処でも試せる🌑

では、当プロジェクトの検証結果より得られた考察を踏まえた上で、「ならばどうやって始めれば良いのか?」と言う話をしておきましょう。


幾度も述べている様に、この食べ蒔きや実生での栽培では生育が不安定になりがちである。

故に、わざわざ育つか育たないのかハッキリしない作物の為に、本格的にスペースを確保するなど通常は有り得ない話だろう。
安定した収穫を目指すには、ちゃんとした品種のタネを買った方が遥かに効率的だし、味も保証されているに違いない。

つまり、そもそも「食べ蒔き専用の畑や菜園」など作る理由が無く、また作る意味も無いのが現実と言えます。



しかし、実際の栽培にあたり必ずしも専用スペースや広大な畑が必須と言う訳では無く、ほんの「隙間」みたいなスポットでも事足りるのがミソ。



端的に言ってしまえば、この食べ蒔きは「いつ何処で育てても良い」。



そう、それは自宅の庭でも、ビルの屋上でも、学校の花壇でも、介護施設の植え込みでも、本当に何処でも始められるし、探せば幾らでもスペースは存在するのだ。
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この話は以前、上記リンク中でも同様に記述しているが、「本当は使えるけど実際には使っていないスペースやスポット」と言うのは、この社会の中で大分余っているものと考えられる。


例えば現在、よく話題になる耕作放棄地などは、まさに打って付けのフィールドとなろう。

その栽培方法は非常に単純で、特に本格的な畑作りをせずとも、先ずは隅っこだけ耕すなどして、そこに生ゴミとして出た様々な品種のタネを埋めおき、あとは殆ど放置プレイするだけ。

その中から必然的に生命力の強い個体だけが成長する事となり、やがて結実して尚且つ食用になると確認されたなら、改めて採種。
それを再び蒔いて栽培に成功すれば、サイクルが成立する事になる。


つまり、そういった「適当に空いたスペースでも生育するほど強いヤツ」こそ、確かな生命力と免疫力を持った個体の証し。
いわば、「次世代として存続するためのスイッチが入力されたもの」として捉える事が可能になるのだ。
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また同じく、管理されていない里山や、木材を伐採されたまま回復していない禿げ山などは、まさに「実生の果樹」を試すに最適な環境である。

そこで様々な果樹のタネを埋めておけば、やはり生存に適した個体が残る事となり、それらの中から更に安定した結実率を誇る個体も出現するはずだ。


上記の様な次世代が各地域で誕生したとすれば、即ち「その土地に適応した品種」としての礎にも成りうる。
この地域性によるバリエーションの多さが即ち、「種を保存するパターンの多様化」となる訳だ。

しかも、もし荒れ地や禿げ山での果樹栽培が上手く行った場合、結果的に土壌の保持力が向上し、土砂崩れ等を防ぐ効果も期待出来る。
それこそ、ガンガン埋めれば埋めるほど、イケてるヤツの発現確率も高まるであろう事は言うまでも無い。



更に言えば、そういった管理不足な里山の一部などで、スポット的に果樹林が形成される事により、いわば「自然界と人間界の緩衝地帯」として、人里まで下りて来ようとするイノシシやシカなどを足止めしてくれる可能性もある。

彼ら野性動物とて本来なら警戒心が強く、他の生物との接触には慎重である。
出来れば無駄な争いはせず縄張りの中で安全に過ごしたいし、餌を探すにも体力の消耗は避けたい。
要するに、人のテリトリーの近くに来るにも必ず「理由」があるのだ。


彼らは「山に満足な量の食料が無い」とか、「人里の方が美味しく栄養価の高い食料がある」からこそ下りて来る訳で、逆に「山に美味しく満足な量の食料」さえあれば、そこで留まる確率も高まるものと予想される。

もし仮に、この「果樹林による緩衝地帯」の予想が正しく、また上手く行った場合、それは山林の再生のみならず、生態系のバランスを保つにも一役買うものと考えられる。
つまるところ、人間と自然界、そして野性動物と、多方面にメリットをもたらす可能性があるのです。



とまぁ、これは拡大解釈した話に過ぎないのですが、それでも可能性の余地だけは残しておきたいもの。

少なくとも判っているのは、試してみて損は無いんじゃないかな、と言う事だけ。

何もしないままでは本当に何も起きない訳で、ならば一案としてはアリな様に思うのです。


🌑色々と試すほど可能性は広がる🌑

最後に締めくくりとして、ちょいと展望をば。


この食べ蒔きや実生と言う試みは、それなりの種類と数をこなす事でしか成否が明らかとならず、結果的に大した成果が残らない場合も多いのが現実。
それら事の顛末は、当プロジェクトの過去記事をご覧頂ければ存分に伝わる所でありましょう。


とは言え、まるっきり荒唐無稽な話をしたい訳では無く、そんな失敗混じりでも記事化する理由があるとすれば、これら検証から導き出されたアイデアだけでも示しておけば、いつか何処かで活かされる時がある様に思うのです。

最初はひょんな思い付きでも、いずれは新たなソリューションに繋がれば良いんじゃないかなぁと。
もし、そんな試みの数々から本当の意味での成功例が出ればラッキー。
それもまた一つの収穫であり、まさしく「次世代へのタネ」に違いありません。


そんな訳で、長々とゴタクとウンチクばかり記述して参りましたが、少なからず当プロジェクトの記事が参考となれれば幸いなので御座います。
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では、また、CUL。

食べ蒔き二期生レポート 1月中旬・終わりなき検証

毎度お馴染み流浪のブログ、カルライズのお時間がやって参りました。



超後れ馳せながら、明けましておめでとう御座りまする。


果たして更新しているのかしていないのか、相変わらず頻度にムラのある当ブログでは御座いますが、そのぶん濃度の高い記事を執筆して参ろうと考えております故、お時間の許す限りに、あるいはティータイムの合間にでも、ごゆるりとお楽しみ頂けましたら幸いに思います。

斯様にて、今年も宜しくお願い致します。



さて、本年一発目は「食べ蒔き作物シリーズ」であります。


当プロジェクトの初回は2018年に、そして今期となる二期生は昨年度より継続して展開している訳ですが、その年末最後の記事から過ぎること約1ヶ月、年を跨いで現在に至ります。
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前回までに記した通り、実質的な栽培は既に終了している。
先に結論から言えば、今回も「終わった作物の話」が中心となり、ハッキリと言えば特筆すべきトピックなど何も無かったりします。


しかし何故、それでも観察して記事化するのかと言えば、まだ何かしらの「変化」や「発見」があるかも知れないから。

仮に作物の生命活動が止まったとしても、それで全てが終わった訳では無く、例えば気温や微生物など様々な要素との相互作用を経て、もしかすると根が復活したり、枝葉や果実が土壌に還り養分が活性化するなど、新たな側面が判明する可能性もあるからです。


つまり、こうした自然の循環作用が残る限り、まだ検証の余地があると言う事。
何をもって終了とするかの線引きは曖昧かつ、在って無いようなもので、最終的な意味での終わりは最後まで判らないはずなのだ(意味不明)。



などと、自分でもちょっと何を言っているのか良く解りませんが、少なくとも現状においては、何も起こらないままであるのも現実。

ムダな前置きはここまでにして、とりあえず様子を記して参りましょう。


では、いざ。


🌑1月中旬・終わりなき検証🌑

今期、現段階までに唯一生き残っていたのがトマト。
前回となる12月中旬の時点で相当ダメージが進行しており、もはや生命活動の停止も目前な様子であった。


先ずは前回からの変化とは言えば、当然の如く年末にかけて一層と気温低下が進み、それに比例して落果する数も増加。

年明けの1月上旬には大半の果実がポロリしてしまい、現在に至る。
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今期「最も成長率の高かった株」については、1月上旬までは先端部にギリギリ青みを残していたものの、やはり連日の寒さには耐え切れなかったか急激に劣化。
この中旬までに全体が枯れて、パキパキに乾燥している。
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辛うじて果房に幾つかの果実が保持されているが、それらも水分が抜けて萎れていたりする。
かつての一期生と同様、惜しい所で完熟しきらなかったなぁ。



根回りを確認してみると、とりあえず根は張られた状態で、辛うじて生命感は残されている。
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また、幹から気根が出ていた形跡もあり、ギリギリまで成長を続けようとしていたであろう様子が伺える。
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更に、前回12月中旬までは青々とした脇芽が生えていたけど、年明け頃から衰弱が始まり、現在までに全体が萎れてしまった。
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先端部には少し青みを残しているが、それとて若く元気そうな芽でも、本格的な冬の寒さには勝てないのだろう。



正直なところ、既に昨年の11月時点で収穫の見込みが薄い状況が続いていた事もあり、以降は殆ど完全なる放置プレイ状態であった。

たまに様子見するものの、残った果実の成熟は一向に進まず、結果的には何も出来る事が無かったと言うのも確か。
世話をしようにも、生育を維持するにはビニールハウス位しか思い付かないし、そこまでの設備を施すのは難しいのが実情である。

為す術もなく落果してゆく果実を見るにつけ、他にどんな対策があるのだろうかと思案するばかりだ。


ただ、今冬は暖冬傾向にあると天気予報で発表されていた様に、今期のトマトは2018年に比べれば若干だが枯れるスピードや落果の頻度が低かった印象。

その点では、もう少し日照時間や積算温度を稼げていれば、結果が変わっていた可能性もある。
特に昨年度の秋は大型台風が相次ぎ、また長く天候不順にも見舞われていたせいで、余計に成熟が遅れた感は否めない。

これが例えば本格的に寒くなる前の段階、つまり秋から晩秋、遅くとも初冬までに天候に恵まれシッカリ成熟が促されていたならば、更なる収量アップに繋がったのかも知れない。


いずれにせよ2018年との結果も鑑みれば、こと露地栽培において果実の成熟と収穫までを視野に入れた場合、基本的には11月末~12月上旬までが限界と言う事になるのだろう。



この他、成長率が低かった貧弱な株については、もはやドライフラワーの如く乾燥しきっていて、完全に生命活動が停止。
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また、今期の初期に植えた、ポットで育苗していた株も静かに大地へ還ろうとしている。
もはや背景の「落葉マルチ」と一体化しつつあり、まさに自然の循環作用を体現するところ。
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しかしながら、あれだけ貧弱な姿だったにも関わらず、いまだ原型を保とうとする姿に生命が持つ底力を感じる。
いやはや、ここまでよく頑張ってくれたものです。



試しに何となく、これら貧弱な株のうち一本を引っ張ってみると、何の抵抗も無くスッポリ抜き取れてしまった。
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うーん、根が無い。

全然ヒゲが発達していないぞ。
これでは「棒」が刺さっているも同然である。



更に他の貧弱な株も引っ張ってみると、同じく軽く力を入れるだけでズポッと引っこ抜けてしまった。
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どうでも良い話だが、その昔「スーパーマリオUSA」と言うファミコンゲームでも、アイテムの野菜を引っこ抜く時に大きい野菜の時は手応えが強くて、貧相な野菜の時は軽くなっていた様な記憶が。
いや、本当にどうでも良い話ですな。



これら貧弱な株の根を確認してみると、やはり密度は薄く、文字通り根本的に発達していなかった模様である。
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もう少し状態を確認してみると、確かに主枝の基礎となるであろう太く長い根を中心に、細かいヒゲ(これらは恐らく他の枝葉や果実に養分を回す役割りの根)が幾つも出ているが、いずれも短く細い。


この根の成長率について、昨年度(一期生)の株と比較すれば圧倒的な違いがあり、まさに「根の成長率=株の成長率」で相関関係にある事が良く解る。
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一期生の場合、栽培当初は貧弱だったものの、成長に従い根が発達していった株も多く、そのぶんだけ果実の出来と収穫量に反映されていた。

しかし、この二期生は終始貧弱な傾向にあり、極端に収量が低かった事を振り返れば、やはり如何にしてイケてるタネを確保し、成長率の高い状態を維持出来るかが栽培における重要なポイントとなるのだろう。


そう考えると今期は上手く行かなかったと言う事になるのだが、いずれにせよ、この結果が次期へのフィードバックとして活かされ、更なるクオリティーの向上へと繋げられれば理想的ではある。

実際、自然栽培ってトライ&エラーを繰り返し、何年もかけてスタイルが確立される訳で、そうそう一昼夜にして大成功する方が奇跡と言えなくもない。

当プロジェクトにしても、この試みを続けて行く中で、何かしら「これはイケる」と言う方法論が示される所まで持って行きたい所ではあります。



もっとも、二期生のレポートに関しては今回が一段落となる見込みなので、次回は一連の纏めでも記そうかとも思案中である。

まぁ、一つの反省会みたいなものなので、そんなに大した内容にはならないかと思います故、暇つぶし程度にお付き合い下さいますと幸いで御座ります。




おまけシリーズ。



昨年の晩秋に栽培を終えた、ゴーヤの根回り。

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もう全てガビガビに乾燥しているが、まだ根はシッカリと張られている様子。
と言う事は、実はまだ生きている可能性も有りうる。


果たしてこのまま植えっぱなしにしておいて、まさか次期に復活するのか。
それとも、潔く抜き取って終わりとすべきなのか。

その行く末は如何に。



では、また、CUL。

食べ蒔き二期生レポート 12月中旬・病変予防と先祖返り

前回までの番外編を挟みつつ、11月中旬のレポートから間を置くこと約1ヶ月。
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この間に季節は冬へと突入し、寒さが身に染みる日々が続く。



そろそろ本格的に終了を迎えそうな二期生であるが、あれから一体どうなっているのか。
その様子を記して参りましょう。


では、いざ。


🌑12月中旬・病変予防と先祖返り🌑

さて、11月から打って変わって、12月に突入するなり気温が急低下。
一気に冬の様相へと相成る。


当の二期生はと言えば、11月下旬までは大きな変化が無く、それまでと同じ様な生育状態を維持していた。

しかし、この12月上旬~中旬に本格的な寒気が流れ込んでからは、急に様々な症状が顕れ始める。



コチラは今期もっとも成長率が高かった「直播きトマト」であるが、前回の11月中旬と比べ、だいぶ消耗して来た。
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その前回までは青々としていた枝葉も、12月上旬~中旬にかけて一気に枯れが進んで落葉。
幹が丸ハダカになり、色味も鈍く変色している。
現状で生育を維持している部分があるとすれば、ほぼ先端部の周辺のみ。



果房に果実は残されていているものの、実際は12月上旬から急激に落果を始め、現状までに半数ほどが失われた状態。
11月下旬までは順調そうに実っていたが、日ごと増す寒さには耐えられなかったか。
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この落果については昨年度と全く同じ症状なので予想していた部分ではあれど、やはりもう一歩のところで成熟しきらなかった点には悔いが残る。
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トマトは夏と晩秋での二期作が可能とは言え、日本の冬は一日中寒い日が暫くの期間続く。
その意味では、一年を通して温暖な国と比べるに、生育条件としてはシビアな方と言えよう。

故に、ビニールハウスでの栽培が中心でもある訳だが、こと露地栽培では、この年度末まで如何に外気温を高く維持出来る環境下に置けるのかが、非常に難しい部分。

これさえ解決出来れば、家庭菜園でも一気に収量を上げられるのだがなぁ。



そんな最中、この12月中旬に入るあたりで、葉の表面に黒いブチ模様が発生。
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この症状が一体何なのか調べてみると、とりあえず葉カビ病、斑点病、すすかび病などなど様々な病状に纏わる解説が出るわ出るわ。


しかし、いずれも症例が多岐にわたり過ぎて、どれも有るような無いような、イマイチ特定には至らない。
実際、同じ様にトマトを自家栽培している方々でもハッキリとは判らず、こういった緒症状が出る度に分析して仮説立てたりと、アレコレ調べまくっている様子が伺えた。


その症例の数々を見るに、人間との付き合いも長く、世界各地で品種改良が行われていたせいか、これまでに膨大な種類の病害虫とイタチゴッコを繰り広げていたであろう姿が偲ばれる。



そんな中で、最も有力視されたのが「低温障害」。

つまり、寒くなり過ぎて体調を崩し、何かしら合併症を引き起こしている説である。



確かに、この12月に入り夜間気温が5℃あたりを指す頃合いから落果が始まり、それ以降に変色が発生している。

よくよく考えれば、昨年度の同時期にも似たような症状が出ていたし、これがもし病変ならば今期の早い段階から発症していたはず。
それでいて現在まで普通に生育しているのだから、感染症などの線は低いものとなろう。
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結局、「寒い」と言う時点で体力的にも厳しい訳で、そりゃ人間だって病気じゃなくても霜焼けや、あかぎれ等の症状が体表に出るもの。
そう思えば、あまり心配するほどの事でも無いのかも知れない。



ところで最近になり気付いたのだけど、今期は現段階に至るまで「ウドン粉病」が全く発生していない。

昨年度は夏以降、繰り返し症状に見舞われていて、事ある毎に患部を剪定しながら対処していたが、今年は終ぞ発症する事は無かった。
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この要因が何故かについて、今年のタネに耐性があったのか、それとも土壌が改善されたからなのかは判然としない。


ただ、強いて要因を挙げるとすれば当プロジェクトを開始して以降、継続して腐葉土(乾燥した雑草・落ち葉・堆肥化されたオガクズ含む)などの投入を続け、それにプラスしてミミズやダンゴムシの生息数が増えた事により、土壌のpH値(酸性度)や微生物達の分布が変化した可能性は有り得る。

つまり、有機物と共に「それを分解する生物」が多様化した事で環境(土壌)の循環が進み、やがて病因となるウィルスやカビ菌なども纏めて分解・消化されたのではないかと考えられるのだ。


もっとも、上記は仮説であり学術的に検査した訳では無いのでハッキリとは判らないが、少なくともウドン粉病が出にくい環境になっていた事だけは確かな様である。

病変の予防法として「有機物+微生物」のコンボ、やんわりオススメします。



さて一応、他の「貧弱な株」達も辛うじて生存しているのだが、こちらは更に体力の限界を感じさせる様相。


これは初期にポットで育苗していたものの、定植後はサッパリ成長してくれなかった個体。
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もはや、このヒョロ小さな体で生えているのが奇跡と言えなくもないが、何故か先端部などは部分的に青みを残しているのが不思議。


その先端部に、謎の尺取虫を発見。
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まぁ、もはや生育も収穫も望めない以上は放置しておこう。
こんな寒い中だし、ゆっくりして行きなよって感じ。



「脇芽のクローン株」も何とか生存しているものの、こちらも定植以降は殆ど成長せず、収穫には至らなかった。
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然り気無く蕾が残されていてはいるが、その発達状態は良くなく、残念ながら開花や結実に至る事は無いだろう。
生育不順が続いた中、せめてもの悪足掻きとばかりに株分けしたが、結局は焼け石に水だったかな。



そんな中で、何故か先の「直播きトマト」の脇芽だけ妙に青々としていて、しかもコチラの蕾は開花までしているのが印象的。
親株の方は既に開花が停止しているのに、どういう事なのだろう。
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他の株も、やはり主枝は枯れているのに若い脇芽だけ生えている箇所がチラホラ。
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まさかここから成長するとは思えないが、生えているからには何かしら意味があるのかも知れない。
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でもって、これも今さら気付いたのだけど、今期に撒いたトマトは全て「大玉種」から採種したタネより発芽している。
それなのに、結実した果実は全て「ミニトマト」のサイズ感となっていた。

そう、ミニトマトを採種した覚えも植えた記憶も無いのに、「ミニトマト化」しているのだ。


これは昨年度にも全く同じ現象が起きていたが、どうやら大玉種の親世代にミニトマトが交配されている場合、その次世代は先祖返りを起こしてしまう様なのである。
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この現象は恐らく、ミニトマトの方が性質的に優勢であり生育にも有利だからこそ、先祖返りした時に発現しやすくなるのだと考えられる。

また、昨年度では大玉とミニトマトの二種類に分かれて発現していたので、土壌の成分による微妙な違いや、タネが元々持つ性質などが複合的に絡む事で、「どちらになるかのスイッチ」が決められて来るのかも知れない。



まったくもって生命の神秘であるが、この「どちらになるかのスイッチ」がコントロール出来ない所が、食べ蒔きにおけるデメリットとは言える。

いや、もしかすると本当は方法があるけど、誰も知らないだけなのかも。



さて、最後に恒例のゴーヤの様子なども。


既に前回や前々回を通して終了が確認されているが、それでも抜き取らず観察を続けていた。
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しかしながら当然の如く、現時点までに全体の90%ほどがパリパリに枯れていて、辛うじて主枝の一部と根回りだけ水分と青みを残す程度。
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ハッキリ言えば、実質的な生命活動は終わりを迎えている。



前回11月中旬までは青々としていた最後の果実も、12月に入ってから日に日に萎れて行き、1ヶ月が経つ頃にはカピカピのドライゴーヤに。
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この機会なので、試しに中身を確認してみよう。



既にパキパキに乾いていた事もあり、スコップで叩き割るとバラバラに砕けた。
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で、画像上段が殻(果肉)で、下段がタネの部分。


あれだけ小さい果実でありながら、ちゃんとタネが幾つか入っており、いずれもスイカのタネ位のサイズながら「形」にもなっている。

次に生えそうなクオリティとは言い難いが、本来なら「成長率の高い果実」であっただろう様子が伺える。



とまぁ、ご覧の通り既に終了していながら何故いまだ残しているのかと言うと、このまま「根」を残しておき、来年度に再生するか実験してみようと思ったからである。


無論、ハッキリ言って無理無駄無謀な話ではあるだろう。

ただ、昨年度の観察では、今時期まで根は瑞々しさを保ち、確かな生命感が残されていた。
と言う事は、実際は「生きてる」可能性が高いと言う事でもある。

また、このゴーヤは「多年草」の性質を持っている様で、原産国や南国では一年中生育しているとの話もある。
となれば、環境次第で再生するし生育期間を延ばす事も不可能ではないはずだ。


もっとも、これから寒さが本格化する事を思えば希望的な観測に過ぎないし、まして野外では生命活動が低下ないし停止するのは避けられないだろう。

今期に関しても、まだ根回りに青味を残しているとは言え、前回と比較して随分と水分が抜けてきた感触であり、いずれ根まで到達するのも時間の問題。
その他、根を残した事で要らぬ病気を招くリスクだって残る。


ただ、もし、仮にゴーヤが原種に近い姿をした作物で、なおかつ雑草並みの性質を残しているのだとして。

その雑草が冬に枯れても春には復活する様に、ゴーヤもまた復活する様に思えたのだ。



これが如何なる結果となるかは全くの未知数だし期待も一切持てないが、何にしたって試さない事には分からないはず。

今後も出来る限り管理を継続しつつ、もし何か変化があれば続報をお伝え出来ればと思っております。




さて、はてなブログに移転してから、何だかんだと更新して参りましたが如何だったでしょうか。


これにて本年度は最終更新と致します。

ご覧下さいまして、誠に有り難う御座いました。


皆様、よいお年を。



では、また、CUL。

食べ蒔き番外編 実生に拘る理由

前回までは、様々な果樹をタネから発芽させる為の方法と、その経験談を記して参りました。

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一連のアプローチとプロセスについては上記リンクを参照するとして、結果的に「発芽させて苗木にする」事までは証明する形になったと言えます。



そんな今回は、これら実生の果樹から得た総評と言うか、今後の農業に関する思い当たる節について、その課題や解決策などを考察して行きます。


まぁ、いつも通りウンチクマシマシゴタクカラメノーガキチョモランマな文章が主体なのですが、これがまた示唆的な姿が浮かび上がって来たりで、ならば今一度、記事化しておこうかなと。


では、いざ。


🌑自ら生き残れない植物たち🌑

さて、これまで当プロジェクトの作物、そして実生の果樹を通した観測結果として。



「実生では次世代の性質がバラついて生育が安定しない」。


またそれにより、


「劣化したり先祖返りしたりで果実の品質もバラつく」。


などのデメリットがあると記して来ました。



上記は即ち、「まともに育たない」との世評を裏付けていただけで無く、「自らのタネでは繁殖が難しい」事も露になった形である。

この問題点やデメリットを解決する意味もあり、市場では「挿し木」や「接ぎ木」でクローン化した果樹が主流となっている。


無論、この手法は安定した生育と収穫を目指す意味では全く正しく、そして非常に効率性が高い事も間違いありません。
大体、同じ性質のクローンを揃えた方が無駄が少なくて済みますし、品質だって担保されます。

それこそ、次世代がカオス化するのが解っていて、しかも、成長に時間のかかる実生などと言う非効率的な試みなど、やる意味すら無いと言われても仕方無い所ではありましょう。



ただ何故、そこまでして実生に拘るのかと言うと、上記の様に自らのタネで繁殖出来ない果樹や作物が主流となっている場合、あるリスクを引き起こす可能性が高まるからでもある。


そのリスクとはズバリ、「環境変化が起きた際に大量絶滅が起きかねない」と言う事。


それを防ぐ手段の一例として、クローン以外の様々なアプローチを模索し構築する必要性があるのではないか。

あるいは、改めて植物自身が持つ生命力や免疫力を発揮させる為に、一種のルーツ回帰がカギになるのではないかと考えているからであります。

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では何故、この大量絶滅が起きるのか、その解決にルーツ回帰がカギになるかの理由を説明するには些か記述量が必要になる為、手短にお伝えする事が難しい。


しかし端的に結論から述べるならば、「同じ様な性質のクローンは、その環境に最も適応しているが、それ以外の環境には全く適応出来ない」。

それに対し、「実生で成体に育った個体は、それだけ生命力が強いか、その環境へ適応した性質となりやすい」。


と言った現象が起こりうるのだ。



そのメカニズムを以下に簡単に記して行こう。



例えば、ここに「X」と言う品種があるとして。


それは「AからBの地域」に該当する環境に最も適応した性質であるので、当然ながら移植したりする場合には、「AからBに似た環境」での栽培が推奨される事になる。

ここで言うABとは、「環境的または気候的条件」を指しており、そこにCやDなど緒条件が追加される事で、組み合わせが様々に変化する。


これをブドウなどで例示すると、主に「冷涼で昼夜の寒暖差が大きい地域」で育てている品種を、同じ様な気温と環境にある別の地域に移植して栽培しようとしたら、そこが実は「湿度が高くカビ等の病害虫が発生しやすい場所」だったりして、なかなか上手く行かない現象に象徴される。


これはつまり、「A(冷涼)からB(寒暖差)を満たす環境」だったはずの場所は、本当は「AからBの他に、C(湿度)もある環境」だったが為に、生育に適していない事が判明した形となる。

いわば、この「些細な違い」が植物にとって「大きな違い」として体質にも顕れたのだ。


その他、高山植物などは温度変化に敏感で、「その場の環境に完全対応」しているが故に、「その他の環境では生きて行けない」品種が多く存在する。
事実、昨今の温暖化の話題に付随して、これらの植生が荒れ始めていると言った話を聞いた事のある方もいらっしゃるはず。



この様に、たとえ表向きは似たような環境であっても、些細な要素の過不足があるだけで、作物や果樹は急に体調が悪くなったりダメージを受けたりする。

それは、ほんの僅かな「点」が違うだけの話なのに、である。


🌑自らの身を守れない植物たち🌑

上記の事例をクローンの話に戻すと、クローン化させた植物は概ね「全て同じ性質(体質)」である以上、何かしらの環境変化が起きた時、例えば病害虫などが発生した場合に「全て同じ位のダメージを負う」と言う意味でもある。


これは近年、外来種のクビアカツヤカミキリによる桜の食害が象徴例で、今のところ自らの免疫機能では歯が立たず、人の手によって防戦に応じているのが現状である。
しかも、その対処法も患部に薬剤を注入したり、樹木自体を丸ごと切り倒すなどで後手に回っており、抜本的な防除手段が確立されていない。

また、近代における代表的な品種はクローン主体で増やして来た事もあり、遺伝子的には単一化されているので、その樹木を守ろうにも「同じ事を繰り返すだけ」にもなってしまう。


これはつまり、その樹木の「抵抗力や免疫力」まで単一化しているが故に、防御方法もパターン化されて行き、やがて一歩間違えば一網打尽にされる構図とも成りうる。

何故なら、本来は植物の方も毒素を出すなど自らの身を守る為の免疫機能を備えてはいるが、その発現パターンが似たりよったりなので「敵に読まれている」し「いずれ上回られてしまう」からだ。


これら病害虫が何故、植物の免疫力を上回るかのメカニズムについては以下の記事でも触れているので、良ければ是非ご参照を。
culrides.hatenablog.com



上記の様な現象が起きうるからこそ、それらの多様性、いわば生き残りのパターンを改めて模索する必要性に迫られて来る。

さもなくば無制限に食われっぱなしとなり、本当に誰も生き残らないし、いずれ子孫すら残せない事態へと発展してしまう事だろう。

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しかし、現代の作物や果樹の抵抗力が低下していたとしても、ならば「病害虫が追い付けないほどクローンを増やして別の場所に移植しまくれば良い」と考えそうなものであるが、残念ながらそれは火に油を注ぐ様なもの。

何故なら先述の通り、既に病害虫も「寄生できるパターン」を心得ているので、それに追い付く勢いで増殖を招きかねないからだ。


これは先述した桜のほか、果樹園の様に「特定の品種が密集した環境内」で病害虫が発生してしまった場合、間を置かず一気に全体へと拡大してしまう事例に象徴されている。


もう少し解説を加えると、仮に品種改良する場合、元となる品種は「それまでと同じもの」を使い、それらの組み合わせを変える手法が主である。

その為、根本的な体質(免疫力)は今までの品種と共通している部分を多く残す事になり、抵抗力が通用する相手が限定的であったり、効果が持続する期間も一時的なものとなったりする 。

すると、既に「旨味」を知られている以上、病害虫側も体質を細かくマイナーチェンジしながら対応してくる事になり、いずれ堂々めぐりになってしまう。
だから、未だせめぎ合いが続いている訳である。



上記は即ち、「決定的な対抗手段が無いのに数だけ増えて、ますます外敵の餌食になる」とも表現できる様相だが、その対抗手段を得るには根本的な意味で「自ら身を守る力」が必要となって来るのは明白。

と言うか、そもそも自ら身を守る力があったからこそ、先代や原種となる品種たちは生き残って来た以上、現代の作物も本来なら同様の潜在能力を持ち合わせているはずである。

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然るに、それを解決するには「自らのタネで次世代が育つほどの生命力を持つ品種」の存在がカギになって来る。


と言う訳なのです。


🌑なぜ自ら種を残せなくなるのか🌑

この現象を説明するにあたり、まずは前提として。


これまで当プロジェクトでは事ある毎に、「現代の作物は根本的な生命力がスポイルされている」との旨を述べている。


これはメンデルの法則により、一定以上まで交配を重ねた品種の子孫は分離したり劣化したりしてしまうだけでなく、更にその子孫のタネは全く生えて来ないか、生えてもすぐに枯れてしまうなどの機能不全を起こすデメリットが最たる例である。

即ち、ズバリ言ってしまえば「現代の作物は自ら繁殖出来ず次世代を残せない性質」でもあるのだが、無論これは菜園を営む方々にとっては既に知られた話ではあろう。



では、「なぜ次世代を残せなくなるのか」の理由についても端的に述べておくと、生物は進化すればするほど「その体や生活を維持する為に更に資源が必要になる」から。


である。



これを作物に置き換えると、「より大きく栄養価が高く育つ」と言う事は、「相応の土地と養分と労力が必要になる」事をも意味してくる。


となると必然的に、「進化するほど資源が不足する」事になり、やがてその場の環境内だけでは生育を賄えない事態にも陥ってしまう。
あるいは、その資源を得るために同種間で競合関係になった挙げ句、共倒れしかねないばかりか、異種間でも奪い合いを始めかねない。


つまり、それら資源の消耗を防ぐ為に、遺伝子が強制的にリセットスイッチを入力して、わざと「次世代は生き残り難い性質」に劣化や先祖返りさせる事で、その種の勢いにリミッターをかけているのだ。

これが即ち、次世代が残せなくなるメカニズムの本質的な要因だと考えられる。



更に付け加えると、近代の品種は「甘味や旨味」を強化した引き換えに、果実(タネ)を守る為に備えていたはずの「苦味・酸味・渋味」などの毒素を失い、そもそもの抵抗力が低い性質ともなっている。


これは言うなれば、表向きのクオリティとは逆に「弱く進化した」とも表現できるのだが、当然、そのままの性質では外敵に狙われやすく、常に病害虫の被害に苛まれる事にもなる。

それ故、進化するほど栽培には手間がかかるだけでなく、生育から結実に至る「全ての面倒」を見る必要があるのだ。



となると、ますます自らの力で子孫を残せる確率が低まるだけでなく、そもそも人の手を借りねば生存すら危うくなってしまう。
このままでは、いずれどこかのタイミングで「元通り」にしないと、何かしらの切っ掛けで種族全体が滅ぶ展開ともなりかねない。


その様な状況で仮にタネから子孫が生まれる場合、異変を察知した遺伝子は手遅れになる前にリセットスイッチを入力する事で、強制的に反動を弱めようと動き出す。

これが結果として劣化などにより一時的に次世代の生命力がスポイルされたとしても、あげく全体的な個体数の減少が起きたとしても、それら犠牲の果てに「自主的に育つ個体」が生まれる事で、種の生存能力の低下に歯止めをかけようとしている。


これを例えて言うなら、猛スピードで「進化」と言う道を飛ばしている車(種族)に急ブレーキをかけて、一気に反動が返っている状態。
しかも、それで多少スピンしようが一部がクラッシュしようが、それ以上に加速を続けて周りを巻き込む様な大惨事を起こすよりはマシ。

みたいな話である。



つまり、ここで言う劣化や先祖返りとは、その環境内で「継続的に生存する」為の重要な意味がある。

これ以上に進化し過ぎて資源を食い潰さない為に、人の手に依存しすぎて生命力が弱くならない為に、そして種を存続させる為には必要であり、必然的な措置と言う訳なのだ。

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この様に、進化するにも代償が伴うし、行き過ぎるほど戻る時の「反動」が強まってしまう。
だからこそ、その前に歪みを矯正する必要があるものと考えられる。


その進化のアクセルを踏んでいるのが人間なのだとすれば、そこにブレーキをかけるのもまた人間なのかも知れません。


🌑純粋培養するほど生命力が低下する🌑

あえて大袈裟に言ってしまえば、本来の自然界の法則に倣った環境下においては、人の手によりクローン化された作物や樹木と言うのは存在し得ないも同然の姿なのが実情である。

何故なら自然に生育している場合、果実が成熟して、タネが落ち、そこから生えるものと生えないもので分かれ、そして育つか育たないかも分かれ、やがて「成体へと生き残れる個体だけが生き残る」残酷な世界でもあるからだ。


故に、それら「生存のプロセス」を飛ばして挿し木や接ぎ木で増やした植物とは、途中経過を端折る形で成体へと生育させている為、実際には「自然界の中で自然に生きていけない」個体が相当数存在している事にもなるだろう。

確かに、同質の個体をクローン化した方が様々な面で安定するが、それら植物は生育上の大半を人の手に依存しているので、そうなるほど生命力としては弱いものになる。

いわば、「純粋培養すぎて外の世界を知らない人」みたいな話なのだ。



その様な個体が本質的な抵抗力や免疫力を獲得出来ないまま、しかも生存のプロセスを抜きに進化を続けてしまう以上、まともに子孫を残せないのも病害虫に食われやすくなるのも当然の流れ。

しかも、度重なる純粋培養により自然界では生存し難い為、タネがリセットされやすく繁殖出来ない性質にもなっているので、自らの力では種を維持出来ない。


あえてハッキリ言ってしまえば、「進化し過ぎて次世代を残せない作物(果樹)とは、その代で種族が終わり」と言う意味でもあるのです。

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これを逆に言えば、「最初からタネで育ち成体にまで成長する」事こそが、本来の意味で生存するに適した個体の証明。


と言う事でもある。


何故なら、それら個体は成長過程において「病害虫に対する抵抗力」であるとか、あるいは「環境に適応した性質」を獲得したからこそ成長した事になり、それだけ生命力も強い。

即ち、この一連のプロセスを経てこそ、ようやく「自らのタネで継続的に子孫を残せる個体」の基盤となる訳です。


🌑植物の個性を増やせば対応の幅が広がる🌑

では、上記までを踏まえ、本題の「実生で作物や果樹を育てる」話に戻そう。


この記事の冒頭、そして一連のシリーズにおいては、「実生では次世代の性質がバラつき生育が安定しない」との旨を記している。

となれば必然的に、やはり食べ蒔きだの実生だのでは育つ確率が低すぎて、やる意味すら無いと言うのも強ち間違いではありません。



しかし、生命は「種の保存」と言う本能を根源に備えており、生まれたものは自らの子孫を残すべく、何かしら「形」を残そうとするもの。

それが仮に、どんなに貧弱で、頼りなく、短命でもである。



確かに、先の項目において「次世代を残せない作物(果樹)とは、その代で種族が終わり」との旨を記してはいた。
だが、本当に子孫を残せないのでは、本当に絶滅する事態にも陥りかねない。

逆に言えば、それを防ごうと「生き残りのスイッチ」が、何かしらの切っ掛けにより発動するものと考えられるのだ。


その証拠に当シリーズでは、「どの作物も劣化し矮小化していても開花や結実を試みようとする」現象を度々観測している。

例えば今期のトマトは、どんなに背丈が低く貧弱であろうと、成長率の高い株と同時期に開花し結実をしていた。
また同じく、矮小化したカボチャやメロンも結実までは行かずとも、大半は開花までしていた。


この現象はつまり、表面上は生存に適していなさそうであっても、実際は「限界まで生きようと試みた」と言う事。
そして、「どうあれ子孫を残そうと試みた」表れでもある。

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それを踏まえた上で結論を述べておくと、この食べ蒔きや実生を試み続けた先々において、「自ら生育し子孫を残せる個体」が出現するものと考えている。

勿論、それには土壌や気候など、特定の条件が揃ったシチュエーションでないと発現しないパターンもあるに違いない。


しかし、それら作物の先祖にまで遡れば、過去の環境変化を乗り越えて来た品種が存在する以上、出現の可能性は僅かであれ確かに存在する事になる。

いわば突然変異の様なものであるが、この「種の保存」に従うならば、諸々の遺伝子のリミッターやリセットスイッチを乗り越え、本当の意味で適応したもの、即ち「新種」が誕生するはずなのだ。



この新種のバリエーションこそが、環境変化に対応する為のカギとなる。


何故なら、これら新種は先の項目で述べた「成長のプロセス」を乗り越えたからこそ、生存に必要な生命力や免疫力を獲得し、やがて成体へと完成した個体である。

これを拡大解釈するならば、いわゆる自然な形で生まれた新種が各地で誕生した時、それだけ個性が増えて「対応力」の幅が広がった事も意味する。

言い換えれば、「現代もしくは先の時代に対応した品種のベース」が幾つも存在する事になり、しかも自ら育つ力が強いぶん、移植先の気候に耐えうるほどの融通まで利く様にもなるだろう。


それに付け加えて、このプロセスで生育した植物はタネも強い傾向になると考えられ、その後も実生で同様のクオリティを再現出来る可能性が高くなる。
仮に挿し木や接ぎ木などでクローン化しても、まだ免疫力がフレッシュな状態なので、その強さは数世代まで継続するかも知れない。

このサイクルが循環する事で、不測の事態による大量絶滅を防ぎ、安定して種を継続して行く事も夢では無いのである。

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更にこれは推測だが、恐らく植物自身も「この事実に気付いている」可能性が高い。


例えば実例として、植物は病害虫の被害を受けた場合に特殊な「匂い」を発生させて仲間に知らせ、その危機を脱すべく免疫力を強化する事が最近の研究でも明らかになりつつある。
また逆に、花粉を媒介させる為に、あるいは食虫植物ならば食べる為に、フェロモンなどで昆虫を誘き寄せる事は既に周知の通り。

これらの現象はまさしく、植物は「周辺の環境に自覚的」であるからこそ、「それに対応すべく機能を変化させてきた」とも捉えられる。


とすれば、「自分の周囲に自分のタネから育った子孫が居ない」事を察知し、「もしや何らか機能不全を起こしているのではないか?」と、その状況を客観的に捉える事も可能になるはずだ。

それを防ぐ為、この状況を遺伝子が緊急事態として認識したとすれば、新たな種を生むスイッチを入れる可能性は有りうる。


あとは、そのスイッチが入力されたタネや個体を如何に探し当てて、成体まで生育させられるかが課題となるだろう。


🌑実生で育つ中から希望が芽生える🌑

ただし、仮に上記の仮説が正しかったとしても、それで本当に新しい個体が出現するかどうかは、非常に難しいものとならざるを得ないと考えられる。


何しろ劣化や先祖返りを起こす事が解っていながら手当たり次第にタネを蒔いたとて、そこから発芽し成長、そして実を付ける個体となる確率は低いものとなろうし、そこへ到達するまでに膨大な時間も必要になってしまう。

それこそ品種によっては、成功率で言えば数百分の一、いや数千分に一個と言う大変低い確率となるものと予想される。
ましてや、「人間が食べられるクオリティ」で限定してしまえば、更に難しいものとなるだろう。


先述の様に、自然に生えて来ると言う事は、自然と厳しい環境下に置かれる事でもあるので、それだけ生存のプレッシャーが高くなる。

要するに、現代の「リセットされやすい性質のタネ」から生まれた個体の殆どは、まともに生き残れないし実を付ける事も能わない可能性が高いのだ。

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しかし、しかしです。


だからこそ、このメカニズムが分っている現段階から試す事で、それが出現する確率を早める事も、あるいは高める事も可能となって来ます。


特に現在、各地では耕作放棄地、管理者不在の里山、今は空地となったスペースが増加している様に、実際に有効活用が出来る場は幾らでも存在する。

例えば、これらの場を市民などの共有地にして、いわば「貸し農園」の様な形でも利用して貰い、様々な品種のタネを埋めておく等の利用方法が考えられる。

つまり、既存の農園や農家のスペースを借りずとも、それらオープン化された場において皆で検証する様な形になれば、そこから「イケてる品種」が出現する確率が飛躍的に向上する訳です。


上記と似た話は、以前にも記した通りであります。
culrides.hatenablog.com

culrides.hatenablog.com


しかし、こうなると「だったら最初から固定品種を使った方が早いじゃないか」、と思われる向きもあろうかと思う。


勿論、その方が効率的かつ理想的な線であるし、既に実績のある品種から始めた方が遥かに成功率が高いであろう事も間違いありません。

いや、本来なら、そうあるべき「だった」はずです。



だが、現在においては固定品種の果樹を保有している農家は激減しており、しかも高齢化で管理が出来なくなり切り倒されてしまう例も数多く存在する。

特に近年は品種改良が進んだ事もあって、代々受け継がれて来たはずの旧い品種は「味や収量が劣る」扱いを受けて見向きもされなくなってしまい、ひっそりと姿を消して行く流れが加速化しつつもある。

故に、これら旧い品種は、今となっては民家の庭木として植わっているだけのパターンもあり、現役で生育する個体としても、そして入手の方法も限られているのが現状。


つまり、いくら繁殖させようにも絶対数が足りないのだ。

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だからこそ、その絶対数を増やす意味でも、あらゆるタネを試して様々なバリエーションを模索し、各地の気候や病害虫に対応した「ご当地品種」を。

あるいは、一般家庭から誕生した「自家製」などで個性を多様化すれば、今後の環境変化に対しても幅広いフォローが可能になると言う寸法なのだ。


とどのつまり、この実生と言う非効率な試みの先に、いずれ「それが出来るヤツ」が誕生すれば、それこそが即ち「希望のタネ」になるのであります。


🌑ここまでクドく話すワケ🌑

さて、以上が概要と言うか概念となる訳ですが、如何に思われたでしょうか。

ここまで長々とクドクド同じ様な話ばかり続けたのは、それだけ喫緊の課題である様に思えてならないからでもあります。



無論、この記事は「クローンはダメ」であるとか「実生が強い」などと短絡的に断じる為の話ではありません。

何せ、市場の農産物はクローン株があるからこそ安定した流通があり、我々も恩恵を受けられる。
また、仮に実生で成功したとしても、その収量や寿命などには不明点が多く、全く先が読めないのが実情でもあります。


要するに、どちらかに偏るからバランスがおかしくなると言うだけの話。
どちらも存在していなければ、これら植物そして人間も、お互いが成立し得ない仕組みなのです。



この食べ蒔きプロジェクトを通して解る事としては、今現在の農作物の全てを他者に依存し過ぎている様な。
そしてもし、それらが気候変動で被害を受けたり、あるいは農家が一つでも消えてしまえば、その分だけ食糧自給率が下がってしまう様な。
そんな現代の作物が置かれた姿から、まるで人間社会の現状も露になる様な。

これら現象の本質的な原理は相互関係にあって、全て一つに繋がっているのだと感じられるシーンが幾つもありました。


そして、一連の記事をシリーズ化して公開しているのは、それら実例を基にして、読者の皆様でも検証する際の参考になれればとの想いからでもあります。


たとえ実生では上手く行かない可能性が高いとしても、実際に結果が振るわなくとも、これをフィードバックする形で更に良い方法を思い付く人が現れるかも知れない。
あるいは、同じ様な試みが各地で行われる事で、画期的な発見がなされるかも知れない。

そういった試行錯誤の果てに、やがて総合的な意味で食糧自給率さえ向上させる事も不可能な話ではありません。



勿論、いきなり菜園を始めようにも要領は得ないし、それなりに手間がかかるもの。
それこそ本格的にとなれば、相応のプレッシャーだってかかる事でしょう。

ただ、普段の仕事や家事の隙間を縫う形であれ、小さく一つづつ始める事で、次第に感覚が掴めて来るのも確かです。


なので、この記事の結論としては「何でも良いから取りあえずタネを埋めてみる」と言う、ライトな感覚で試すのをオススメしておきたい所。

まさに「生えればラッキー食べられたらオッケー」位のノリで、身近にある品種のタネを試してみては如何かなぁと。


そこで色々と試す中から、いずれ「コレはイケてる!」と言う個体が出てくるはずです。

つまる所、この「イケてるヤツ」の事例が沢山集まれば、先々で非常に大きな恩恵をもたらす事になるやも知れないのです。

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そんな訳で、先ずは先入観抜きに食べ蒔きなり実生なりで、果樹や作物を生やしてみては如何でしょうか?

案外、生えただけでも愛着が湧きますし、観察する間に思いがけない発見した時などは、妙な高揚感を覚えるもの。



案外、その発見が「善いタネ」になるかも知れませんよ。



では、また、CUL。

食べ蒔き番外編 実生の梅

さて、前々回は食べ蒔き、即ち実生による果樹の概要を。
culrides.hatenablog.com


そして前回は実生のアボカドについて、その発芽手順を記しました。
culrides.hatenablog.com


そんな今回は、梅の発芽と苗木に纏わる話を綴って参りましょう。



ただし、今回の梅に関しては、あまり画像を残していなかった為、この記事では当時の記憶に基づいた「話」が中心となります。

また、現状においては開花や結実にまで至っていないので、この点についての評価は不可能。


従って、あくまで発芽から苗までの段階に限定して話を進めて参ります。


では、いざ。


🌑梅の発芽は難しくない🌑

先ず結論から言うと、実生で梅を発芽させる事は「可能」。

その手順自体に難しい点など何も無く、単純にタネを埋めれば生えるものと考えて良いでしょう。
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して今回、当プロジェクトで生えた個体の大半は「果肉そのまま」で、丸ごと土に埋めている。

また埋めた時期としても、初夏に黄色く熟していた果実を発見次第、リアルタイムで埋めただけ。
いわば「ポン埋め」した訳だが、それで何をせずとも翌年の春には一斉に発芽。


世評では、「果肉を剥いてタネを取り出し、よく洗ってから来春まで冷蔵庫で保存する」との手法が推奨されているが、今回の話に限って言えば無視しても全く問題無かったのが事実である。

要するに、果実丸ごと埋めっぱなしの放置プレイでも、約一年経ってから自動的に生えて来たのだ。



個人的な感想としては、埋めた当初は世評による先入観から本当に生えて来るのか懐疑的であったし、確かに一年間は「何も起きなかった」ので半ば忘れかけていた部分がある。

それが翌年、本当に一斉に発芽したものだから、まさかの展開。
しかも雑草むしりの時に偶然、あちこちから生えているのに気付いて念のためポットに移し替えたほど。

発芽初期の画像が無い理由は、もともとジョーク半分で試したのと、発芽したものが本当に梅なのか確信が持てなかったからなのです。


この事から、諦めずに「果報は寝て待て」方式でも、見守りを継続するのが重要なのだなと思った次第であります。



して、これらが上記の方法で発芽した苗木の一部である。
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いまいち判別し難い画像になってしまったが、これらの苗木は昨年度の初夏に埋めてから、今年の春になり一斉に発芽したもの。
更に、上記以外にも合計すれば十数個の発芽を確認している。


その成長スピードは思いのほか早く、現状までの背丈は最大で60cmほど。
平均すれば、大体40cm前後のサイズになっている。

つまり、発芽から約半年で「苗木」になるべく急成長を遂げていたのだ。



では、もう少し詳しく見ていこう。


画像右下の白いポットは、当プロジェクト内で最大寸の個体。
他の株より頭二つ以上飛び抜けて伸びているのが解るかと思います。
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これは発芽当初から成長率が高く、ポットに植え替えてから地面に触れる形で置いていた所、気付いたら地中深く根を張ってしまっていた。
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ご覧の様に、たった数ヵ月の間に結構な長さまで伸びている事が判る。

ここまで来ると、ポットから抜き出すのも一苦労となるので、出来れば早めの植え替えが吉と言えましょう。



こちらは、植え替えの際に誤って先端をポキッと折ってしまい、図らずも摘芯した形となって幹が二又に分かれた個体。
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先端を折ってからは早い段階で回復を遂げており、根もしっかり張っているしで状態自体は悪くない。
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更に、その先端部を挿し木した個体も存在している。
画像では虫食い状態だが、一応ちゃんと根は回復していて、ポット内に張られた形となっていた。
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さて、梅の発芽手順については、この程度のボリュームで済んでしまう程度。
それだけ簡単だった事が伝わるのでは無いかと思います。


しかし、だからと言って丸っきり無事に生育する訳では無く、発芽させる為にも「小さなコツ」が存在しますし、幾つか問題点が発生した事例も御座います。


従って、ここからは注意点についても記して行きましょう。


🌑タネは「地植え」がベター🌑

先ずお断りしておきたい点として、今回の記事で紹介している梅は全て「地植え」によって発芽した個体である事。

むしろ、地植えじゃないと「まともに発芽しないし育たない確率が高い」とさえ言って良いかも知れません。


前回のアボカドに倣うと、地植えでなければ「生命力のスイッチ」が入り難い様子であり、それが梅では顕著に顕れた形となっていました。

従って今回の画像にある個体は全て、地植えで発芽したものから順次ポットへと移し替えた後の画となっている。



更に言うと、実はポットに埋めて試した個体も存在するのだけど、それらは確かに一年後に発芽したものの、何故か殆ど成長せず、いつの間にか枯れて無くなっていた。

その一方、今回の「地植え個体」は生存率が高く、また成長率も良好な状況である。

この事から、ポットか地植えかにするかで、何らか植物やタネに与える力が大きく変わり、その後の成長をも左右している可能性があるのだ。


この要因について考察するに、恐らくポットでは微生物の出す酵素や土壌の養分などが決定的に不足し、それに連動する形で生命力がスポイルされてしまう為だと考えられる。


無論、これは過去に何度も同じ話を繰り広げているのだけど、もう一つ付随して重要な要素も判明している。



それは、「ポットでも発芽する」植物と、「ポットでは発芽し難い」植物が存在すると言う事。


言い換えれば、ポットでも生育を維持出来る品種と、ポットでは維持し難い品種が存在するらしい。


と言う意味でもあります。



その理由として、前回のアボカドは「ポット(プランター)でも生える」植物でしたが、結果的に「ポットでは地植えより生育が劣る」との検証記録を得ていたからでもある。

それを踏まえて今回の梅に関して言えば、「ポットでは生えない事もない」植物となり、そして「ポットよりは地植えの方が遥かに生命力が高い」との結論が導かれる事となります。



上記の現象を鑑みると、いわゆる世評における「まともに生えて来ない」とされる言説の根本には、実際のところ「タネを蒔いた場所の環境が合っていなかったから」と言う状況が浮かび上がって来る。

つまり、あえて言うならば「埋めた場所」や「育てる場所」を間違えていたが為に、「ちゃんと生育しない」と言う誤解に繋がっているパターンが多く存在するものと考えられる訳です。



もっとも、食べ蒔きで「ちゃんと育てる」人などレアケースである事を思えば、これまで正確に検証されて来なかったのも無理からぬ話ではあります。

いずれにせよ、今回の梅に関して言えば「地植え」の方に分があり、そして「環境さえ合っていれば普通に生える」と言うのが当プロジェクトでの結論となります。


🌑ちゃんと生育して実るかは別問題🌑

ただし、上記の方法で生えたとしても、ある重要な課題が残されてしまいます。


即ち、そこから生育を続け、そして果実が実るかについては全くの未知数である事。


言ってしまえば、「結果的に実らない」可能性についても念頭に置かねばならないのです。



実際、当プロジェクトの作物を例にすれば、いわゆる「元々の品種」と比べて果実が矮小化したり、あるいは上手く結実しないと言った現象が幾つも確認されている。

となれば同じ植物である以上、梅などの果樹にも全く同様の現象が当てはまる事になり、先々において結果が「どちらに出るか」は、殆どギャンブル状態ともなってしまいます。


また更に、実生で育てたと思われる果樹を観察した時に、そこで実った果実がやけに矮小化している例が多い点からしても、食べられる様なクオリティを実現出来るかどうかは、かなり難しい事が解ります。

その意味では、世評における「まともに結実しない」との言説は正しく、そして高確率で当てはまるものと言えましょう。



この他の問題点としては、そもそも「実生では貧弱な株」となる傾向が強く出てしまう事。


即ち、根本的な生命力が足りず、その成長率が低かったり、あるいは病害虫に弱かったりと言った性質が、ことのほか強く出てしまう場合も多いのです。
当然ながら、それは先々で様々なトラブルの要因となってしまうであろう事も意味します。


正直な話をすると、冒頭の話では「十数個の発芽に成功した」と述べてはいるが、現状で生育を続けているのは僅か数個ほどと、発芽当初から激減している。
そう、高確率で発芽はしたものの、それらの大部分が既に枯れているか、株としては機能しなくなっているのです。



現状までに当プロジェクトで発生した事例としては、以下の苗が該当する。


ご覧の様に、何故か葉が全て落ちてしまっている。
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これらは全て、今回の記事にある梅と同時期に発芽し、そして同じ環境で生育していたものなのだが、この落葉している方は割りと早い段階から、概ね盛夏を過ぎる頃から落葉が本格化し、現在の姿に至っている。

つまり、「何をせずとも生育していた株」と、方や「何もしていないのに落葉してしまった株」とで、大きく個体差が出ているのだ。



ただし、いくら枯れてしまったとしても、それで完全に生命活動を停止していると断定される訳ではありません。

その不調が単なる体力差による違いが顕れただけなのか、あるいは今の環境が合っていないだけなのか、それ次第で対処法も変わりますし、色々と改善の余地もあるはずです。
何なら、しれっと次の春には復活する可能性すら有り得るでしょう。

なので、いくら表向き枯れていたとしても「まだ生きている」確率は高いので、諦めず世話を継続してみる事をオススメしておきます。



しかしながら、仮に現状で生育していたとしても、枯れやすいと言う時点で生命力が低いであろう事には変わりません。
今後の状況次第では、同様の症状が出るリスクが残ってしまいます。

この点においても、「まともに育たない」との世評を裏付けるものとなり、やはり実生では「生育」と「結実」との両立が如何に難しいかを実感する所。

それを解決する意味で、市場では「挿し木」や「接ぎ木」によるクローン栽培が主流とならざるを得ない訳です。


従って、この食べ蒔きにおける梅、いや果樹の全般においては「生えたらオッケー、食べられればラッキー」くらいの軽いノリで行うのが吉と言えなくもないのが実情だったりします。



とまぁ、ここまでが当プロジェクトでの事例を基にした所見となります。


個人的には、ちゃんと生育するか実るかは別として、とりあえず幾つか試行した中から、いずれ「イケてるヤツ」が現れるものと考えている。

それは当プロジェクトにおける作物を例にすれば、確かに収穫まで実現した個体が存在した点からしても、有り得ない話ではありません。



とにもかくにも、先ずはタネを埋めてみましょう。

何にしたって、やってみれば新たな事実が解る事も多いですからね。


そうお伝えしたかったので御座います。



では、また、CUL。

食べ蒔き番外編 実生のアボカド

さて、前回は実生の果樹についての概要と、実際に生えてきた品種の一例を披露致しました。
culrides.hatenablog.com


そんな今回は実践編として、どの様な手順で発芽させたのか。


比較的に容易な成功率だったアボカドを例に、これまでに実践した一連のフローを記して参ります。


では、いざ。


🌑アボカドの発芽手順🌑

ハッキリ言って、アボカドの発芽は超簡単。

もはや単純に、「タネを埋めておけば3ヶ月~半年以内には生える」ものと考えて良いくらいです。
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他に強いて言えば、南米の様に暑い環境で生きている植物なので、春から秋までに発芽させる事を意識すれば、より成功率が高まるでしょう。

また、仮に秋や冬にタネを埋めたとしても、翌年の春頃から発芽する確率が高いので、諦めず管理を維持し続けるのが吉です。



では、当プロジェクト内での具体例を、時系列で記してみよう。



先ず、タネは「食べた次の日」くらいの期間で、取り出してから直ぐに埋めている。
大きさに関しては、丸くボリュームのある物の方が発芽率が高く、また成長率も高い傾向にあった。
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正直、品種名などは全く把握しておらず、一般的なスーパーで何処にでもある様な物をランダムに使用していたが、その発芽率に大した違いは無い様である。

逆に、極度にショボめな小さいタネのアボカドでは全く生えて来ないか、生えても貧弱な傾向にあった。
やはり、ここでも「イケてるタネ」のセオリーに従う方が成功率も高まる事になるのでしょう。



ちなみにタネの扱いに関して、世評では「表面に付着している果肉をキレイに洗い落としてから埋める」との解説が主流である。

ただ、当プロジェクトに限った話で言えば、殆ど洗わず果肉から取り出した姿のまんま埋めても普通に生える様子を確認しているので、あまり神経質に扱わなくても大丈夫な印象です。


この理由としては微生物の分解能力が絡んでいて、埋める場所の環境しだいで差があるものと考えられる。
もっとも、確かに土壌によっては逆に腐敗や病害虫が発生する要因ともなるので、洗った方が無難とは言えます。



でもって、準備出来たらプランター(鉢)の土に埋めておくだけ。
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いや、やる事と言えば本当にこれだけなのだが、もう少し補足しておくと、どちらかと言えばポットの様な狭い空間よりも「大きいプランター」か「直播き」にした方が、発芽率や成長率が高まる印象であった。


この要因として、植物は生えた場所のスペースに合わせて成長率が決まる傾向にあるので、「狭い場所では小さく」、「広い場所では大きく」となるのは当然の成り行きである。

それにプラスして、直播きの様に「より自然に近く微生物の多様性がある環境」に置かれるほど、それら生物の出す酵素などの働きによって、発芽のスイッチが入りやすくなる為だと考えられる。
そしてこれは果樹のみならず、全ての作物の発芽において共通していた法則でもあります。


先述した「洗わなくても大丈夫」との話は、直播きの方が多様な微生物により果肉が分解されやすいからでもある訳ですな。



ちなみに、この様に直播きで生えている場合は、発芽したら出来るだけ早い段階でプランターへ移し替える必要があります。
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何故なら、あまり長期間放置すると根を張って掘り出すのに難儀するだけでなく、思った以上に深くメリ込んでいる場合があるからです。


当然ながら、根を張るほど移植が困難になってしまいます。
また、移し替えの際は根をキズ付けない様、ゆっくり慎重に行おう。



さて、上記のタネ蒔きは今年の春、4月上旬に行われたものである。

そこから暫し、気が付いた時に水をやる程度に世話をしつつ、約二ヶ月半が経過した6月下旬になり、変化が顕れ始めます。



パッと見、この画像では何ら変化が無い様に思えるが、実はプランター中央に「兆し」が顔を出している。
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これを近接撮影してみると、小さくピンク色の芽らしきものがヒョッコリはん。
そう、発芽していたんですねぇ。
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試しにプランターを裏返すと、既に根が地中まで到達していた。
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これ以上伸びると、抜き取る時に根が折れてしまう事に繋がるので、そうなる前に一旦取り出しておく。
と言うか実は、この撮影時点で軽く先端がポッキリ折れたと言う…。


重ねて言いますが、こういった苗木の根は柔らかく簡単に折れてしまうので、取り扱いには要注意です。



取り出すと、タネはパックリと割れ、この短期間で意外なほど成長していた事が解る。
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まだ芽は頼りないが、順当に行けば、このまま苗へと成長してくれる事だろう。
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冒頭でも記した様に、アボカドは発芽率のほか、実生で生やす果樹の中では割りと成長率も生命力も高い傾向にある様で、これまで生えた苗は基本的に全て生存してくれている。

その意味では、実生での栽培における練習台として最適な樹木と言えるかも知れません。



一通り状態を確認したら、改めてプランターに戻す。
移し替えるプランターは一回り大きいサイズを選ぶのがセオリーだが、無ければ今までと同じもので間に合わせても大丈夫でしょう。
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その際、根が折れない程度に曲げてやり、プランター内側に収まる様にしておくのも一手。
こうする事で、底から根が飛び出るのを予防する効果もあります。

ただし、これでも地面に置いた場合、いずれ底の水抜き穴を通して地中深く張ってしまい、やがて移動させられない状態となるので注意が必要。


まぁ、本来なら大きいプランターに替えるか「地植え」にすべきなのだけど、現代の住宅事情ではスペース的な問題も起こりがち。
応急措置ではあれ、こうしておけば一先ずの生育は維持出来ます。



でもって、そこから更に時が進んで、今年の11月上旬頃には以下の姿へと変貌を遂げる。


はい、今では立派な苗木と評せるサイズまでに成長。
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根も更に発達し、地表から飛び出ている箇所もチラホラ。
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一連をご覧の通り、4月上旬のタネ蒔きから約半年で、急速に伸びた事が分かるはず。
ここまで成長してくれれば、後は安定した生育を維持出来るものと考えられます。



さて、上記までが発芽フローとなる。


現段階までに行った管理手法としては、プランターの土が乾いた時に水を与えただけ。
それこそ、殆ど放置プレイで自動的に生育を維持していたほど。

なので、地植えの場合は雨水だけで生育を賄えるものと考えられ、実際このプランター以外の地植えした苗も問題なく生存している姿を確認済みである。


また、実際の発芽率においては「直播き」、即ち地植えの方に分がある事は先述した通りで、そちらで生えた個体の方がプランターに移し換えて以降の成長率も高い傾向にありました。

この現象から、やはりプランターでは狭い分だけ伸び率に限界があるだけでなく、自然由来の有機物など諸々の養分が不足するなど、成長する為の要素が決定的に足らなくなってしまう事は間違いないのでしょう。


従って、もし植えるスペースに余裕のある環境なのであれば、そちらで育てた方がよりベターな生育を維持出来るのではないかと思います。



そんな訳でして、やるだけなら超イージー

みんなも試しにやってみよう、Let'sアボカ道!




おまけシリーズ。



今回、幾つか生えたアボカドの中で、奇跡の復活を遂げた一本。
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実の所この苗は、地植えからポットに移し替えようと土から抜き取る際に、根っ子をボッキリ折るアクシデントに見舞われた個体である。


当初、メインとなる一番太い根が殆ど失われてしまった為、もはや生存は絶望的かと思われた。

一応、ダメ元でポットへ植えておき様子を伺っていたが、当然の如く以降は急激に枯れと衰弱が進み、結果として全体が落葉する事態に。


その姿は単なる「棒」が立っているだけの絵面であり、完全な丸裸も同然。
普通に考えれば、廃棄も検討されるほどだった。



それ以降は何も起こらず、暫くの間は放置したまま気が向いた程度に水を与えていただけなのだが、やがて数ヵ月が経とうという頃になり変化が顕れる。


それが、この「脇芽」から再生している姿だったのだ。
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これには自分でも驚きの展開。
てっきり枯れたとばかり思っていたけど、諦めずに世話を続けてみるものだなぁと思ったものです。


この要因は恐らく、「メイン」となる根は失われたものの「予備」となる脇芽の根は生きていたからこそ、この様な形で復活したのかも知れない。


従って、もし皆様の中で「もう枯れた」と思い込むほどの樹木があるとしたら、出来る限り世話を継続してみるのをオススメしておきたい所。

環境や手法を変えるだけで、もしかしたらイキナリ復活する事があるかも知れませんよ。



そんな訳で、次回は梅の発芽について触れてみます。



では、また、CUL。

食べ蒔き番外編・実生の果樹

さて、今期の経過報告が一段落している間に、ちょいと別の話題をお送り致そうかと思います。



それが表題の通り、「実生の果樹」について。


つまり、タネを埋めて樹木を生やしてみた。



と言う話であります。


これにあたり当プロジェクトでは如何なる検証を行っていたのか、その観察結果を記して参りましょう。


では、いざ。


🌑果樹は実生でも生える🌑

先ず結論から言うと、食べ蒔き即ち実生により果樹を生やす事は「可能」。


その一部については、先日の記事にも記した通りであります。
culrides.hatenablog.com



ただし、当プロジェクトにて発芽させた株は現状において、いまだ開花や結実とは程遠い苗木であり、「ちゃんと実るか」についての評価は不可能。

また、一般的な評価では「ちゃんと実らない」し、「食べられるクオリティにはならない」と言われている様に、恐らくは高確率で該当してしまうものと考えられます。

それは当プロジェクトでの作物を参照しても、概ね予想がつく所でありましょう。


故に、仮に実ったとしても味や品質については不明なままなので、ここでの記述は除外する事をお断りせねばなりません。

従って、今回の記事では「何と言う樹木がどうやって生えたか」に関して、その事例と手法にフォーカスしながら記して行きます。



では改めて具体例を述べておくと、ここ数年の間にアボカド、柚子、甘夏、グレープフルーツ、レモン、梅、リンゴ、ナシ、カキなどなど複数の樹木のタネを埋めて来たが、概ね全て発芽させる事に成功している。

また、だいぶ過去の話ではあるが、ビワとクヌギもタネから生えて、数十年後には立派な姿になるまで成長してくれていた。

※ただし、ビワについては雌株だったらしく結実は未確認。またクヌギも未確認である。
その他、上記した中には品種が同定されていない個体や、発芽しても既に枯れてしまった個体も含まれています。



して、それら実生にて生えた果樹について、現在でも生存している個体を一部抜粋してみよう。


品種は画像左から柑橘類(確か甘夏)、中央が梅、右側2本がアボカドとなる。
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上の画像は秋に入り撮り直したものなので、樹勢としては少し頼りないものになっているが、この春から夏までは青々と繁っていた。



基本的に埋めた時期はバラバラであるが、柑橘類と梅は前年(採種した年)の春から初夏に、そしてアボカドは年末にかけて埋め、概ね翌年の春には発芽している。
また、それぞれの株も数個以上あるなど、何だかんだ埋めたタネの殆どが生えてくれた。


特にアボカドの発芽力は強い様で、埋めたもの全てと言って良いほどの成功率だった。
むしろ、埋め過ぎるとアボカドだらけになりかねないほどである。
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同じく梅も、埋めたタネは高確率で発芽しており、合計すれば十数個の苗が揃うに至る。
本当は初夏までは青々と繁っていたのだけど、撮影が時期外れだったせいで色味が霞んでいます。
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世評の上で梅は、あまり発芽率は高くないと言われている様なのだが、当プロジェクトに限って言えば「そんな事もない」と言うのが実感。
苗木のクオリティは別として、生やすだけなら簡単とさえ言えます。

その具体的な手法に纏わる話は後日、改めて別記事に致します。



更に、この柑橘類に限って言えば、品種に関わらず高い発芽率であった印象。
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上の苗は確か甘夏であるが、こちらも相当な数が発芽し、管理が大変な事に。


と言うか、ユズだの何だの様々な品種を手当たり次第埋め過ぎたせいで、途中から見分けられ無くなっていた節さえあったりで。

いい加減な管理状態なのが申し訳ないのですけど、それだけ柑橘類が高い発芽率であった事だけは事実です。



トドメに、今回の果樹で生えた中で品種が不明だった一本。
多分、ナシかリンゴと思われるのだけど…。
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これらも一時期、手当たり次第あちこち埋めまくったので、結局どちらが生えて来たやらサッパリ。
どなたか判る方がいらっしゃいましたら、コメントを下さいますと幸いで御座います。
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ちなみに、これらは発芽率が極度に低く、相当な数を埋めた中から僅かに2本程度しか生えた姿を確認出来ていない。
その意味でリンゴとナシについては、今回の果樹の中でも殊更に「当たり判定」がシビアな印象。

故に、途中からヤケクソで埋めまくった経緯があったりで。



とまぁ、例示した果樹だけでも「生える」事だけは証明した形になっているかなと。


次回では、より具体的な発芽方法について記してみましょう。



では、また、CUL。

食べ蒔き二期生レポート 11月中旬・生育限界はどこだ

前回10下旬から飛んで、今回は11月中旬の様子。
culrides.hatenablog.com


何故飛ばしたかと言えば、例のごとく特にトピックらしい出来事が無かったからであります。



まぁ、何ら派手な動きなど無かったとしても、それとて全くの無意味では無く、観察をして行く間にも些細な変化を感じるし、そこから新たな閃きだって得るもの。

いわば生えているうちは全てが勉強みたいなもので、何も無いなら何も無いなりに何かを得ておきたいからこそ、何は無くとも記録だけはつけておこうかなと。
そんなスタンスで記しているので御座います。



さて、この文中で何回「何」と「無」と言う漢字が出て来たでしょうか?


などと無駄な脳トレを挟みつつ、如何なる状況なのか。


では、いざ。


🌑11月中旬・生育限界はどこだ🌑

既に畑のウリ科は終了しており、現段階では雑草が繁るのみ。
強いて言えば、それら作物の根が植わっているだけで、株の名残りが地表に顔を出している程度である。



その様な現状で生育を続けているのが、例のトマトたち。
昨年度と全く同じく、この時期まで生き残る展開となった。
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とりあえず「直播きトマト」の方は開花を継続していて、一定の結実率を維持している。
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昨年度と比較すれば数量的に及ぶべくも無いにせよ、こうして実りを迎えた姿を間近に感じられるのは、まさしく家庭菜園の醍醐味と言えましょう。
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相変わらずヒョロ長い株なので頼り無さげではあるが、それでも生命力を発揮せんとする姿に妙なガッツと言うか、作物の潜在力を感じるところ。
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脇芽も青く、まだ元気そうだ。
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一応、「初期にポットで育苗していた方」も、辛うじて生存している。
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ただ、コチラはもはや自立するほどの力は残されておらず、また支柱立てした所で焼け石に水
前回の時点で、まともに実を付ける個体でない事は確定している。

そんな今は余計な手を加えず、静かな余生を過ごさせている状況である。



しかしながら、生育しているとは言え、既にかなり時期遅れ感は否めないのが実情。
仮に株は元気だとしても、このまま低気温に晒されていては果実の成熟など難しいものとなろう。

事実、昨年度は12月下旬で実質的な生育限界を迎えており、それまでに結実していた果実の成熟に間に合わなかった経緯がある。

この前例を鑑みれば、ハッキリ言って今後の収穫には期待を持てそうにない。



ちなみに、この果実の成熟に関して、昨年度のメロンとスイカにおいて「積算温度」が重要になると記した事がある。


例えばメロン・スイカの場合、結実(受粉)してからの気温が「およそ合計1000℃前後」に達する頃合いが成熟の目安とされているそうで、これは即ち、収穫するまでに相応の日照時間を必要とする事も意味している。

要するに、陽射しを沢山浴びて暖かさを規定水準まで「チャージ」しないと、果実は成熟しきらないのだ。


個人的には、同じ夏野菜であるトマトにも同様の生育条件が適用されると考えていて、こと路地栽培においては長い日照時間と適度な気温が重要になると結論づけている。

実際、トマトの成熟期間は長く、赤く色付くまで相当待たされる印象が強い。
特に昨年度の晩秋以降は成熟が一気に遅まり、せっかく結実した大量の果実もボトボト落果して行き、結局収穫出来ずじまいに終わっていた。

また、前途した成熟までの積算温度「合計1000℃」を適用した場合、秋の日中平均気温が20℃前後と仮定するとして、最低でも50日以上は必要となる計算となり、この時期における成熟スピードの遅さとも符合してくる。



上記を参考とするに、やはり早い時期から開花する様に生育させておき、結実したら出来うる限り長く日照時間を確保する事が必須なのだと再認識するところ。


言えば当たり前の話であるが、自然の気候に依存する栽培では、この影響が殊更に強く出てしまうからこそ、余計に「雑草のごとく生命力溢れるヤツ」が必要なのではないかなぁと思う部分ではある。
何しろ「ビニールハウスでしか育たないデリケートなヤツ」ばかりでは、ますます生育条件がシビアに狭まる事になりますからね。


いずれにせよ、あとはどれだけ日照時間を稼げるかが焦点になるのだが、既に冬の気配も漂う最中だけに、かなり厳しい展開が予想される昨今である。



その一方、前回までに終了しているはずのゴーヤであるが、まだ経過観察だけは継続していた。


が、当然のごとく更に枯れが進行しており、現状では全体の8~9割がた枯れている状態。
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強いて言えば、根回りから数十センチの範囲だけ青味が残されていて、「生命活動は完全には停止していない」と表現しうる様相である。



でもって、この時点までに残されていた、と言うか残していた果実がコレだったりして。
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と言っても、全長10cm強なので収穫するにも食用にも向かないサイズ感なのだけど、今時期まで果実が残されているのは、案外記録モノと考えられなくもなく。

その実の張り具合いからして、ここまで全体が枯れていても果実だけは限界まで養分を供給していたであろう様子が伺える。



実のところ、この果実は10月中旬に行った最後の収穫の直後(と言うか前後)に結実を確認したもの。
しかし、今の気候からして恐らくこれ以上の成長は望めそうにないのも現実。
culrides.hatenablog.com


その意味で、本来ならコレも「優先順位の高い果実」だったと考えられるし、それこそ全盛期や10月までであれば再び成熟するまでイケた可能性は高い。

あともう一歩、結実が早ければなぁ~。


まぁ、せっかく残っているのだし、何となく勿体ない気がしたので、このまま最期まで切り取らずに放置してみる事に。



ただ、この様に青味を残した果実はコレ1個のみであり、前回までに載せた他の「小さい未熟果」は軒並み乾燥しきっていた。
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うーん、もはやドライフルーツを越えて、ドライフラワーの如くパリパリ。
あるいは、インスタントラーメンのフリーズドライされた野菜みたいな質感である。


まぁ、本来なら、これが「時期相応」の姿なのだろう。
昨年度との結果とも併せて考えれば、ゴーヤの実質的な生育限界と言うか収穫可能ラインとしては「10月中旬~ギリギリ下旬まで」と言った所になる様だ。

無論、このラインは品種ごとに、そして時々の気候により前後するであろう事は言うまでもない。



ちなみに下の画像は、先述した10月中旬の記事でも触れた「今期もっとも遅く発芽した直播きの株」。
あれから地味に生育を続け、辛うじて水分も残していた。
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ただ、まだ青みが残されている状態とは言え、日ごとに枝葉も落ちて来て、だいぶハゲてしまっている。
さすがに限界は間近となろう。

まぁ、元々が貧弱な個体だった事を鑑みれば、むしろこの時期までよく頑張ってくれた方である事は間違いない。



かくして全体像を俯瞰すれば、その「根回りには青味が残されている」と先述した様に、いまだ水分を保持している部分がある事は特筆すべきポイントかも知れない。

もしや上手く行けば、その根だけを暖かな場所に移植すれば、また生えてくるんじゃないか。
そう思わせるほどの生命力だけは感じられるからだ。


実際、昨年度を例にすると、他の夏野菜であるカボチャやメロンは10月ごろまでに「根を含めて完全終了」を迎えていたが、ゴーヤだけは11月中旬まで根が生きていた。
しかも、何ら病害虫の被害も受けずに、である。

その意味で、これまで何度も述べている様に、ゴーヤは野性的な性質を色濃く残していて、他のウリ科作物より圧倒的に「生存する為の機能」が強く働いているのだろうと推察される所。


この事から前出のトマト同様、どんな作物も本来ならこれ位のタフさと言うか、限界まで生存する為の底力を持っていて然るべきなんじゃないかなぁと思わずにはいられない。
だって、その方が栽培に関する無駄に神経質な管理や手間だって少なくて済むし、更に言えば、その分だけ場所や時期にも対応の幅が広くもなる訳ですからね。

今期にしても、それら元々強い品種であれば成長率、結実率、そして収穫量と、結果そのものが変わっていたのかも知れないですし。


そんな当プロジェクトでの栽培を通じて、現代の作物が抱えているであろう生育限界の課題、そして原種との対比構造が浮き彫りとなるのでした。



てな具合いで、本格的な終了体制に入りつつある二期生。


果たしてどこまで続くやら、観察を続けて参ります。



では、また、CUL。

食べ蒔き二期生レポート 10月下旬・作物の底力

先日の台風により被害を被りつつ、辛くも生育を続ける二期生。
culrides.hatenablog.com


とは言え、実質的には前回のゴーヤを最後に、収穫物は終わりを迎えているのが実情でもある。


そんな中ではあるが、まだ生育を続けている作物が存在している以上、最後まで経過の観察だけは継続して行きたい。

何故ならば、もしかすると、そこから新たな事実が浮かび上がって来るかも知れないから。
いや、あるいは、これが新たな農法の糧になるとかならないとか…。



などとカッコつけたりなんかしてみましたが、果たして如何なる状況なのか。


では、いざ。


🌑10月下旬・作物の底力🌑

先ず畑の状況としては、完全に終了。

既に分かりきっていた事ではあるが、何ら作物など存在しておらず、今は雑草だけが生い茂るのみとなっている。


強いて何かあるとすれば、直播きしていた「観賞用のカボチャ」が開花している程度。
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ご覧の通り、株としては数十センチ程度の大きさしか無く、本当に花が咲いたと言うだけの話である。
いや、今は咲いただけでも奇跡に近く、寂しかった空間に彩りを添えているとは言える。



他に何か存在しているとすれば、今期で唯一、まともに結実していたメロンが残されていたはず。


が、思い出した時には既に株はカピカピに枯れていて、今は面影すら残っていない。
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で、その果実はと言えば、いつの間にか落果していた様で、付近を探してみると地面に腐り落ちている所を発見。
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上の画像は、試しに切開してみた時のもの。

その表皮は既に黒ずんでいた上、無数のダンゴムシやワラジムシが群がりボロクソに食い散らかしていたのだが、あまりにグロかったので画像は自粛した次第。


もう少し詳しく観察してみると、それなりにタネは発達している様子。
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しかし、実際に触ってみると潰れやすい感触で、どうやら中身がスカスカな模様。
これでは次期に蒔いても意味が無さそうである。



それでも少し意外だったのは、なにげにメロン特有の香りが強かった点である。

この果実自体はソフトボール大のミニサイズであり、しかも未熟気味であったので食用には適さないだろうと思い放置していた経緯があった。


しかし今回、やけに中身がジューシーで香りも立っていた事を思えば、案外、食べられない事も無かったのかも知れない。
その意味では、やはりメロンは果実のサイズよりも「熟成期間」の方にウェイトを置いた方が、食味のクオリティが確保出来る様になるのだろう。

この観測結果は昨年度のメロンでも確認済みではあるが、改めて栽培時の重要ポイントとして押さえておきたい部分である。



いずれにせよ、これにてメロンは終了。


今期は最初から最後まで上手く行かず、良いところを見せれず仕舞いに終わってしまったが、それとて「タネの鮮度が重要」と言うフィードバックを得る事だけは出来た。

この結果を糧に、次回に活かしたい所。
本当にお疲れ様でした。



その一方、健気に生育を続けているのが、この「直播きトマト」。
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気候的にも夜間の冷え込みが進み、株の根本あたりから幾分か変色や枯れが出始めてはいるが、開花と結実だけは続いている。


とは言え、通常より樹勢が足りない点については如何ともし難いのが実情。
こうして脇芽も生えては来るが、昨年度に比べれば些か短く小さい。
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また、今期の果実はミニトマトより更に小さい小粒サイズが中心で、いわば「ミニプチトマト」みたいな状態。
この時点で、一定より大きくなる個体では無い事がハッキリする。


まぁ、それでも実らないよりは遥かにマシなのが切ない所。
今期の貧果を思えば、よく出来ている方である。



課題としては今後、どれだけ成熟させられるか。

昨年度は11月中旬~下旬頃に最後のピークを迎えたが、それも全ては天気や気候次第と言った感じになるだろう。



ちなみに、初期に育苗していた「貧弱な株」の方も、台風で倒されてから生育が続いていた。
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だが、ご覧の通り既に自立する力は無く、今は「地這い」みたいな状態。
と言うか、そもそも背丈が低いし柔らかいしで、支柱を立てる意味が殆ど無いのだ。


それでも一応は開花し結実までするのだけど、それら全てが小さく、仮に赤く成熟したとしても結果的に落果している。
何でか分からないが、まるで干しブドウみたいに表皮がシワシワである。
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この果実は上の「直播きトマト」より更に小さく、まさにブドウのデラウェアみたいなサイズ。
正直、あまり食べられそうな気がせず、やはり今では「飾り」みたいな存在である。



このトマトで改めて興味深い点があるとすれば、いくら背丈が低く虚弱体質であったとしても、一応は開花し結実する点だろう。
その意味ではゴーヤと同じく、トマトも「原始的な性質」を種の根源に備えているものと考えられる。

逆に言えば、それだけ不利な状況でも遺伝子を残そうとする力が種族として備わっていている以上、本来は雑草並の生命力を持っていると言う事でもある。


だとすれば、その生育環境さえ合っていれば、あとは勝手に生えて勝手に繁殖する事も不可能ではないはず。
大体、元を辿れば「雑草みたいなもの」だったからこそ、生き残って来た訳ですからね。


これまで何度も述べている事だが、その生命力を「高い精度で再現出来るタネを持つ品種」が判るか現れさえすれば、誰でも簡単に手間が少なく育てられる可能性も高まる。

希望的観測としては、これら食べ蒔きや実生栽培を続けるうちに、その再現力を持つ品種が現れるのでは無いかと考えている。
いわば「種の保存」と言う生命の原理に従うならば、数多のタネを試行して行く中から「それが可能になるヤツ」が出てくるはずなのだ。

これもまだまだ、検証の価値がありそうだ。



ほんで最後は当然、ゴーヤの話に。


こちらは10月中旬の収穫を最後に終了を迎えて以降、更に枯れが進み、大分部の枝葉が変色して来ている。
※ゴーヤは御近所との兼合いで全体を写せないので、部分的に撮影しております。
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青々と繁り、芳しさを放っていた頃はいずこ。


ツルによっては、だいぶ乾燥している。
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前回となる10月中旬までは新芽が出て開花もしていたが、流石に下旬ともなるとパタリと停止。
夜間気温が一気に下がり寒さが増すにつれ、その生命活動も終わりを迎えつつある事が解る。



その前回の最後で紹介した「直播きゴーヤ」の方も、いつの間にか地面に垂れ下がっていた。
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前回まではトマトに絡んで生育していたが、一番遅く発芽した分だけ青みを残しているとは言え、さすがにコチラも体力的に厳しくなりつつある様だ。



そんな最中でも、ギリギリ結実していた果実がチラホラ。
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とは言え、その全てはミニマムサイズで成長を停止しており、今は飾りとしてブラ下がっているのみ。


また、一番大きいサイズであっても、せいぜい十数センチで「オクラ」に毛が生えた程度。
当然、収穫した所でどうしよ…と言った具合。
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中には、既に「機能停止」した果実もあり、日毎にダンゴムシ達に噛られてはボロボロになり、乾燥が進んでいたりする。
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このゴーヤの食害に関しては、「株の生命力」と「昆虫」との間で密接なパワーバランスが存在する事が、これまでの観察により判明している。


簡単に当プロジェクト内で例示すると、まず苗の頃や定植したての段階では枝葉が若すぎて「抵抗力」が足りず、ダンゴムシなどに食べられ放題となってしまい、最悪は丸ハゲにされてしまう事さえあった。

だが、このゴーヤが「旬」を迎え、その樹勢が「全盛期」に達し、そして「開花と結実」のラッシュにある様な段階に際しては、全くと言って良いほど被害を受けていなかった。
即ち、病害虫を寄せ付けないほどの生命力と免疫力が、それだけ発揮される状態となったのだ。


逆に、全盛期が過ぎた頃の余韻にある時、例えばこの記事中では再びダンゴムシに果実や枝葉を噛られたり。
あるいは、一度収穫が終わり一段落している時などでは、一時的な栄養不足で急に枯れが発生したりする様になる。


この現象を鑑みるに、如何に「全盛期」に合わせて結実させ、その勢いを収穫期まで維持出来るかが非常に重要なポイントとなるかが解る。
また当然、栽培にあたり「適切な時期と環境」に合わせなければ本来のパフォーマンスが発揮されない事も、これまでに述べた通り。

でなければ、成熟する前に病害虫にボロクソにされかねないし、そうなると連動して果実のクオリティも下がる事に繋がってしまう。

この「気候と環境」、「生育と旬」、そして「タネの生命力」などが複合的に合わさる事で、本当の意味で作物は育つ事が可能になるのだ。


言えば当たり前の話だが、これが思いのほか難しい事であるのも、当プロジェクトを通して実感される部分。
やはり農業ってゴイスーである。



しかしながら、だからこそ、やはり作物と言うのは本来、その防衛力を「自主的に発揮する能力」が備わっているのだと理解できる所。
そう、何かしらブレイクスルー出来れば、「それを再現」出来るはずなのだ。

あえて言えば、農家の高齢化、後継者不足が話題となる昨今にあっては、何かと「丸投げ」にばかりしていられないだろうし、これまで責任転嫁し過ぎていた部分は否めない。
それを補う意味で、どうにかアイデアやフィードバックだけでも皆でカバーし合える形があって良いはず。


その解決策の一つとして、やはり、これからの時代には「自主的に育つ力」のある品種、あるいは上で触れた「それが可能なヤツ」が現れる事こそ、先の農業のカギを握る事になるのかも知れない。



などと偉そうなゴタクを並べてみましたが、何にせよ今期の成績ではイマイチ説得力を欠く。

そんな自分の事は棚の上のポニョ状態である当プロジェクトですが、もう暫くは経過観察を続けて参ります。



では、また、CUL。

食べ蒔き番外編 ゴーヤのタネと生命力

前回のレビューでは尺の都合でハショッたのだけど、ちょいと触れておきたい話題が一つ。
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今回は、これまでに収穫されたゴーヤのタネの状態を確認してみようかと思います。


前回の「旬」に付随して、このタネからも様々な事が解って来るのですが、これが少し示唆的な内容になったので、ならば記事化してみようかなと思った次第なのです。


では、いざ。


🌑タネのクオリティ=再現性🌑

これは前回のレビューにて、一番大きいサイズだったゴーヤの中身。
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画像上段では、果実のサイズに応じてワタの部分もコンパクトに形成されている。
でも画像中段のタネ自体は、通常の品種と姿形は大きく変わらない。

また更に画像下段のタネの方は、いわゆるゼリー状の皮膜を纏っており、部分的にオレンジ色をしている。
全体的な質感は未熟果のソレなので、収穫期としては適切な方だったと言えそうだ。



さて、これらタネは、実際には元々の品種より一回りほど縮小されたサイズである。

ただ、果実が一気に縮小されたからと言って、必ずしもタネまで極端に小さくなる訳では無い所が興味深い。
何故かって、「果実は小さいのにタネはデカイ」訳で、それはつまり「小さくても子孫を残す能力は充分」である事も意味しますからね。


これを言い換えれば、仮に実生のせいで劣化ないし先祖返りを起こしたとしても、その「リセット幅」は小さいものとなり、根本的な生命力までもスポイルされるには至らないと言う事でもある。
その意味では、これまで食べ蒔きで栽培した作物が軒並み劣化し矮小化しカオス化していた事と比べ、随分と「まとも」な姿に映るだろう。

この辺で、改めてゴーヤは原種に近い生命力と言うか、プリミティブな性質が残された作物なんだなと実感する所である。



ちなみに、今夏に収穫した方のタネも保管していたので、そちらと元々の品種のタネのサイズを比較してみよう。
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画像左が、市場の果実から採種したタネ。つまり「元ネタ」。
画像右が、当プロジェクトで収穫された果実から採種したタネ。

やはり、市場の品種と比べれば一回りほど縮小されている事が判る。


それでも収穫された方の中身はミッチリ詰まっていて、クオリティは良好。
この状態からして、恐らくは次も生えて来るものと予想される。
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むしろ、市場の品種から採種したタネの方が中身とカラの隙間が多く、指で押すと簡単に割れて潰れてしまうパターンが多かった。
果実のサイズは圧倒的に大きいのに、タネだけは妙に脆いのが不思議である。

何なら、今期で採種されたタネの方がミッチリ詰まっている分、余計に強く感じられるのは気のせいか。



上記の現象は前期でも触れているが、どうやらゴーヤは株の成長率、あるいは果実の外観と中身には関連性が薄い傾向にあり、一定の環境条件で生育してさえいれば、自然と「次世代向けのタネ」が生成されると言う事なのだろう。

その意味では、やはり他の作物に比べて「子孫を残す能力が高い濃度で残されている」証左とも捉えられる。
culrides.hatenablog.com


これは実際、食べ蒔きでは先祖返りが強く反映され過ぎて、その大半の果実が矮小化すると同時に「タネの機能まで劣化してしまう」パターンが多かった事例と比較するに、特筆すべき現象だと言える。


例えば、昨年度に食べ蒔きで実った他の作物で言うと、極度にタネが未熟だったり(例:カボチャ)、あるいはタネ無しになったり(例:トマト)、はたまた再び植えても育たない(例:今期のメロン)など、再現性の無いタネになってしまうパターンが多く発生してしまった点でも、ゴーヤとの違いが明白となる。

逆に言えば、それら「タネが機能しなかった作物」とは、もはや生命としての能力をスポイルされてしまったか、あるいは根本的に失ってしまっているであろう姿が、ゴーヤとの比較で露になるのだ。



となると、このタネの話と前回の旬とを符号させた場合、別の側面も露になる。


それは、今後さらに気候変動が進行すると仮定した場合、現代の様に作物の生命力が低下しすぎては、劇的に「種の生存率」までも低下しかねないと言う事。

更に言うと、今ある作物から「自主的な再現性や継続性」が失われて行くほど、何かしら環境変化が起きた際に一網打尽にされるだけでなく、それ以降の子孫も生まれないか、または個体の絶対数が足りず繁殖が追い付かなくなる事態に発展してしまう。

これを突き詰めれば、やがては育つものも育たなくなってしまい、いずれ食糧自給率にさえ影響を及ぼす事にもなりかねない。


何しろ次世代のタネは弱いし、成長する為の気候(旬)も合わないとなれば、誰も生き残らないなど自明の理。
だからこそ、雑草の如く「自ら育つ力」を持つ存在が必要になって来るし、それらが環境の適応に対するカギを握る事になる。

いうなれば、ゴーヤの様に植物本来の能力や性質を保持しているのは、それだけ重要な意味があるのだ。


つまるところ、「タネのクオリティ=再現性」と言うのは、今後も種族として存続する為の必須条件。
作物やら植物とかの話以前に、そもそもタネからタネへと能力や性質を受け継げなければ、生命体として継続性が無くなってしまうのである。


これを翻せば、先の時代には「それを出来る品種」が求められるのではないか。
そして、それを今から探したり再生する必要もあるのではないか。

この様な結論も導き出されて来るのです。



なんて大袈裟な話になっておりますが、これは単に個人的な感想であり、当プロジェクトでの観測を基にした予測に過ぎません。

いずれにせよ、そんな「人類に対するメッセージ」の様なものが、今回のゴーヤを通して明らかとなる訳ですが、皆さんは如何に思われるでしょうか?


やはり僕としては、食べ蒔きを(以下略



では、また、CUL。

食べ蒔き番外編 ゴーヤのレビューと旬の話

前回で収穫されたゴーヤを軽くレビュー。
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今期は全くもって貧果が続いており、個別でレビューするほどのボリュームが確保できていない。
何せ記事化しようにも、言う事が少ないからである。


しかしながら、一応は形になってはいるのだし、まるっきり触れないままでも寂しい。

なので、この度の収穫にちなんで軽く食レポしてみようなかなと。

そのついでに、作物の「旬」についても考察を巡らせてみましたので、ご興味のある方はお付き合い願えますと幸いであります。


では、いざ。


🌑ゴーヤレビュー🌑

でもって、いきなりキムチチャンプルーに変身です。
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ご覧の通り、果肉の質感は瑞々しく良好。



して、早速ひと口…。



うむ…。



ほう…。



いいじゃん。



その味はと言えば、外観に違わず確かに間違いなく美味い。
歯応えもシャキッとしていて、小ささによる影響やデメリットなども無いと言える。


が、少し風味が抜けた様な、味が薄くなっている印象。
いわゆるゴーヤ特有の、あの青っぽい香りを殆ど感じないのだ。


これは特に、今期の最初と二回目に収穫したものとを比較すれば、明らかな違いがある。

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今回の味を数値化するとすれば、盛夏に市場に出回るものを「10」とした場合、今回のゴーヤは「6~7」と言ったスコアになるだろう。

もちろん、前途にて収穫されたものについては、文句なしに「10点満点」であった事も付け加えておきたい。


数字では僅かな差だが、これが結構な違いでもある。
思いのほか、あの風味こそがゴーヤの旨味を決定付けている事を再認識する結果となった。


何にしても、厳しい状況が続く中で得られた貴重な恵み。
今期は食べられただけ感謝である。

本当にごちそうさまでした。



さて、今回の食味に関する要因として先ず挙がるのは、やはり「旬」の力であろう。


基本的にゴーヤが亜熱帯地域に生息する植物である以上、秋以降の気候では適切な環境にない事は確かである。

実際、盛夏に収穫された方は触るだけで手に香りが移るほどの濃厚なゴーヤ・フレーバーを漂わせていたが、今回のものは殆ど感じられ無かった。
また、市場に出回る品種も同じく、秋に入れば色味が薄くなり香りが弱まる傾向にあるので、今回の結果も「パターン」に当てはまる。

当然ながら、それだけ香りが違えば味も変わる事になるだろう。
やはり、作物の栽培においては季節に合わせる事が如何に重要かを再認識するものとなった。


この様に、合わない環境では「適切なパフォーマンス」が発揮されるはずも無く、そのぶんだけ生命力や樹勢、そして果実のクオリティがスポイルされる結果となる。
無論これは作物だけに限らず、人間を含めたあらゆる生物に共通した原理でもある。


逆に言えば、異常気象が話題になる昨今。

例えば仮に気候が変化した場合、それまでのパターンが通じない事になり、再現性も低下するとの予測さえ成り立つ事になる。
つまり、極端に言えば今の品種、今の栽培法では対応出来なくなる可能性が有りうるのだ。


だからこそ、様々な栽培手段があった方が、今後起こりうるであろうシチュエーションにも対処しやすくなるはず。
当プロジェクトが役に立つかは謎としても、少なくとも、こういった「既存とは別のアプローチ」を様々に試した方が、いずれ結果的に「手数の多さ」にも繋がる事だろう。

その中からベストな方法が判れば、事態の解決も早いと考えられる訳である。


とまぁ、こうして「別の場所で入手したもの」と「自分で一から育てたもの」を比較しながら答え合わせを行う事で解る事実もある。

偉そうに述べてしまえば、この作物を育てる一連のプロセスを理解出来ればこそ、食べ物への有難味みも深まるもの。
これだけの条件を揃えないと収穫さえ出来なくなるんだと思えば、余計に粗末には出来ないなぁと実感するものです。



もっとも、こんな説教臭いハナシは抜きにして、先ずは皆さんもチャレンジしてみては如何かなぁと。

この二期生みたいに、何だか上手く行かなそうでも、何とかするうちに何とかなったりして、何だかんだ収穫出来ちゃったりしますからね。

そうして沢山の検証結果が集まれば、きっと更に良い方向性が導き出されるはず。


とにかく、そうお伝えしたかったのであります。



では、また、CUL。

食べ蒔き二期生レポート 10月中旬・ゴーヤ最後の一撃

前回から二週間が経とうとする頃になり、再び大型台風19号が列島を直撃。
ただえさえ9月の15号でダメージが残る最中、更なる爪痕をもたらす事となる。

改めて被害に遭われた各位へお見舞い申し上げると共に、一刻も早い生活環境の復旧がなされる事を祈るものであります。
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そんな度重なる荒天を経て、二期生は如何なる状況なのか。


では、いざ。


🌑10月中旬・ゴーヤ最後の一撃🌑

先ずは、暴風雨により倒されたトマトの整枝を行う。
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画像のトマトは、今期の初期にポットで育苗していたものの、定植以降は殆ど成長せずにいた個体。
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あれから相変わらず低いままの姿であり、今回の台風でも根元からグンニャリ曲げられてしまっていた。
一応、結実こそしてはいるが、収穫まで持たせるのは厳しいと言わざるを得ない。


また、ここ最近の記事に登場していた「直播きトマト」も似た様な状況ではあるが、そちらは幾分か樹勢が保たれているので、より個体の差異が露となっている。


いずれも、生きている以上は終わった訳では無い。
きちんと立て直し、まだ暫く経過観察を続けてみる事に。



ちなみに畑の様子に関しては、もはや「何も無い」とも言うべき様相。
いつの間にかメロンの大半は消え、ほぼ雑草のみが生い茂る状況である。


その中には、半ばジョークで直播きしたカボチャの姿が。
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しかし、今期のメロン、カボチャなどは極端に貧弱な姿であり、茎や枝葉の細さからして何も起きないであろう事は明白。
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ここまで来ると流石に、「ホントにどうなってんの今年」、と思ってしまうのが正直な感想でもある。



そして、カボチャ同様さりげなく生育していたと言えば、下のスイカ
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実はコチラも、冒頭のトマトと同時期にポットで育苗しながら定植まで漕ぎ着けたものの、やはり以降は殆ど成長せず放置プレイしていたもの。

あれから辛うじて幾らか伸びてはいるのだが、まぁ全くもって結実するハズも無く、そもそも開花していたかすら怪しい。

もはや手の施し様がなく、今は単なる飾りで生えている程度である。



その一方、二期生筆頭であるゴーヤのダメージ具合いはと言えば、いっそう枯れが本格化している。


特に、今回の台風19号にトドメを刺される形で、一気に枝葉が薙ぎ払われた感すら漂う。
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度重なる荒天と気温低下により、いよいよ体力の限界も近づいてきたか、根回りも茶色くなりつつある。
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そんな最中であるが、一応まだまだ結実は続いており、今まさに最後の生命力を振り絞り、生きた証を残さんとしている様でもある。
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もっとも、その大半はマイクロサイズなので、これから大きくなる事など望むべくもない。
もっぱら今は観賞用のものが大半である。



しかして今回、台風による暴風雨を凌ぎきり、9月から成熟を続けていた僅かなゴーヤを収穫。
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画像左のものが、概ね20cmほど。
他のサイズは推して知るべし。



ご覧の通り計3個の収穫と相成った訳だが、今回では最大クラスの果実を集めた方である。

と言うか、むしろ実生の食べ蒔きでありながら、ここまでよく頑張ってくれた方ではある。
あまり環境的にも恵まれてはいない中、何とか最大限を尽くしたであろう姿が偲ばれる。


そして結論から言えば、今期のゴーヤ収穫は今回のもので終了。
以降は、結実しても全く大きくなる事は無かった。

即ち、まさに、今ここで最後の一撃が放たれた事になるのだ。


結局、9月下旬に使った「ハブドリンク」が効いたのか効いてないのかは全く判らず仕舞いであるが、まぁ効果があったからこそ、今回の収穫まで持ってくれたとは考えられなくもない。
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いや、効果はあったはず。
そういう事にしておきたい。



ちなみに、画像一番右にあるゴルボール大の果実は「ついで」に採ったもので、そもそも食べられそうな色味と質感ではなかった。
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従って、実際に食したのは上記画像の左と中央のみである。
その実際の画像は次回、別記事にて軽く記す事に致します。



おまけシリーズ。



本編とは別に、今期のゴーヤで最も遅く生えて来たのが、この小さな苗。
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実は、これはポットで育苗していた株とは別に、盛夏に入る頃に「直播き」していたものの一つ。
軒並み生育不順気味であった今期にあって、念のためタネを幾つか畑にも埋めてみたのだ。

で、いつの間にか生えていたのに気付いたと言う。


今は同じ「直播きトマト」の枝に絡んで生育しており、まだ若いせいか全体が青々しい姿である。

既存の株が軒並み枯れ始めている状況とは対称的で、今この時に生育していても、鮮度には明らかな違いがある。
これはやはり、「まだ開花や結実で生命力を使うシーンが無いから」と言う事なのか。

これでもし、もう少し早い時期に生えていれば、まだ成長していた可能性はあっただろうか?



とは言え、例に漏れず生えたのは一本だけとなり、しかも実際は成長率の低い貧弱な株だったりする。

即ち、それだけまともに発芽しないタネが多く含まれていたと言う事なのだろうけど、やはり不測の事態に備え、採種時には出来る限り多く予備を確保するのが肝要なのだなと思う今日このごろ。

ホント、今年はこんなパターンばかりだなぁ。



そんなこんなで、いよいよ終盤に差し掛かってきた感のある二期生たち。

ここから期待を持つには無理があるにせよ、その最期までは見守りを継続して行きます。



では、また、CUL。

食べ蒔き二期生レポート 10月上旬トマトの悪あがき

このプロジェクトは、今までに無い農法を探るべく、世評とは異なるアプローチにて作物の栽培を試みた記録。

上手く行くのか、それとも失敗に終わるのか、兎に角やってみなければ分からない事実があるはず。
そこから作物の持つ本当の力、あるいは本来の姿を明らかにしてみたい。


これを言うなれば、「オルタナティブ・アグリカルチャー」を標榜してみたりしなかったりする昨今なのです。



などと世迷言を宣っておりますが、季節は10月に突入。
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辛うじて生育を続ける二期作であるが如何に。


では、いざ。


🌑10月上旬・トマトの悪あがき🌑

さて、9月からの残暑が尾を引いてか、気候的には温暖。
前回から全体的な状況としても大きな変化は無い。


試しに畑の様子とは言えば、相変わらず雑草は伸びホーダイ。
画像中央、一番上に来るのがトマトだが、殆ど景色と一体化している。
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ただ、生育状態は悪くなく、開花は続いているし、それなりに色付き始めている果実もチラホラ。
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あとは、どれだけ数が纏まるかであるが、その花房自体は多く無いため、あまり期待を持てそうにないのが正直なところ。
これからの気温低下を思えば、成熟までの期間も怪しい部分がある。

まぁ、何かと低調にある今期を思えば、全く実が付かないよりは遥かにマシと言えなくもない。



そんな低調ぶりを少しでも打開してみようと、せめてもの悪あがきとして、実は9月の下旬あたりから挿し木のクローンを幾つか準備していた。
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親木については、今期一番まともな個体である冒頭の画像で記したトマトで、その脇芽を利用している。


具体的な挿し木の手法については以下に。
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ただ個体が増えたとは言え、元々が貧弱気味な株から分けたものなので、このクローンも似たような性質となっている。
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相変わらず画像がゴチャついているのが申し訳ないが、この三本は台風により根元からナナメってしまい、その状態で伸び続けていたもの。

まぁ、元々はタフな作物であるし、これでも折れずに生育を続ける所は情けないようで逞しくもある。



一応、根を確認すると、その虚弱体質には誤魔化しが効かない様子。
いずれもバラつきが多く、その密度も昨年度とは比べるべくもない。
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この「根のグレード」で全てが決まるだけに、やはり期待するには無理がありそうだ。

いくら挿し木で増やしたとて「やらないよりはマシ程度」と言うほか無いが、せめてもの悪あがきとして定植しておく事に。



ほんでもって、この約一週間後に状況確認してみると、冒頭のトマトが赤く成熟していた。
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ただし収穫ラインに達したのは、これ一個だけ。
分量的として料理に出来るものではない。

試しにヒョイと口に放り込んで食べてみると、そのルックスに違わず美味い仕上り。
やっぱり、これで数が纏まればなぁ。


全く期待していなかった今期のトマトだけど、何とか「形」になった所までは確認出来た。

とは言え、いまだ他は青いままだし、落果している箇所が幾つか存在する。
結実率のバラつきも甚だしく、菜園としては全くもって低空飛行。
ハッキリ言って、ヌカ喜びの域を出ないものだろう。



この収穫期における個体差こそが食べ蒔き、即ち実生栽培での最大の課題である。

しかも、これは固定品種でも起こる現象との事で、どうやら品種として確立していたとしても、まるっきり「同じタイミングで」とは行かないらしい。


その理由を推察するに、個体ごとに結実のタイミングをわざとズラす事で、子孫の生前率を確保する意味があるものと考えられる。

例えば、早生だと外敵に狙われ易くなるが、晩生ならば回避率が高まり、長くタネの成熟期間を保てるとか。
あるいは、全く同じタイミングで揃えてしまうと、何かしらの病害虫が発生した際に一網打尽にされてしまうリスクがある為、あえて開花、結実、成熟をバラつかせているパターンなどが有り得る。

つまり、この食べ蒔きでは先祖返りが強く反映されるので、それら先代の持つ「わざとバラつかせる」特性が、より極端な形で顕れやすくなったという訳である。


結論として、このバラつきの解決策にあたっては、やはり「数打ちゃ当たる方式」しか思い付かない。

その為には先ず、手持ちのタネを手当り次第に試し、実付きの良い個体を出来る限り揃える。
そして、生えた中から「タイミングが揃いそうな個体」、あるいは「早生晩生で分けられそうな個体」を選出する事に成功すれば、次世代も同じサイクルを再現出来る可能性が高まるだろう。



無論、この食べ蒔きに頼るよりは最初から固定品種を使えば話は早いのだけど、少なくとも、数ある中から「それが出来る品種」が存在する事だけは確かだと思われる。

何故なら、昨年度の記録を振り返るに、どうやら「先祖ないし原種に近い性質を残している品種ほど生命力が強く子孫を残しやすい」と言う観測結果を得ているからだ。


逆に言えば、それさえ判れば後は毎年サイクルを繰り返すだけとなり、誰でも再現が可能となるはず。

要するに何が言いたいかと言うと、それを発見すべく「みんなもお家でやってみよう」と伝えてみたかっただけなのです。

僕の話は長い。



一方、この10月に入る辺りから、ゴーヤの枯れが本格化し始める。


特に、台風後のダメージ回復に体力を使い果たしてか、既存の枝葉には完全に枯れきった箇所もチラホラ。
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一応、まだ新芽が伸びていたり、開花は続いているし幾つか結実してはいるものの、一時期の様な勢いは無く惰性で生育している感じ。

そりゃ、夜間はだいぶ涼しくなっているし、既に気候的にも合わなくなって来ている頃だろう。
後はフェードアウトを待つのみである。



ほんで、前回の「ハブドリンク」投与と並行して、このゴーヤの根回りを囲む様に、台風で出た落葉を敷き詰めて保温。
ハッキリ言って、効果は謎である。
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これも結局は悪あがきなのだが、どうせなら少しでも効果のありそうな方法を試しておきたい所。

例え1%でも最後まで可能性を探り続ける、それが北斗神拳もとい食べ蒔きプロジェクトなのである。


次回、「聞け魂の叫びを!!ゴーヤ最後の一撃!」に続く。



では、また、CUL。

食べ蒔き二期生レポート 9月下旬・変態的肥料その3

前回、9月上旬~中旬までは厳しい残暑が続き、また台風の暴風雨によって生育が一段落となった二期生。
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しかしながら、9月も下旬に入ると流石に夜間の気温も落ち着き、涼しさを感じる日が増えて来る様になる。


まぁ、だからと言って根本的な侘しさが改善された訳でも無いのだけど、少なくとも人間にも作物にとっても過ごしやすい気候に移り変わりつつあるのは確かだ。


して、如何なる状況なのか。


では、いざ。


🌑9月下旬・変態的肥料その3🌑

台風一過より暫し、先ずは畑の様子をば。
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うーん、管理不足過ぎて草生える。
もはや何がなんだか判らぬほどボーボーである。


ただ、あえて言い訳をするならば、そもそも今期に関しては何も育つ気配が無かったので、雑草を抜き取る必然性が感じられなかったからでもある。

実際、定植したメロンは殆ど伸びておらず、既に大半はフェードアウトする様に枯れて消失。
直播きで生えた苗も、何時の間にか姿を消している有り様だ。


この違いは昨年度の同時期と比較すれば明白で、当時はメロンとカボチャの収穫がラストスパートを迎えていた。
culrides.hatenablog.com

それを振り返るに、この二期生では未だヒョロッとした姿の、苗に毛が生えた様なサイズにしか育っていないのが実情。


こちらの辛うじて生えてきた直播きのカボチャも開花はすれど、やたら矮小化されており、まず期待は持てない。
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昨年度なら、もっと大きく育って結実までしていた訳で、余計に差異が露になっている。

今はただ、「その辺から生えてきた観葉植物」みたいな状態である。
これはやはり、根本的にタネの生命力が足りなかった事に由来するものとなろう。



その中で唯一、しれっと結実していたのが、メロンの果実。
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この株は今期の中では一番まともな姿をしていて、8月下旬の頃から然り気無く結実を続け、何とか生育も維持していた。


とは言え、果実のサイズ的には「小さなマクワ」位のもので、しかも何やら虫か何かに刺された様な痕跡もある。

やはり昨年度の果実とは比べるべくもなく、残念ながら食用には向かないだろう。
また、株も実際は枯れが目立って来ているし、長くは持たないであろう事を思えば、もはや観賞用として楽しむのが精一杯である。


これら不調の要因を挙げるに、結局のところ全てはタネの品質に由来する事は間違いない。
それは発芽した苗の段階から解ってはいたけど、やはり「二年越し」のタネでは「保存の間」にも生命力を消耗してしまうのだろう。

今にして思えば当然の成り行きではあるが、それでも改めて「鮮度の良いタネを使うに越したことはない」のだな、と思い知る経過となったのであります。



その一方で意外な健闘ぶりなのが、このトマト。
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こちらは春蒔きの苗が頼りなく、ヤケクソで直播きしたら生えてきた一本で、意外なほど大きく成長してくれていた。
背丈も150cm以上はあったりして、まさかここまで伸びるとは思わなんだ。


この結実率からしても判る通り、あちこちから花房が発達し、次々に開花してくれている。
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今期におけるトマトの開花と結実に関しては、盛夏の頃はやたら落花が多く、サッパリ期待が持てない状況にあった。

しかし、この9月中旬~下旬に気温が下がってくる頃になり好転したと言う事は、まさしく「結実の適温」を迎えた事を意味している。
それは、昨年度の一期生でも全く同じ現象が起きていた点でも解ってはいた事でもある。
culrides.hatenablog.com

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この「気温変化による生育状況の変化」が起きうるからこそ、粘り強く見守りを継続すべきなのだと再認識するところ。

従って、読者の皆さんが「ぜんぜん結実してくれない」と言う症状に見舞われているのだとすれば、それは「環境や気温が合っていない」可能性が有り得ます。
逆に言えば、「変われば好転する可能性がある」と言う事でもあるので、諦めず試行錯誤しながら、最後まで生育を維持させるべきでしょう。

そう強調しておきたいのであります。



もっとも、まるっきり楽観もしていられないのが今期の実相。


このトマトも昨年度と比較すれば遥かに矮小化されているし、更に結実した時期も少し遅れている。
この点を鑑みれば、果実が赤く成熟する為には、些か期間的に危ういものがある。

然るに、本格的に寒くなる前に、何とか纏めて収穫出来るかが焦点となりそうだ。



さて、最後に触れておきたいのが、ゴーヤの様子。


前回から大した変化は無く、相変わらず開花が続いている中にあって、次第に本格的な結実を再開しつつある状況。

猛暑日が続いていた頃は着果不良ばかりが続いていたが、「気温が落ち着いてくれば回復する」との予測通り、再び結実してくれているのは喜ばしい傾向である。


ただ、台風のダメージは思いのほか大きかった様で、次第に枯れた部分や虫食いもチラホラ出る様になる。
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勿論、そろそろ夜間の気候的に涼しくなっているので、ゴーヤの体質的に合わない環境に移り変わりつつある頃ではあるのだろう。
また、既に幾つか収穫もなされているので、体力的な消耗もあるはずだ。



ちなみに今期、これまでに定植し収穫まで生育出来たのは2株ほどだと記していたが、実は他にも定植している株が存在していた。


このゴーヤは、いうなれば「欠番扱い」せざるを得なかった一本。
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実のところ、苗の時点ではそれなりに成長していたが、定植してからはサッパリ伸びず、また開花しても雄花ばかりで終ぞ結実しなかった株なのである。


それでも台風に耐え、新芽を伸ばしながら地味に生育を続けるあたりで、植物の持つ底力を感じられる部分ではある。
これでもっとイケてるタネならば、更に収量が増したのだろうなぁ。


こんな感じで、今期はタネのバラつきに一喜一憂してばかりなのであります。



おまけシリーズ。



この9下旬に入り、最後の「ファイト一発」として投入した変態的肥料。

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そう、ハブドリンクなんですねぇ。


何故、マムシでなくハブなのかと言うと、随分昔に友人から沖縄土産として貰ったもので、結局、飲まずに未開封のまま部屋の飾りにしていたのだ。

しかし、もはやここまで熟成期間を置いてしまうと、飲むに飲めない心境ではある。
かと言って、単に捨ててしまうなんて勿体無い真似はしたくない。


然るに時ここに至り、ならば作物に与えてみれば非常に強力なカンフル剤となりうるのではないかとの確信に至る。


我ながら謎すぎる思考回路だが、この成分を読むに、間違いなく効く気がしたのだ。
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だってハブですよハブ。
沖縄の生物+沖縄の植物で相性が悪いワケがないじゃないですか。

いや、まぁ根拠は無いんですが、こじつけでも期待感だけは充分です。



で、中身を開けてみたのだけど…。

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なんだかドスの利いた茶色い液体に、何の成分なのか黒いバニラの粒みたいのが混じっている。
うん、飲まなくて本当に良かった。


まぁ、コレを作物に与えると言うのもアレな気がしないでも無いけど、全ては有効活用してこそ。
基本的には天然由来の有機物だろうし、その辺は微生物達が何とかしてくれる事でしょう。


はてさて、どんな結果となるやら。

次回に続きます。



では、また、CUL。